第12話 もうひとつのノイズ(2)

真木が時計を拾い上げ、佐藤の顔の傍まで持ってきた。

「佐藤」

「わわわわわ、悪かった、俺が悪かった、殺すつもりはなかったんだ。でも、お前が中条君とのことを咎めたりするから、ついかっとなって」

「やっぱりね。君の推理通りよ」

真木が若い警察官の方を振り返った。

警察官は深くかぶっていた警帽を取る。白く美しい顔が覗く。

「この警帽、ちょっと大きかったですよ」

 若い警官は、脱いだ警帽を手で回しながら文句を言った。

「おまえは、響子さんと一緒に来た」

佐藤の目が、その若い警官を凝視し震える口で言った。

「そう、腹話術師の日花風人です。お名刺渡しましたよね?」

「じゃあ、時計の声は」

「僕の腹話術です。夏彦さんの声、こんな感じかなあってやってみました。思いのほか似ていたみたいですね。それとも、やましい心があるから、夏彦さんの声だと思っちゃうのかな。幽なんてこの世に存在するはずないのに」

「さて、詳しいところは署で話してもらおうかしらね」

副社長室の戸が開き、外に控えていた警察官が入って来た。

「まだ逮捕状でてないから、任意同行になるけど、どうします?拒否しますか?」

佐藤は力なく首を横に振った。

リョーコが走りこんできて、警察官の姿の風人の胸に飛び込んだ。

佐藤に向いて

「あなた、最初っから虫が好かなかったのよね。つんつんリーマンさん」

と毒づく。

佐藤は両脇を警察官に支えられ、部屋を出て行った。

駐車場には尾道署のワゴンが停まっていた。

佐藤が乗り込み、そのあとをうなだれる中条を連れた真木が続く。

「あのー」

風人が真木に尋ねた。

「この制服もらっていいですか?」

「駄目駄目。署の備品だから返してちょうだい。もちろん帽子もよ」

「えー?」

「次の公演場所まで今から走ってギリギリなんですよ。尾道署に寄る時間なんてないんですけど」

「二三日してから宅急便で送ってくれたらいいから」

「わかりました。送料着で送ります」

「しっかりしてるわねー」

「庶務担当ですから」

真木と佐藤、中条を乗せた警察のワゴンは、覆面パトカーとともにMK電子から尾道署へ向かった。


次の日。

大原宅の駐車場で、軽キャンパーの横に風人と響子が向かい合って立っていた。

南側に瀬戸内海が見える。

「佐藤は逮捕されたそうです。同時に夏彦さんの横領は冤罪だったことも佐藤が白状したそうですよ」

「そうですか。大原の無実を晴らしてもらったのですね」

「よかった、とでもいえばいいのでしょうか」

「はい」

「でも、やっぱり───」

 風人は頭を掻いた。

「やっぱりとは?」

「あの空き巣、響子さんの狂言ですよね」


響子は俯き、顔を上げ、南に開けた海を見ながら言った。

「いつから知っていたのですか?」

「最初からなんとなく違和感があって。ストーリーを組み立てる最後のピースがはまったのは今ですけど」

「今?」

「そう。『夫の無実』をという言葉で」

「何故?」

「そこは、『夫の無念を』ですよ」

数舜考えたあと、響子はっとなった。

「心の底に隠したつもりでも言葉に出てしまうものですね」

「心理学の本に、言い間違いにこそ深層心理が現れると書いてありました」

「最初の違和感というのは?」

「お部屋に家族の写真がありましたよね。三人で写っている写真。冬樹君は半そで半ズボンつまり暑い季節なのに、響子さんは長袖に首元まで隠れる服でした。表情も今の感じとぜんぜん違うんです。あれって、DVの跡を隠している服なのではないかなって思いました」

「それと狂言はどういう繋がりだと」

「あのデータ、もっと早い段階で中身を知っていたんですよね。というか、夏彦さんの生前から。電話を聞いたかデータを見たか、それとも直接聞いたか。でも何故それを警察に言わなかったか。言えない原因があった」

暫くの沈黙ののち、

「めずらしく、あの人腕時計をつけずに釣りに行ったんです。お気に入りの腕時計で。届けないと『知っててなんでほおっておいたんだ』ってまた暴力を振るわれるかもと思って持っていたんです。道路に車を停めて防波堤を見たら、夫が佐藤に突き落とされるところで」

「止めなかった」

「止められる状態ではなかったですけど、心の中で思ってしまったんです。このまま夏彦が落ちたら、私たち親子はこの暴力から解放されるかもしれないって」

「警察にも報告しなかったわけですね」

「そう。ずぶ濡れで帰って来るかもしれない、でも帰ってきてほしくない。翌朝になって、夫が帰宅していのでそのときにやっと警察に連絡しました」

「事故として処理されたので、私は内心ほっとしました。だって、私が疑われても仕方がない状況だから。でも、佐藤は横領を夏彦のせいにして、罪を被せ、そしてそれを軽減するからと私に関係を迫って来たんです」

