第3話 シンプルな推理

「質問1、この校舎の閉めなければならない扉って何か所ありますか?」

「東側の扉と、西側の扉と、正面玄関と、職員室の勝手口の4か所かしら」

「質問2、その扉は全て貴方が閉めたのですか?」

「東側と西側と正面玄関は私が閉めます。職員室の勝手口はいつもなら教頭先生が閉めるのですけど、今日は用事があるからって先にお帰りになって、今日はそこも私が閉めました」

「質問3、鍵の大きさは?」

「えーと、これくらいのキーホルダーに体育館の鍵と校舎のマスターキーがふたつつけてあったんだけど」

両手の指だいたい直径5センチくらいの円を描いてキーホルダーの大きさを示す。

風人は顎に指を当ててリョーコに話しかけた。

「姉さん、もうわかりましたよね?無くなった鍵はどこにあるか」

「そうね。今日は夕方ちょっと冷え込んでたからね」

「?」

風人は事務室の中を見回した。

ひとつ向うの机の島に、ベージュの薄いコートが無造作に置いてあった。

「ありましたね」

「ほんとほんと」

ブロッコリーヘアの事務員さんはきょとんとしている。

「あのコートはあなたのものですか?」

風人が指さした。

「そうだけど。あ!!」

女性がコートのポケットを探すと鍵がみつかった。

「なんでわかったんですか?」

「今日、夕方少し寒かったじゃないですか。だから、上に何か着てらっしゃったと思ったんです。鍵を探し始めて最初、ポケットを探したでしょう?あれって、直近の記憶をさぐったわけだから、あまり間違えない。あなたはこの正面玄関以外の扉を閉めて回ったわけだから、ここに帰って来たら暑くなっててコートを脱いじゃったのではないかと。鍵の大きさを聞いたのは上着のポケットには入らず、コートのポケットに入る大きさなのかの確認です。今この部屋暖かいですからね。だから、脱いだ服のポケットにあるか、もしくは同じ所においたかと想像できるわけです」

「へええ、腹話術も凄いけど、頭もいいんですね」

「頭は良くないですよ。ただ物事って難しいようで実はシンプルですから、起こったであろうストーリーを順番にたどり、質問をすることで確信を得たのですよ」

「風人の言う、『物事はシンプル説』ね」

「『シンプル論』と言ってください」

「あなたそういうとこが面倒くさいのよね」

遺跡発掘現場から掘り出された土偶の様に、目と口をぽかんと明けた事務員を背に風人は事務室を出ると、駐車場に止めた白い小さなキャンピングカーの助手席を開け、リョーコをそっとおろした。

風人が運転席側から乗り込むと、リョーコは風人の胸に飛び込む。

丸い目を更に丸くして、リョーコは風人の顔を舐めた。

「さて今夜はここで過ごすよ姉さん。学校の駐車場って、料金かからないからもう最高」

そういうとリョーコを助手席におろした。

リョーコは軽キャンパーの後席にあたる小さなリビングのソファに寝転んだ。

風人はリョーコをひと撫でして、親子劇場の人たちが作ってくれた小夜食をパッカーから取り出し、車載の小さな電子レンジで温め、テーブルの上に置いた。

リョーコがソファから立ち上がり、前足をちゃぶ台ほどの小さなテーブルにかけて風人の食事を覗き込んだ。

「美味しそうねそれ」

「でしょ。しかも差し入れなのでタダ!余計美味しく感じます」

「風人は見た目は美形なんだけど、このせこさがねえ。これがなければ彼女も出来るだろうに」

「彼女?人語をしゃべる犬を連れてる段階でアウトだと思いますけど」

「えー?風人に彼女が出来ないのは私のせいだっていうの?」

「一般的ではないと言ってるだけです」

「ふん。あ、ちょっと、私のご飯は?」

「姉さんのはこっちですよ」

風人は公演が始まる前にコンビニで買ったわんこ用の無添加おやつを小さな皿に乗せて、顔を斜めにして風人のお食事を覗き込んでいるリョーコの前に置いた。

リョーコがぱりぱりと小さな口でおやつを食べる。


風人はこの車を軽キャンパーと呼んでいる。軽のワゴン車を改造して、小さなキャンピングカーに仕立てたものだ。風人は仕事でトイプードルのリョーコとともに全国を旅しているが、動物を同伴して泊まれる宿と言うのは数えるほどしかない。

