第二章 霞ヶ丘小男児四名遭難事故5
●陸
腹が減っていた。
もう暗いし、さっさと帰りたかったのだが、目の前を歩むこいつはこっちが否定すると、すぐに怒り出すことを知っていた。そうなると面倒臭い。こいつは明らかにこっちを下に見ている。そのこと事態はいい。どうせ自分はこいつには敵わない。というより、クラスの中で適う奴がまずいない。理不尽な物言いには辟易するが、恭順を示していればそこそこ楽しい想いをすることもあるし、何より、あんまり反発して変に良夫みたいに扱われるのも御免だった。
――良夫。
昨日のあいつ、いや、今日のあいつも含めてだが、どこか様子が変だった。
良夫が何を考えているか分からないところはいつものことだが、あんなに明るく、雄弁な方じゃなかったはずだ。いつももごもごと口を閉ざし、考えを外に出すことをせず、こちらを伺っているような奴なのに。
……今日のは眠そうだっただけか。
「よっし。お、見ろよ。動物の足跡あるぜ。ここらでちょっと分かれて探さね? 俺こっち行くから陸そっちで。レンは」
「ああ、じゃあ俺は適当にぐるっと回っとく。近くにいるかもでしょ」
「じゃあそれで」
開けた空間に出た。首を巡らして登ってきた方向にやってみると、木々の隙間から僅かに町並みが見えた。もう明かりの点いている家もあった。
急に不安になる。
自分だけか。レンが相変わらず飄々とした様子なのも、どうしてだろうか、今日は見ていて不安になった。
「なあ、これいつまでやんの?」
「なん? まだ登ったばっかじゃんか。そりゃ、UMAなんかいねえかもだけど、なんかしらいるだろ。見たくねえの」
べつに何も見たくはなかった。
「狸とか狐とか? 見つけたらどうするの」
「一旦ここに戻ってこよう。そんでその場所まで三人で行って捕まえようぜ。捕まえたらどっか閉じ込めておいて、今日すっぽかした良夫に見せてやるんだよ。あいつん家行って犬と戦わすのも面白いかもな」
面白くない。どっかってどこだ。
良夫はともかくジョンが可哀想だ。
捕まえるのも嫌だった。物凄く汚ないだろう。捕まえるのはどうせ自分がやる羽目になる。
見つけても何も言わずに言おう。見つけるつもりもないが。
ぐうと鳴る腹を抑えながら陸は決心する。
が、
進もうとした方角、草むらの影に黒っぽいものが落ちていた。ひと目で分かってしまった。動物の糞。何の糞かまでは分からない。一歩二歩三歩と足を進めた。チラリと目をやって、松司が先に行ったことを確認する。草むらの影に隠れ、足跡は真っ直ぐに続いている。
少し、気になった。
▼レン
カードキャプターさくらが始まってしまう。
レンの頭にはそれしかない。
半ドンだからと高を括って今日は付き合った。キリの良いところでささっと帰るつもりが帰るに帰れない雰囲気になってきている。
松司に関してはどこからどう見ても意固地になっている感じがするし、陸に関してはいつも通りにいつも通りで嫌そうな顔をしながらも結局最後まで松司に付き合うつもりだろう。
――帰るか。
皆が探しに行ってる間、待ち過ぎて置いてかれたーと思ってもう山降りちゃったよ、よし、これで行くことにしよう。自転車は……まあ、どうにかなるだろう。暗くて見えなかったとでも言っておけばいい。
そうと決まれば話は早い。レンは二人が去った方向を見る。陸はどこかおっかなびっくり、松司は大股でずんずん先を歩んでいるが、時折方向が合っているか確認するようにしている。こちらは気をつけねばならない。すぐに引き返して来られたら堪らない。
全く。
良夫が羨ましかった。
いつもいつも勝手にいなくなったり、一人好きなことして孤立しがちだったり、下に見られていたりするのに、あまり気にした素振りもない。
昨日だって。
レンが密かにずっと憧れていた崎坂愛といきなり仲良くなっていた。問い質すまでいかなくとも、何を話しているのか聞こうとしたら、あんなことがあって、あれよあれよとこんな状況にまでなっているが。
――どうしてあいつら、いきなり仲良くなったんだろう。
愛。
愛。
愛はどこかカードキャプターさくらに出てくる大道寺知世に似ていた。それから、魔法陣グルグルに出てくるジュジュ。そっちの方が似ているか。つまり、レンの好みなのだ。お嬢様っぽい感じが。霞ヶ丘小はお嬢様が多いが、如何にもお嬢様っぽい雰囲気を持つ奴はいない。
