第11話 もうひとつのノイズ(1)
5日後、真木は警察官を一人連れ、MK電子の副社長室を訪ねた。
「先日は任意同行に従いましたけど、今度は会社まで来るなんて、しつこい人ですね」
佐藤は真木に対して遠慮のない口ぶりだ。
しかし真木は佐藤の言葉を風のように受けながし問いかけた。
「佐藤さん、亡くなった大原さんの横領、実はあなたの仕業でその罪を大原さんになすりつけた、夏彦さんがもっていたこのデータがその証拠よね」
響子が見つけたデータを紙に印刷したものを広げ、佐藤の座る大きな机の上に置いた。
「だから何回も言ってるじゃないんですか。そのデータはおかしいですよ。夏彦の奴が僕が使ったようにみせかけたんだと思います」
佐藤は作りの良い大きな背もたれの椅子に腰かけたまま答える。
「ふーん。じゃあ、佐藤さんに違う質問。6月14日の夜、どこにいました?」
「それも言ったじゃないですか。その日は経理課が残業していて、僕も片付けなければならい仕事があって副社長室に残っていたって」
「そうよね、証拠のメール、経理課の人達の証言もある。でも」
「でも、なんですか」
「貴方はこの部屋にいたって言うけど、いたところを実際見た人はいないわけじゃない」
「だから、これも何度か言いましたけど、経理の決算書に少し疑問点があって、メールでやりとりをしていますよ」
「そのメール、読みました」
「だったらなんで」
真木は先ほどに続き、メールの送受信票を印刷した紙を広げ、佐藤の机の上に置いた。
「佐藤さんは経理課に2通メールを出してますよね。19時20分と20時05分。その2通のメールだけ、ほかのメールと違うところがあるんです」
印刷された送受信の時刻を指さしながら説明する。
「一体、何をいうかと思えば。どこが違うというのですか。経理課の決算資料を見て、指導をしたメールですよ」
「前もって提出書類に目を通していれば、あの内容は書けると思いますよ。誰よりも社内の状況に詳しい副社長ですもの。それはともかく、あなたの出したメールの送信時間、どちらも秒が00秒なんですよ。ほかのメールは05秒とか37秒とか、どれも端数がついているのに、この二つのメールだけは、19時20分丁度と、20時05分丁度の送信です。何故だと思います?」
「―――」
「そうですよね、これは送信予約したメールだからです。送信時間の予約が時と分までしかなかったから」
「佐藤さん、あなたはこの時間既にこの部屋にはいなかった。マスターキーを持っているあなたは、守衛室の前を通らず、暗証番号を打つことで部分的にセキュリティを外し、裏口から抜けて会社を出た。そして、多分会社から離れた位置で夏彦さんと落ちあい、彼の車で釣り場まで向かった。そこは夏彦さんが転落した防波堤です」
「夏彦さんはあなたが横領していることを知っていて、そのことで何度か咎められていたのでしょう?貴方はそんな夏彦さんが邪魔になり、彼の殺害を計画した」
「どうやったかは知らないけど、まあ大方コーヒーに睡眠薬でも入れて飲ませて、朦朧とした彼を突き落として、貴方は協力者である誰かの車で会社まで帰って来た。違うかしら」
「貴方が会社に帰ってきたのは20時40分。急いで着替えて、何食わぬ顔をして21時に退社した。そして経理課の皆にアリバイを印象付けるためにわざわざ飲みに誘った」
「そんなの、あなたの想像でしかないじゃないか」
「この方法だと犯行現場から時間内にきっちり帰って来れるのよね」
「何を仮定の上に仮定を重ねているんだ。私は横領などしていないし、第一大原は一番の友だ。二人でこの会社の製品を開発して盛り立てて来たんだ。私が大原を手に掛ける理由がないだろう」
「ちょっと調べさせてもらったんだけど」
真木がふうとため息をついた。
「そうですよね、貴方と夏彦さん――大原さんはともにこの会社を発展させた僚友だった。でも」
真木が佐藤をキッと睨む。
「しかし、心の底では大原さんに激しい嫉妬があった」
「それは―――」
