第三章 霞ヶ丘小女子児童自殺騒動16
チャプター31 五時間目開始五分前
キーンコーンと予鈴のチャイムが鳴ったタイミングで教室後方の扉からレン、愛、良夫の三人が入ってきた。カーンコーンで前方の扉から元町弘樹が入ってきた。
教室に残っているのは計十一人。それぞれがそれぞれ、前と後ろに目を向けた。愛を見て変な顔する女子たちが三人いた。愛は一瞬怯んだ。が、
「はい、五分前行動。もう着替え終わっている人は校庭へ行って、まだ着替え終わっていない人は早く着替えましょう」
という、元町の声でその三人が教室を出て行った為、愛はほっと胸を撫で下ろした。その子たちはもう運動着だった。
銘々が行動を始めた。
同じく、既に着替え終わっていた男女二人が仲睦まじげに、手を繋いで教室を出て行った。
元町弘樹は全員の行動を監視するように教卓の前に立ち、腕を組み仁王立ちした。いつもの動作だった。いつもこうして体育前、遅刻する者がいないかを確認をしていた。
菊は絵里の机を離れ自分の机に向かった。掛かっていた巾着袋に手を伸ばし、中から運動着を取り出した。そのまま器用に衣服を着用したまま運動着に着替え始めた。松司は教室後方のロッカーに向かった。ずっとロッカーに突っ込んだままの運動着を手に取った。汗の臭いに顔を顰めた。既に朝から運動着だったレンは入ってきた扉の前で手持ち無沙汰に立っていた。良夫と愛は教室の中程を横切り己が机に向かった。愛はチラチラと、絵里を気にしつつも、横に掛かっている巾着袋に手を伸ばした。良夫も同じく手を伸ばしたが、そこに巾着袋が掛かっていないことに気が付いた。周囲をキョロキョロしだした。横にいる愛が首を傾げた。良夫は、ふと、絵里に目がいった。じっと、巾着袋に手を突っ込んだまま動かず俯いていた。良夫たちが教室に入ってきた時には流していた髪をいつの間にやら後ろで括ってポニテールにしていた。ロッカーに向かって歩きながら、見覚えあるな、どこだっけ、と記憶を探った。絵里の真横まで良夫が歩いてきた時、絵里が左手でマスクを外した。ポニテールにしたことで横からでもよく見えるその表情は、何か決意に満ち満ちているようだった。次に、巾着袋に入れていた右手を絵里はやっと出した。運動着は握られていなかった。代わりに、小学生の体には大層不釣り合いな馬鹿みたいに大きな拳銃が握られていた。後日それがスミス&ウェッソン社のM29だと警察によって判明した。元町弘樹は口をぽかんと開けてその動作の一部始終をただ見ていた。菊は頭まですっぽりとスウェットを被っていた為に何も見えていなかった。レンは寒さを感じて扉を閉め視線を逸らしていた。松司は絵里の着替えの瞬間を期待を込めて見続けていた。何か見えるんじゃないかという期待からだった。良夫はぼんやりとしていた。夢心地と言ってよかった。夢とおんなじだった。愛は運動着を放り出した。良夫と話すようになってからの数々の出来事が、最悪の形で繋がっていったのを知った。絵里は、これを撃つ時はこう言うんだよという刈谷の男らしい言葉を思い出していた。「どぅーあいふぃーるらっきー?」と拙い英語でぼそぼそ呟きながら両手をゆっくりと構えた。全部は流石に思い出せなかった。愛ちゃんなら言えるかなと思った。引き金は絵里が想像していたよりもずっと重たかった。教室を通り抜け学校中にその音が響き渡った。元町弘樹の眉間のど真ん中を弾が通り抜けた。脳漿と血を撒き散らしながら黒板にまで吹っ飛んだ。薬莢がカランと音を立て床に落ちた。良夫は腰を抜かして床にへたり込み椅子に頭を打った。菊はスウェットを被ったままあまりの轟音に硬直していた。レンは今し方倒れた元町弘樹が勢い余って女の子座りになっていることがどうしてだか気になっていた。松司は上半身裸のまま固まっていた。現実を手放していた。絵里は「腕、取れちゃいそう。耳が」と漏らした。愛は次に絵里がするであろう動作を正確に予測した。そして、やはりその通りになった。絵里は教室を見渡してから「ばいばい」と呟いた。良夫、それからすぐ目の前まで駆けてきていた愛と目が合った。絵里がこめかみに拳銃を押し当てた。二発目が放たれた。最後に見せた絵里の笑顔には、これまでずっと彼女にあったはずの輝きが失われていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます