第14話 消えたリョーコ(1)

伊佐市の郊外、国道267号沿いに建つ、一見煉瓦造りのレストラン「赤木」で劇団ナークは、伊佐市親子劇場の面々との懇親会に参加していた。親子劇場の会長である日高女史の話によれば、店主の性格は悪いが料理は旨いとのことだ。話によると、東京のさるお屋敷で専属の料理人をしていたらしい。

レストランは広かったが、客は風人達だけであった。

ファミリーレストランを意識したのか、俗にいうファミレスとほとんど同じテーブルとイスの配置であり、その一角に劇団ナークと親子劇場の面々、合わせて8人が座っていた。


決してセンスが良いという訳ではない皿に盛られた料理であるが、料理自体は良い味だった。小さな皿に盛られた酢豚を一口食べた風人が

「あれ?」

とつぶやいた

「どうした、風人。結構うまいぞこれ。僕の口には合いませんとか言うなよ。」

とは団長。

「いえ、逆です。とても美味しい。美味しいのですがどこかで食べたことがある味なんです。でもおかしいなあ。どこで食べたか思い出せません」

風人にしてみれば、美味しいとか不味いというまえに、懐かしいような気持になった。

恵美は大皿の料理を宮後と紗枝の小皿に取り分けている。

4人とも舌鼓を打つほど料理は旨かった。

そこに、調理服を着た、がっちりした体格の男が厨房から出てきて、親子劇場の会長の日高女史に挨拶した。店長兼コックの赤木である。日高の夫は伊佐市内の病院の院長で、病院スタッフがたまにこの店を使うらしく、赤木は日高女史のことを「奥様」と呼んでいた。