「酷いですね」

「私が何も知らないかと思って。佐藤が来たあと、カメラのSDカードが抜きとられていることに気が付いたんです」

「だから、空き巣が入ったことにして、それをきっかけにデータに気が付いた、と見せたかった」

「私のしたことって罪になるんですよね」

「軽微ではありますが」

「夫は会社では凄い人だったかもしれませんが、家に帰ると私に対するDV、冬樹に対する無関心とほめられたものではありませんでした。一年前、冬樹が通っていた塾の帰りに急に具合が悪くなり、バスを待つベンチの上で動けなくなっていて、偶然見かけた人が救急車を呼んでくれて、連絡を受けて私は病院へ向かったんですけど、夏彦は子どもは母親がみるものだと言って釣りに出かけて。佐藤が殺さなければ、いつか私が夏彦を殺していたかもしれません。そう思う反面、あの日私が早くに警察や海保に連絡していれば、夏彦は見つかって命は助かったかもしれない。そんな両極端な気持ちになっていたんです」

「僕はここで何も聞かなかった。美しい未亡人の顔が見たいというスケベ心で、ちょっと寄っただけですから」

「真木さんには言わないのですか」

「真木さんは気が付いてますよ。口にしたら軽微でも罪状を問わなければならなくなりますから言わないだけだと思います」

「でも」

「野暮は言いっこ無しですよ」

 風人が笑った。いつもの能面のような笑顔ではなく、やわらく優しい笑顔だった。

「風人さん」

突然、響子の白く細い腕が風人の首に絡んだ。 

 そのあとの言葉を、あなたにまで嘘をつくつもりはなかった、そう響子が続けると思っていた風人には不意打ちだった。

 「ごめんなさい」

 響子のうなじの甘い香りが風人の脳髄を直撃した。

 抱きしめ返したい、でも、冬樹君も見ているし、リョーコは目を皿のようにして凝視している。

 うーん、どうしよう──。


 バチっと風人の脳内で何かが弾けた。

 この感触どこかで。

 ライフウォーターの店舗で会った女の顔と声がよみがえった。

 「リョウスケさま!」

 あの時の女と、傍に立つスーツを着た何人かの男女の映像。しかし顔がはっきりしない。

 頭がズキズキ痛む。

 「───ふうとさん、風人さん、大丈夫ですか?」

 気が付くと、風人は頭を抱えてうずくまっていた。

 「すみません、ちょっと頭が痛くなって」

「こちらこそすみません、はしたなかったかしら」

「いえいえ、そんなこと。なんなら今から続きを」

風人は両手を広げて見せた。

笑顔で柔らかいハグを交わす二人。

 

「中国四国地域での上演が終わったので、明日から九州に入ります。こうやってお会いできるのは多分今日で最後です」

「ちょっと寂しくなります」

 ふと周りをみると冬樹がいない。きっと家の中に入ったのだろう。

「では。運が良ければまた会いましょう。冬樹君によろしく」

「はい」

 走り寄って風人の胸に飛び込むリョーコを抱いて、風人は車に乗り込み、運転席のガラスを目いっぱい開け、軽キャンパーで走り出した。

ドアにリョーコが両前足をかけ、長い巻き毛を風になびかせ、手を振る響子を見ていた。


山口市での公演を済ませると、劇団ナークの中国四国地方での集中公演は終わりを告げ、風人は次の目的地、九州へ向かっていた。

関門海峡を渡り、福岡県北九州市へ入った。

上演地に向かう車の中、リョーコが風人をいじっている。

「野暮はいいっこなしですよ!なんて昭和か!!」

「いいじゃないですか、ほかに言葉が思い浮かばなかったんです」

「響子さん美人だったからねえ。チャンスに乗じてチューくらいすればよかったのに」

その瞬間、ボンっと音がするくらい風人の顔が赤くなった。

(あの子に良く似ていたからね)

