第二章 霞ヶ丘小男児四名遭難事故4
実際山深くまで入ってしまえば、そんなことはないのだろうが、こうして山の入り口に足を踏み入れてみると、この辺はまだ木が少なく多少は人が通れるようになっているし、そもそもその数少ない木に、季節もあって葉が茂っていないから余計に明るく感じる。
照り返しもあるか。
「雪が弱まってきたね」
ぎゅっぎゅ、と雪を踏み前へ前へと進む少女。
足先はブーツで、全身をスキーウェアみたいな防寒着で包んでいる。なんだかシルエットがもこもこしている。片手に懐中電灯、背中に大きなリュックサック。
「えらい装備だな」
俺もダッフルコートじゃびしょ濡れになる危険があると見て、愛に真っ赤なジャンパーを貸してもらった。サイズは一緒だった。
ちなみに。
途中寄った愛の家はやたらに大きかった。周辺は土地代も安いだろうが、それでもおおと思わせるほどに大きい家。屋敷と呼ぶべきか。
……予想通りというべきか。
流石は私立霞ヶ丘小学校校長の娘である。
俺のいた時代、今でもこの屋敷は存在しているんだろうかと思った。
「万が一を考えてね。さっと行ってさっと連れて帰るつもりだけれど、何があるか分からないのが山だしね。八甲田山だなんて御免だよ」
意識が引き戻される。ただひたすら歩くだけの行程ってのは、いらぬことをつらつらと考えてしまうな。景色があまり変わらないのも意識をぼうっとさせる。よくないよくないよくない。
返事がないのを訝しんだのか愛が振り向く。
「なんだ。知らないのかい。新田次郎の。映画有名なのに」
「すまんな。映画は専門外なんだ」
「またそれかい。じゃあなんなら専門なんだ」
呆れるように白い息を吐いた愛を見て、言ってもいいかなと感じた。別に隠すことじゃない。
「漫画」
「漫画?」
「ああ。俺は漫画家だからな。これでも。……どうした」
愛が立ち止まった。ぽかんと口を開けている。
「営業の人かと思ってた」
「元営業だよ。最も、今でも営業はやっているがな」
「?」
今度は愛が首を傾げる。
「やりたいことやっているだけじゃ食っていけないんだよ。アピールしなきゃな。これからどんどん競争社会になるんだぜ? 俺らの時代にゃ、やりたいことやってる奴はみんな営業やってるよ」
「夢のない話だね。サラッと未来のこと明かされたけど」
再び歩き出した。
「お先真っ暗だ」
人の手が入っていない獣道に差し掛かった。
ゆるやかだった斜面が急に勾配を増していく。樹木の数は自然多くなっており、愛の言う通り、先には闇が口を開けている。
目の前を歩む少女。
俺はどうにも訝しむ。なんというか、足取りが妙に軽やかなのだ。景色の変わらない雪山に入っているにしては。一定の方向を定めて歩いているように見える。
そういえば。自転車の時もずっと真っ直ぐ進んでるように思えた。近所だったからかもしれないが、来る前の発言。
『――あの山に登るだなんて』
『だいたい、なんであんな山に。何にもないよ、あの山』
会話の流れ的に全く違和感がなかったものだから今まで流していたけれど、何かを知っているようにも思える。そう聞こえなくもない、という範囲だが。
ニュアンス、俺の感じ方の問題か? この山の険しさだとか、危険さだとかを知っているように……思えなくもない。と、思える。
後の発言。ううん、やっぱり言い切っているのが気になるな。何にもないだろう、ならまだ分かるんだが。ううむ。
たかが子供の発言に穿ち過ぎだろうか。
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