「親会社から派遣されてきた大原さんは、最初こそ佐藤さんに色々教わっていたけれど、1年もしないうちに独自で新しい部品を開発し始めた。その出来に貴方は舌を巻いた。実績を残したまま親会社に帰るかと思っていたが、大原さんは亡きご両親の故郷である尾道に永住することになり、親会社を辞めてMK電子に就任した」
「心中穏やかではなかった貴方だったけど、会社のためになるならと表面上は大原さんの就任を喜んだ」
「そして、響子さんのこと」
「ちがう」
「会社に仕事に来ていた響子さんに、貴方はかなりお熱だったらしいですね。清掃のおばちゃんに訊いたら面白おかしく教えてくれましたよ。その響子さんをあっという間に大原さんに持っていかれた」
「もう、10年も前の話だよ。そんなこと根に持つはずないじゃないか」
佐藤の声の抑揚が激しくなってきた。
「貴方は失意の末、響子さんの友達の里美さんと交際し結婚することになった。しかし、数年もしないうちに、いまだに響子さんを諦めきれないあなたの様子を見て、里美さんは情緒不安定になり、精神科に通う羽目になった。こんなんじゃ、XXウォーターにのめりこんでしまうのも仕方ないですよね」
「───」
「そして、里美さんがXXウォーターにつぎ込んだ負債を会社のお金で補填した。最初は少しだったんでしょう。それが積もり積もって、気が付けば3000万円」
「でっちあげだ。どこにもそんな証拠はない」
「で、それをただでさえ弱みを握られたくない大原さんに指摘され、貴方のプライドはズタズタに」
「だから、でっち上げだろ!」
「そのうえ、職場で不倫をしていることまで注意された。大原さんの部下の中条さんとのこと」
「ぐ」
「あのね、私こんな仕事しているから言うのもなんだけど、職場不倫なんて、本人たちはうまく隠しているつもりでも、周りの人にはわかっちゃうものなのよ。特に大原さんは中条さんの上司だったんでしょう?あなたは横領と同時に中条さんとの不倫を咎められた。そうですね」
「ちがう」
「現場に迎えに来たのは中条さんですね」
「何を、何を言ってるんだ」
「ひょっとして迎えに来ただけじゃなくて、中条さんも共犯なの?」
「莫迦なことを言うな」
佐藤は平静を装ってはいたが、机の上に組んだ両手が少し震えていた。
真木はそれを見逃さなかった。
「あれ出して」
真木は隣に立っている若い警察官に言った。
警察官は手に下げているバッグからビニール袋に入っている腕時計を取り出した。
「これ、なんだかわかります?」
「──私が大原にプレゼントした時計だ」
「そうですね。大原さんのこの会社への就任祝いに貴方がプレゼントした腕時計です。調べましたけど結構なお値段するみたいですね」
「確かに高かったが、それが何か」
「大原さんは、6月14日にこの時計を忘れて釣りに行ってるんですよ」
「だから何だというんだ」
「釣りと時間と潮目ってかなり大事ですよね。なんで大原さんは時計忘れたんでしょう?当日は潮目も悪いし月もなく殆ど闇夜です。エギングには適していない。大原さんは釣りにいくのは手段であって、目的はほかにあった。貴方と話をするためです」
「あいつだって、時計を忘れることぐらいあるだろう!」
佐藤の声が大きくなった。
その瞬間、真木は手に持った腕時計を佐藤に向かってほうり投げた。
放物線を描き、飛んできた腕時計を佐藤は両掌を上にして受け止めた。
が、時計から声がした。
「佐藤、おまえにみっつ質問がある」
時計からくぐもった男の声が漏れた。
「ひとつ、いつから、いつから俺を───」
「ひいいいいいいい」
佐藤は悲鳴をあげ、腕時計を両掌に載せたまま凍り付いた。
「ふたつ、何故俺に横領の罪を──」
腕時計を跳ね上げ、佐藤は椅子から転げ落ちた。
椅子から落ちて、カーペットの上に這いつくばる佐藤の顔のすぐそばに、跳ね上げた腕時計が落ちた。
その腕時計から
「みっつ、何故堤防から──」
と、くぐもった声が漏れる。
佐藤は、這いつくばったまま、時計から、逃げようとする。その様子はなるで焼けた砂丘のトカゲのようだった。
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