しかしこの軽キャンパーならば、駐車場さえ借りられれば宿泊できる。

風人は人形劇を上演する会場が決まると、事務仕事の傍ら、まずその近くに車を停める場所があるかを確認する。

たいていはオートキャンプ場を選ぶのだが、今回は学校側の好意で職員用の駐車場に停めても良いと許可をもらった。ただし、周辺に民家があるのでエンジンをかけるときは気を遣いそうだ。

楽しい晩餐のひと時を過ごす一人と一匹を乗せた軽キャンパーが停まる小学校の駐車場を、上弦の半月が煌々と照らしていた。


翌朝、小鳥の鳴く声に混じって、カリカリという小さな音がする。窓ガラスをリョーコが爪でひっかいているのだ。風人はその音で目を覚ました。

明け方少し冷え込むので、少しだけエンジンをかけ暖房を入れたまでは良かったが、その後深く眠ってしまったようだ。

時計は7時を少しまわったところだ。

風人は鏡を見ながら手櫛で髪を粗く整えると、上着を羽織り、棚からリョーコのハーネスを取り出して装着させ、リードの金具を取り付けた。リョーコが窓をカリカリ掻くのはトイレに行きたいということなのだ。

風人はスライドドアを開けて、リョーコを駐車場にそっと降ろし、リードをいっぱいに伸ばして細い路地を北へ歩いた。

小さなトイプードルがちょこちょこと走る姿はとても愛らしい。風人はエチケットシートが入った布製のバッグを肩から斜めにかけている。

ひんやりとした朝の空気が気持ちよく、昨夜親子劇場の人たちに教えてもらった児童公園にすぐに着いた。公園の芝は朝露で少し濡れていた。

ちょこちょこと走るリョーコが急に止まり、芝の上でおしっこをした後、大の方も始まったのでバッグからエチケットシートを取り出し拾う。

最近のエチケットシートはよくできており、ビニール袋と紙袋の二重構造になっている。

ワンコと散歩のおり、大の方をビニール袋ごと紙袋で取ることができ、包んだ紙袋ごと流せるのだ。

風人はそのまま公園まで行き、水洗トイレに流した。

「ふう、今日もたくさん出たね姉さん」

ウンチを流し終わった風人がリョーコの顔をまじまじと見て呟くと

「そういうことは黙っておくのがエチケットよ」

とリョーコがキッとした顔で睨んできたので風人は頭を掻いた。

散歩を再開し、小学校の横を通り、山陽本線をまたぐ陸橋を渡り、尾道商店街のモールを歩いた。まだ朝早いのでどの店も開いてはいない。商店街を途中で抜け、「海の見える公園」に着いた。中央に金色の女神の像があり、花壇に色とりどりの花が咲いている。防波堤はタイル張りのように整えられていて青い空にとても映えていた。

防波堤の外は海だ。向島が比較的近くにあるので、大きな河の様に見える尾道水道だ。

向島の港には船荷を積み込む大きな水色のクレーンが立っている。

風人はベンチに座った。潮風が気持ちよく、行きかう小さな船の音に混じり海鳥の鳴く声が遠くに聞こえる。

リョーコは風人の膝の上だ。

「今度はあの海を渡って行くの?」

リョーコが顎の下から風人を見上げて言った。

ベンチの上から陽の光をキラキラと反射する尾道水道を見て風人は目を細めた。

海の小さな波が金色の鱗の様に朝の日差しを反射していた。

東、風人からは左のはるか遠くに新尾道大橋と尾道大橋が重なって見えている。そこを指さし、

「あっちに見えている大きな橋を渡って四国の愛媛松山までいきます。ここからは見えないけど、因島、生口島、大三島、伯方島、大島という島々を渡って。それぞれの島の間に綺麗な橋がかかっていて、とてもいい風景なんですよ。姉さんに見せたいと思っていました」

