第三章 霞ヶ丘小女子児童自殺騒動18
チャプター33 崎坂家 愛の部屋
「底のある硬いブーツでね。思い切り顔面を蹴られたんだって。その際に前歯三本を失ったそうだよ」
受けた言葉のあまりの重さに、俺はそのまま崩れ落ちそうになった。
かろうじて堪える。
俯き、顔を上げると、愛が真っ直ぐに俺を見つめていた。何故だろう。糾弾されているような気持ちになっている。いや、分かってる。防げなかったんだ。未来人なのに。知っていたのに。夢で見ていたのに。
違う。愛がそんなこと考えているはずがない。でも。だけどさ。
愛の目の下には大きな隈があった。泣き腫らしたのか眠れなかったのか、どちらもか。
この二週間、愛は学校を休んでいた。期間としては四組の中でも一番長い。
「Do I feel lucky? そこだけ切り取るとこれ以上ない皮肉だね。絵里ちゃんがそれを知っていたとも思えないけれど。誰かに聞いたのかな」
相変わらず。呼んでおいて説明する気があるんだかないんだか。
俺は視線で先を促した。確かに、そんな言葉を絵里は死ぬ間際言っていた。言葉の意味は俺の英語力でも分かったが、しかし、何故そんなことをその時言ったのかまでは理解らなかった。以前も感じたことだが、愛と絵里は、学校とは別に、何か家同士の繋がりがあって前から知り合いだったのかもしれん。仲良かったどうかは知らない。
「ずっと、考えていたんだ」
愛はそんな俺の疑問を無視し続けた。
愛の部屋は広かった。
畳敷きで、二十畳はあるだろうか。一階の中庭にある池の真ん前に位置している。本来ならば客室として使うような部屋じゃないだろうか。一番景色の良い場所を与えたとでも言うような感じがした。床には小説や漫画や映画のビデオテープが積み上がっており、棚は大きく数もあるが入りきっていない……以前に入れるつもりがないように思えた。
整理出来ない性格なんだろう。
昼休み、保健室を尋ねると当たり前のように愛がいた。愛は言った。「放課後、わたしの家に行こう。長くなる」と。愛の家までは終始無言だった。
「何を?」
「絵里ちゃんのこと」
愛は視線を逸らし、庭を見た。池には氷が張っている。
「元町先生の部屋から絵里ちゃんが暴行されている写真が見つかったそうだよ」
「暴行……」
「強姦と言った方がいいのかな。裸に剥かれて――」
「小学生だぞ!!」
思わず、叫んでいた。信じられなかったからだ。教師が。それも、俺たちがずっと教えられてきた、六年間一緒だった、その後も霞ヶ丘小に在籍していた、あの、元町先生が。
「他の子の写真も見つかったそうだ。二人。最も、その子たちは霞ヶ丘の生徒じゃなかったようだけれど。どこのどういう子なのかは未だに分かってないらしい。彼の教員履歴を辿ってみても、ね」
恐らく、父経由で聞いたのだろう。
「順を追って話そう」
愛は再び視線を戻すと言った。
「回転塔事件の後」
そこまで{遡|さかのぼ}るのか。
「保健室でわたしと良夫くんとが話していた時に絵里ちゃんがやって来ただろう?」
「ああ」
そんなこともあった。
「たぶん、あの時絵里ちゃんは扉の前でわたしたちの話を聞いていたんじゃないのかな。入ってきた後も、良夫くんは絵里ちゃんに色々と言っていただろう? 歯がどうとか。扉の前で聞いた会話、自分があのまま行けばどうなっていたのか、君の口調の変化、君からの質問の内容――答えは出ないまでも、絵里ちゃんは良夫くんをどこか特別視していたのかもしれない」
「そんなことは……」
いや。言われてみれば、絵里とあんなに話したのは初めてかもしれない。それに、この事件以降絵里はめっきり話さなくなる。
「これが前提として」
「前提?」
「事前知識と言った方がいいかな。まず結果から言おうか。君の言葉を借りれば――」
「?」
「――玉突きが起こったんだ」
玉突き。つまり、役割が代わった。俺とレンのように。
「先生が鳥雲会に出入りしていたという良夫くんの推理はどうやら間違ってはないらしい。望んで自らの私財を手放し、鳥雲会に収めていたことも後の警察の調べにより判明した。そんな先生に奥さんもほとほと疲れ果てていたんだろうね。
娘さんも含めて奥さんとは既に別居状態だった。もう二ヶ月になるらしいよ」
『整理したんですよ』という、あの時の光景が頭に浮かんだ。離婚事態は大分後だったということか。
「同居人もいなくなり、いよいよ先生の歯止めが利かなくなってきた。が、しかし。鳥雲会に預け入れられる、持てる私財がもう残っていない。さあ、先生はどうしたと思う?」
「俺たちに狙いを付けたわけか」
「私立の、エスカレーター式学校に通うお坊ちゃんお嬢ちゃん。狙い目だっただろうね。餌が、目の前にうようよ泳いでいる気持ちだったろうよ。しかもそんな餌たちは自分たちが狙われているとも知らず、この後の予定をぺちゃくちゃと教室で喚き散らしている」
成程な。ああも大声で話していれば先生にだって聞こえているか。中学、高校と違って科目ごとに先生が交替するということもないから、先生は教室によくいた。
あそこで座っていた。……座って、耳を傾けていた。
「そして、先生は先生だ」
「先生は先生だ?」
「連絡網に、春先の、年一度の家庭訪問……住所は元より家の構造、どんな家に住んでいて、どれだけの生活をしているのか、それらを簡単に知れる環境にあるだろ。
他にもあるよ。習い事はしているのか、またそれは何時から何時までか、親の仕事は、仕事は普段から遅くなるのか、その時、家には誰もいなくなるのか。心配を装えばいくらでも聞き出せる。そういう仕事にある」
俺は……どうだったかな。流石にそこまで覚えちゃいない。が、言われて一つ思い出したことがある。
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