リョーコが聞きとれないくらいの小さな声で呟いた。

「え?」

言葉の意味が分からず、運転しながらちらりとリョーコを見る風人。

そこに電話がかかって来た。着信音はさるロールプレイングゲームのボス戦のBGM。真木だ。

ハンドルについている受話ボタンを押して電話をとる。

ハンズフリーフォンなので、車内に真木の声が響く。

「今どこ?」

「福岡です。北九州市の八幡のあたりでしょうか」

「いいわねえ、私も九州に行きたいなと思ってるのよ。休みとって母を連れて。私の母は脚が不自由でね」

「僕は観光じゃなくて仕事ですからね」

「あ、そうよね」

「何かご用事でしょうか?」

「そうだった。ええと、佐藤の罪状が確定したわよ。横領と窃盗と殺人未遂」

「え?殺人未遂?」

「そう。未遂」

「ちょっと待ってください。夏彦さんが生きていたとか言わないですよね。それとも誰かほかの人に殺されたってことですか?」

「ライフウォーターが倒産したのご存知かしら?」

「知ってます。昨日のラジオニュースで聞きました。でも、それが何か?」

「何日か前、社長の黄瀬祥子がね、役員会が始まる前に死霊を見たって騒ぎだして、半狂乱になってしまって、結局財産を処分して解散することになったらしいの」

「財産っていうけど、すごい負債だったんじゃないの?でも、それと殺人未遂罪との関連がわかんないわ」

車内電話なので複数会話が可能である。リョーコが横から割り込んできた。

「まあ、聞いて。黄瀬はわざわざ尾道署までやってきて自分がやってきた悪事を全部ぶちまけたの。早く捕まえて下さい、でないと死霊に取り殺されるって。悪事の中にひき逃げがあってね。その霊にも付きまとわれていたっていうのよ。もうノイローゼよねコレ」

「ふうん、完全にノイローゼですね。しかし、交通事故をよく今まで隠せましたね」

「当日、夜半から強い雨が降って、事故現場の証拠を洗い流していたのよ。それでね、ライフウォーターに捜査に行ったら、冷凍倉庫の中に男の人のご遺体があって。半年間氷漬けになってたったわけ」

「ん?半年間?事故当日に強い雨ですか?まさか」

「そうなのよ。夏彦さんのご遺体だったの。海に落ちた夏彦さんは、朦朧としながらもなんとか岸に這い上がって、道路に上がって助けを求めたんだろうね。そこに黄瀬の運転する車が来て轢いてしまったらしいの。轢いた車は別の倉庫にシートかけて保管してあったわ」

「修理もしなければアシもつかないか。しかも轢かれた人は海で遭難ということになっているわけだしね」

とはリョーコ。

「ともあれ、横領していたことは吐いて、夏彦さんの冤罪は証明されたわ。響子さんはあの家を売らなくて済みそうよ」

「よかった。冬樹君もほっとしたことでしょう」

「冬樹君?ああそうね、墓前に報告したでしょうね」

「え?墓前ってどういうことですか?」

「あなた、冬樹君と知り合いだったのでしょう?冬樹君は1年前に亡くなっているじゃない」

「───ええ?何を言ってるんですか。冬樹君はおうちにいたじゃないですか」

「君こそ何言っているのよ。あのおうちには響子さんしかいなかったじゃない」

風人とリョーコは顔を見合わせた。

「いや、見たでしょう?僕が最初あのうちに冬樹君を連れていったとき、真木さんもいたじゃないですか」

「変な人。あのとき貴方がひとりだったから、職務質問したんじゃない。亡くなった子どもの知り合いだからって、突然美しい未亡人宅にやって来る男ってどう考えたっておかしいでしょう?」

「僕、ずっと冬樹君と話していましたよ」

「ちょっと、莫迦なこと言わないで」

「いえ、本当ですって、ねえ、姉さん」

「あああ、風人、ほら冬樹君と最初に会ったとき、ライフウォーターのセミナーの行列についてきて、あの男を見て冬樹君おびえていたけど──」

「ひょっとして、夏彦さんだったのではと言いたいのですか?姉さん?」

風人は話しながら次第に歯の根が合わなくなってくるのを感じた。

車のハンドルを握りつつも、視線は一点を見つめ、まるでバネの壊れたくるみ割り人形のように顎をガタガタ言わせていた。

リョーコも顎の縫製がおかしい犬のぬいぐるみと化している。

「あばばばばばばば」


「ちょっと、どうしたのよ!ちょっと!」

電話の向こうの真木の呼ぶ声だけが軽キャンパーの中でこだましていた。



大原家の庭に車が停まった。

夏彦の火葬を終えた響子が斎場から帰宅したのだ。

運転席のドアが開いて響子が降りた。

喪服の黒いひざ下まであるワンピースの裾が風に翻る。

遠くに海が見えている。

悲劇ではあるが、夏彦の死因が車に轢かれたことと特定され、響子の罪の意識が少しだけ軽くなった。

「冬樹、このおうち売らなくてよくなったよ」

(よかったね、お母さん)

横に立つ冬樹の姿が少し透けていた。

「お母さんを助けるために風人さんを連れてきてくれたのね?」

(ちがうよ。風人さんが僕を見つけてくれたんだ。でもこの人ならお母さんを助けてくれるって思ったよ)

「お父さんも見つかったわ」

(お父さん、ずっと自分を轢いた人達につきまとっていたからね)

「お父さんと会ったの?」

(風人さんと会った時にね。お父さんに引っ張り込まれたら僕も同じような怨念になっちゃうところだった。でも風人さんとリョーコさんに会って、僕のままでいられたよ)

「お母さん以外では、冬樹と話が出来るひと初めてだったね」

(そうだね。そしてお風人さんは───またお母さんに逢いに来るよ)

「そうだといいな」

響子は青い空の下、瀬戸内海からの潮風を受けながら風人が向かったであろう九州、西の方角を見て、少し背伸びをした。

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