第四章 マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン 6
翌日、何事もなかったかのように拓真が登校してきた。
「大丈夫!?」「もう何ともないの!?」「ごめんね、わたしたち。拓真くんのことも知らずに」囲むクラスメイトたちに拓真は一言、
「うん」
とだけ頷き席に着いた。それきり無言。皆も囲んだは良いが、次にどうしていいか分からない様子で、「うん」「ごめんね」などと言い残して散っていった。
その輪の中に夏希の姿はない。
「……」
夏希は昨日と全く同じ姿勢で自分の机にいた。あれから教室に戻り(ちなみに愛は戻らなかった。いつものことだ)、三時間目以降ずっと一人。昨日、一人寂しく帰る姿を俺は見た。その次の瞬間には夏希の後を追って走る陸の姿も見た。一緒に帰ったかどうかは知らない。門を越えて見えなくなったからだ。二人を見た奴はクラスにもいるんだろうが、囃し立てるような奴がいなかったのは幸いか。たぶん皆、「夏希ちゃんが?」と心のどこかでは引っ掛かっているはず。現に俺はそうだった。
――陸ってこういう行動する奴だっけ。
最近あいつも、少し変わった。
「夏希ちゃんについてはどう思う?」
昨日あの後――。
まだ時間はあった。残りの時間、愛は気になっていただろうことを訊いてきた。
「夏希は誰にでもああだったからな。自分がああやって言うことで、男子が戸惑うのが面白いんだろ。が……、実際に実行するかって言うと」
「君もチョコは貰わなかったのかい。日曜日も二人で買い物に出かけたりしなかったのかい」
「ねーよ」
「ぷふっ」
愛が吹き出した。
「なんだよ」
「いいや。三十路が小学三年生にバレンタインチョコ貰えるか期待してる構図がなんだか面白くって」
三十路言うな。べつに期待してないが。そもそも貰えないこと自体知ってたし。しかし、ここで言い返すとそれこそムキになっているみたいだから黙っておいた。
「わたしも、夏希ちゃんが拓真くんと話している姿は見たことないな。この前みたいな一方的に夏希ちゃんが話し掛けているのはそりゃあるんだろうけど」
「拓真のアレルギーを知っていた奴がチョコを贈った犯人だとするなら……」
「同じ地区に住んでいる人間。それこそ幼馴染とかね。誰かいるかな。ていうかわたし拓真くんがどこに住んでいるかなんて知らないよ」
「あいつは確か家が若鷺の方だ。覚えてる。けっこう遠いからな。数は少ない。若鷺地区はバス通いだったはずだ。そうすると。いや?」
「バス通いってああ。うちのクラスに一人いたね。学校前のバス停で待っているの見たことある」
「ううん。そうだが。あいつはあの時……」
俺と同じ人間が浮かんだのだろう。愛と目が合った。俺自身は「あいつが?」という気がした。表情を読んだのか愛は首を振った。
「予断は禁物。同クラス内とは限らない。同じ若鷺地区に住む違うクラスの人かもしれない。年下年上、家族、事情を知っていそうな先生。可能性はいくらでも残ってる」
推論が感情に左右されそうになっている俺と違い愛はどこまでも冷静だった。けど流石にそれは目を広げ過ぎなんじゃないか? 拓真に兄弟姉妹はいなかったはず。年上年下に好かれる方かというと、分からないとしか言えないが。俺の知らないところで良い先輩後輩関係を築いていたのかもしれない。しかし、年上年下と話しているところなんて見たことないのは事実。今までもこれからも。先生は、ねーよ……と、言いたいところだがこの前の一件がある。決めつけはよくないだろう。だが今は担任不在。可能性は薄いと見ていい。あるとしても同学年の別クラスくらいだろう。
「ま、とはいえわたしはなんとなく見えてきたけどね。今回の一件。本人が復帰してきたら聞いてみるとしよう」
愛は気軽に言った。その言葉でピンと来た。
「なるほど分かった。拓真の自作自演――つまり、見栄だな? 男にとっちゃ貰ったバレンタインチョコの数は一種ステータスだからな。気持ちは分からんでもないぞ?」
愛が呆れるように溜息を吐いた。
「見栄で病院に運ばれるとはね。ある意味男らしい」
その反応で分かった。お前の思っていることとは違ったんだな。ハ。しかしまあ、可能性としては捨てきれないだろう。いいさ。本人に聞いてみれば分かることだ。無論答えてくれればだがな。愛は俺の見ている前で億劫そうに腰を上げた。ベッドから飛び降りる。その動作になんだろうと俺は訝しむ。「はああ。あーあー」と、わざとらしく再度溜息をあげた。保健室に設置してある冷蔵庫へと向かった。なんだこいつ。そうして中から取り出したのは。
「いるかい。ステータスなんだろ。軽く百はある」
「封開けてんじゃねえか」
愛が開封された麦チョコの袋を差し出してきた。袋に手を突っ込み自分ももしゃもしゃと頬張っている。けっこう食ってあるし。半分程失くなっている麦チョコの袋から二三粒取り出し口に放り込み、俺は今し方愛が開け閉めした冷蔵庫を見つめた。
「お前のサボり。これ、保健室の先生もグルじゃねえだろうなあ」
「ありがとうくらい言えよ、三十路」
普段より口調がキツい愛が、頬を膨らませたまま顔を真っ赤にして怒っていた。
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