「へー」

風人にとっては思いがけない、抑揚のないリョーコの返事だった。美しい風景はリョーコにとってさほど興味がないようだ。

「食べるものも美味しいんですよ」

「へー」

「松山の手前の今治に、評判の道の駅があって、美味しいローストチキンが売っているそうです。調べたところ添加物使ってないから姉さんもまるかじり出来るはずです」

「へええ?え?ローストチキンまるかじり?!行くいく!!」

ぴょんぴょん跳ねるリョーコ。

「やる気出てきましたね」

「行くいく、今治に行く」

「やる気になってくれたのはうれしいですが、道の駅にいくのは松山で演劇ひとつ終わらせてからだから三日後ですね。それに、今日は出発までに尾道を少し歩きますから」

「えええ?三日後?まじ?まだ歩くの?」

 ぴょんぴょん跳ねていたリョーコは日向に干した白菜のようにしんなりと萎れてしまった。

「尾道に来て、街並みとお寺を観ないわけにはいかないでしょ」

「ちょっと歩くのならいいけど、たくさんはやだなあ」

「姉さんが歩くのしんどくなったら、僕が抱っこして歩きますから心配しないでください」

「風人って、ほんと観光地歩くのが好きだよねー」

「歩くのはタダですからね」


風人は駐車場まで戻ると、学校に来ていた教頭先生に挨拶をして、軽キャンパーで浄土寺へ向かった。しかし浄土寺の近くに駐車場を見つけることがなかなか出来ない。うろうろ探しているうちに尾道駅の近くまで来てしまい、やっと停める事が出来た。

駐車場から歩いて10分ほどかかり、浄土寺に着いた。

「ここって、聖徳太子が作った寺だそうだよ」

「聖徳太子って誰?あ、昔の日本で酥(そ)を食べてたひとだ」

「姉さんの思考のマイルストーンは食べ物ですよね」

「こんな体だから、食べられるものは限られるけどねー」

「酥って確かヨーグルトですよね。コンビニで甘味料入ってないやつ買いましょうか」

「え?このお寺もう出ちゃうの?風人が好きそうな作りの建物だから中に入るのかと思ってた」

「こういうところって、ほんとはわんこを連れては入れないんですよ」

「えー、そりゃ悪かったわね」

「いえいえ。ここから観れるだけで十分です。姉さんと一緒にね」

風人はリョーコを抱き上げ、顔を並べて浄土寺を背景にスマホで自撮りした。

風人が自撮りしている横を、お坊さんを先頭に数人のツアーらしき列が通過する。

 話を聞いていると、どうやらお坊さんの案内で七つの寺を解説付きで巡る「七佛めぐり」なのだとか。

 風人はお坊さんに許可をとって、その一行について歩くことにした。各お寺での解説が面白かった。

浄土寺から徒歩1分で海龍寺へ、そこから次の西國寺までは15分ほど歩いた。リョーコは早々にギブアップしたので、ぱっと見は赤ちゃんの前抱きハーネスに見える布製のケージで前抱きにして歩いた。わんこ連れだと入れない施設は多いが、ケージに入れていればOKの場合も多い。そうこうして、大山寺、千光寺からロープウェイを使って天寧寺へ、持光寺を見て回った。持光寺でお坊さん一行ツアーの人たちに手を振って別れ、尾道駅へ向かった。一通り寺は見終わり、抱っこされているとはいえリョーコはヘトヘト。気が付けば、正午を過ぎていた。