「奥様に出す料理を頑張って作っていたせいか、さっきからちょっと動悸がして冷や汗がちょっとね。日高先生に診てもらわないといけねえ」

と笑いながら話してはいるが、慇懃無礼というか、どことなく好感の持てない人だなあと風人は赤木のほうを見た。

 視線に気が付いたのか、赤木がギロリと風人のほうを睨んだ。

「お客さん!この店に犬をいれてもらっちゃあ困る」

犬とはリョーコの事を言っているらしい。

「すみません、うっかりしていました。ペットは連れて来てはいけなかったんですね」

浦戸が風人を庇うように頭を下げながら赤木に言った。

「当り前だ!どこの世の中に犬を連れて入っていいレストランがある!だいたい俺は犬は嫌いなんだ!特にトイプードルは」

と言いかけた赤木の目が大きく見開かれた。

「この犬――似ている。俺の顔を噛んだ犬に、いや、似すぎだ。お嬢さんが飼ってた」

赤木の顔と声に、リョーコが反応した。

「赤木、なの―――?」

 リョーコが呟く。

「うお!しゃしゃしゃ、しゃべったぞこの犬。なんでおれの名を」

「姉さん?」

 リョーコの様子に風人が気が付いた。

「すみません、トイプードルはお嫌いなんですね。さあ外に出ようか、姉さん」

いいじゃないですか、と店長をなだめようとする日高女史を背に、風人はリョーコを抱きかかえると、席を立ち外に出ようとした。

「ワタシがトイプードルで悪かったわねえ」

と抱えられながらリョーコが悪態をつく。

「ひっ」

睨むような赤木の視線が、睨むから驚愕に変わり、風人の顔に釘付けになった。赤木の喉の奥からヒューヒューという笛のような音が漏れた。

「ぼ、坊ちゃん?」

「?」

「そ、そんな馬鹿な、坊ちゃんの筈がない、そうだ、坊ちゃんは火事で死んだんだ‼お前は誰だ」

きょとんとしている風人。

赤木は尋常ではない形相で風人の両方の肩を掴んだ。その行動にはあまりに鬼気迫るものがあった。

危険と判断した団長が二人の間に割って入り、赤木を制した。

「やめてください!」

必死にとめる団長の背中からひょいと顔を出し、風人がからかうように、

「人違いですよ。僕、坊ちゃんと言われるほど育ちは良くないですから」

と言ったその途端、赤木の目がさらに見開かれた。

「その声、その眼差し。間違いない、坊ちゃんだ―――、ひいいいいいっ」

頭を抱えて座り込む赤木。

「許してくれ。許してください、俺は〇〇にそそのかされて」

 誰かにそそのかされて、と言っているのだろうが言葉が震えて聞き取れない。

まるで懺悔のように、赤木は両手を頭の上で組んで跪いた。

「許してください―――」

「なにを言って」

 と風人が赤木の顔を覗き込もうとしたとき、

「ぐ」と赤木がうめいた。

 次の瞬間うめき声は「ぐああ」という断末魔に変わり、跪いた赤木は丸太のようにゴロンと床に倒れると動かなくなった。

「ちょっと、赤木さん」

尋常ではない様子に、日高女史が駆け寄った。仕草から医師か看護師の資格をもっていることがわかる。

「凄い汗。呼吸も浅い。心房細動を起こしているわ。そこにあるAEDをとって!」

浦戸が壁にかけてあるAEDを外すと、日高女史に渡した。そして、救急車を呼んだ。


最近建て替えられた、真新しい伊佐警察署の待合室で、劇団ナークの面々と伊佐親子劇場の役員が、茶色い合成皮革のベンチに腰かけていた。

自動ドアが開き、そこに現れる真木。

「君から電話がかかって来て駆けつけてきたけど、変死の現場に居合わせたんだって?」

「変死どころか、まるで殺人犯扱いですよ。酷いもんです」

風人は悪態をついた。

「懇親会を開催していたレストランの店長さんが、僕の顔を見てなにやら言い出したかと思ったら急に苦しみ始めて、亡くなってしまったんです」

「この方は?」

団長が風人に真木のことを尋ねた。

「尾道警察署のちょっと偉い人で真木さんです。尾道公演のときにお世話になったというかお世話したというか」

「日花君の劇団の代表者の方ですね。私、真木です。よろしくお願いします」

真木が団長に挨拶した。

「うちの団長の砂川です。見た目はやくざの親分みたいですけど、気が小っちゃい人です」

風人が団長を真木に紹介した。

「こら」

と怒る団長。

「ここの警察署のヒトが僕のこと怪しんでたから、真木さんだったら保証してくれると思って電話したんです」

と風人。

「死んだ男の人は風人のことを、知り合いと勘違いしているみたいだったな。ひどくショックを受けたように見えたぞ」

団長が言った。

「団長の顔見てショック死したのならまだ納得いきますけどね。怖いし」

ぼそっとつぶやく風人。

「風人君、怖いは余計よ」

夫のことを悪く言われて、砂川の妻、恵美が少し怖い顔をして風人をたしなめる。

「死因はほぼ急性心不全で間違いなしですね。調理中に具合がわるかったようなこともおっしゃってたし」

日高女史がため息をつきながら言った。

「赤木さんは、狭心症の持病があって、うちの病院にかかっていたんです」

「そうでしたか。まあ、検死をお願いするのも日高先生だから」

調書を挟んだ大きなクリップボードを脇にかかえた警官が少しほっとしたように話しかけた。胸には須田と書いたネームが下がっていた。

「私、尾道署の真木と申します。実は一昨日から休暇をとって人吉に来ていまして、日花君とは同じ旅館に泊まっていて。彼の身元だったら私が保証しますよ」

「そうですか。え?尾道署の真木さんって、霊感商法の組織犯罪を全て白日のもとに晒して逮捕状までとったっていう記事が、県内の警察官報に載っていましたよ」

「それって話に尾ひれがついていますね。逮捕状とったのはついでというか――」

「いえいえ、御謙遜を」

「あ、そうそう。そのきっかけになる別な謎を解いてくれたのが、この日花君なんです」

真木が掌を上にして、風人をさした。

「この人が?」

背の高い警官須田が風人の顔を見た。

「いや、それもついでというか。というかさっきまでは疑っていましたよね、僕のこと」

嫌味のつもりで答えた風人であったが、警官は風人に向き直った。先ほどまでのいぶかし気な視線が、ぱあっと明るくなっている。

「警察官なるもの、疑うのが仕事なんです。思い込みや既成概念で疑うべきものを疑わなければ真実を見ず、大きな犯罪を見逃すことになります」

まっすぐな意見をまっすぐ言う警官だ。

風人は正論を真正面から突き付けられ

「そこには同意します」

と答えた。

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