「さて、それじゃお楽しみの食べ物いきましょうか?」

「ああもう、へとへとよ。あたしが食べられる美味しいモノありますように」

「無かったらプレーンなパンでも買ってあげますよ」

「いろんな観光地のいろんな土産屋さんに行くけど、私が食べるものって八割がたプレーンなパンよね?」

ブツブツ呟くリョーコを布製ケージで抱いたまま、風人は今朝歩いた商店街モールへ向かった。

大きな土産物屋で定番の瀬戸内レモンケーキと八朔ゼリーを買い、お店の中で劇団本部事務所に送る手続きをした。

お土産を本部に送ることも経理担当の仕事の一つでもある。

「このお土産っていう風習にどんな意味があるのかしら」

自分が食べられそうなものをなかなか風人が買わないので、リョーコは巻き毛の頬をぷーと膨らませて嫌味をひとつ吐いた。

「派遣された地域で無事上演出来ましたよっていう報告書みたいなものなのですよ。本部とのコミュニケーションにもなりますし」

「ふうん。じゃあ経費で落ちなくても買う?自分のお金で?」

風人はスンとした顔になりリョーコを見た。

「買うわけ無いですよ」

「秒で否定したね」

「あ、そうだ。酒匂先生にも何か特産物を送らなきゃですね。何にしましょう」

「あの飲んだくれに送るものってお酒に決まってるじゃない」

風人はお店のレジの前に貼ってある酒の広告を見て、

「すみません、このお酒を東京まで送りたいのですが」

と店員さんに話しかけた。

「申し訳ありません、その商品は在庫が切れていて、発送は明後日になります」

「明後日ですか、ぜんぜん構わないです」

風人はリョーコに同意求めたのか、顔を覗き込んだ。

「いいんじゃない?美味しいお酒さえ飲めたら文句言わないわよあの人」

リョーコと風人が話すさまを、レジにいた店員は目を丸くしてみていた。

「でも」

 リョーコが何かを思いついたようにつぶやく。

「でも何です?」

「あさって発送だったら、送り状もあさっての日付けでしょう?私たちがずっと尾道にいたみたいじゃんね」

「なるほど、でもその頃は松山にいますけどね」

風人が笑った。

「さて、では姉さんの食べるもの探しましょうか」

食べ物の話をしたら少し元気を取り戻したリョーコを、布製ケージから降ろし、リードを引いて商店街を歩いた。

 土産物屋を出て歩道を歩く一人と一匹。

「あのパン屋さんに行ってみましょうか。なんだかお得そうな匂いです」

「美味しそうなでしょ?さあ行くわよ!!」

リョーコは薄いオレンジ色の四角いコンクリート板が敷き詰められた歩道でくるくる回り、後ろ足で立ち上がってぴょんぴょん跳ねた。

食べ物や土産物屋の試食コーナーの良い匂いが漂い、リョーコの黒く小さな鼻がくんくんと動く。

歩道を歩く二人はパン屋に向かって加速しはじめたが、スーツ姿の男女の十数名の行列とすれ違う。

狭い歩道では、行きかう人の邪魔になるので、風人は再びリョーコを抱き上げ、前抱きにして歩いた。

先頭の「XXウォーターセミナー」というプラカードを持った女性がどこかの建物を指さした。すれ違った先で、

「今回のセミナーはこちらです」

という声が聞こえた。行列の一番後ろから少し離れたところを、男が歩いていた。黒っぽい服の上に表情が見えにくいフードをかぶり、救命胴衣に似たベストを着ていた。

 風人はその男が妙に気になった。

不意に歩を止める男。その視線の先には、バス停でベンチに座っている10歳ほどの、小学生の男の子がいた。

灰色の薄い上着を着て、デニムのズボンをはいている。青いプラスチックのベンチに腰掛け、バスが来るであろう方向を見ている。

普通ならここで何気なく通り過ぎるところなのだが、ベンチに座った少年が振り返り、フードをかぶった男に気がついた。すると男を見た少年がひどく怯え始めた。男はふらふらと少年に歩み寄った。

その光景は風人に不穏な何かを感じさせた。

不意に、男は少年に向かって手を伸ばした。延ばされた手が少年の肩を掴もうとする。少年は蛇に睨まれた蛙のように動けない。

その一刹那、風人はバス停の時刻表を指さした。

「何をしているんですか!」

遠隔腹話術で時刻表から風人の声がする。男にしてみれば、時刻表がしゃべったように聞こえただろう。男はゆらりと少年から離れた。まるで金縛りにあったように動けなかった少年は、この声をきっかけに解き放たれ、風人の方に逃げて来た。

少年の顔は怯えている。

男は空洞のような目で少年が走り去った先にいる風人を見た。フードのせいで表情がよく見えない。風人は背中のうぶ毛がちりちりと逆立つ感覚を覚えた。

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