愛以外に。
止まっていると不自然か。
適当に周囲を歩き回りながら考える。
昨日のこと。そういえば、昨日、あいつらは、あんな事態が起こることを知っている風だった。悪魔でもレンがそう感じただけで、これと言える確証はないのだが、二人とも焦っている雰囲気は伝わってきたし、松司――そう、二人共、松司を異様に気にしていた。
聞いてみようか。
愛と話すきっかけくらいにはなるかもしれない。
「はあ」
レンはため息を吐いた。
カードキャプターさくら、魔法陣グルグル、きんぎょ注意報、赤ずきんチャチャ、夢のクレヨン王国。
レンはアニメが好きだった。
けれど、なんとなく、同じ男子には言うことができないアニメが好きだった。たぶんだが、自分の好きなのは女児向けアニメなのだろう、と、なんとなく思っている。
――こいつらと遊んでるのも面白いっちゃ面白いが。
女子と、アニメの話で盛り上がっている方が好きだった。
もっと言えば、クラスでも隅っこにいるような女子連中と一緒にお気に入りのアニメキャラクターをお絵かきしながら過ごしたかった。レンの部屋、机の引き出しの中には自由帳の束が詰まっている。一年生の頃から書き溜めたものだ。もう七冊目になろうとしている。
あの輪の中に入りたかった。
なかなかそんなことは言い出せないが。
「そろそろいいかな」
周囲を見渡し、誰もいないことを確認する。
暗くなってきている。ぐるぐる周っていたせいでいまいち方向が分からなくなってしまった。が、この足跡の続いている方角、こちらが来た道だろう。
足跡が少し大きい気がするが、恐らく三人一緒に固まって歩いてきたせいで、重なってしまったのか。薄闇でいまいち判然としない。
「ですわ~」
裏声で大道寺知世の声真似をしながらゆっくりと歩き出す。
★松司
思いっきり叫びたい衝動に駆られていた。
――むかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつくむかつく!!
今朝のことを思い出すだけではらわたが煮えくり返る思いがする。いいや、だけじゃない、度だ。度々思い出されてしまう。思い出したくもないのに、昨日、二階堂絵里が宙を舞った様が脳裏に駆け巡り、すぐに全身にぶわっと汗が滲む。
なんとなく有耶無耶になって解散という流れになって安心していたのに、今朝登校してきたら椿と菊がとんでもない形相で待ち構えていたのだ。
「どうしてくれるの」
「何かあったらじゃ遅かったんだよ」
「先生には言っておいたけど」
「もっとちゃんと謝ってよ」
気付けば「うるせえよ」と怒鳴っていた。そして二人の内、片方は泣いていた。しゃくりあげ、苦しそうに咳していた。余程応えたのかもしれない。どちらだったかは思い出せないが。
それら一連の流れがさっきからずうっと頭に反芻されていて、もうどうしようもなくなっている。
――潰れて。しまいそう。
正直、
UMAはどうでもよかった。
松司はとにかく山に登りたかった。大きな山のてっぺんに登ってわあっと叫んで下りたかった。それだけだ。一人で行くのじゃあまりに惨めなんで仲間を連れてきた。良夫が居ようが居まいがどうでもよかったし、イエティが出ようがビッグフットが出ようが熊が出ようが狸が出ようが狐が出ようが鬼が出ようが蛇が出ようがどうでもいい。
ただ、叫びたかった。
「登ろう」
後はどうでもいい。
叫び、この気持ちを全て吐き出して、それからならあの二人にも謝れそうな気がする。頭を下げるのはプライドが許さないが、朝の会や帰りの会で吊るし上げられる可能性があることを考えると、そのくらいならばしてやってもいいと思える。
すっきりした後。
そうだ、それから考えればいい。
もちろん、絵里にもだ。
絵里にもちゃんと謝ろう。
あの二人が言った通り、もっとちゃんと謝ろう。『ちゃんと』の定義がよく分からないが、誠心誠意心を込めて謝れば、あの絵里ならば笑って許してくれそうな気がする。
「いいよいいよ」
と、笑って。
思い返してみれば、あの時自分はちゃんと謝れていなかった。絵里は何やらぼそぼそ喋っていたが、流石に動揺が大きかったのだろう。よく聞き取れなかった。
――ちゃんと謝ったら。
また、自分にあの笑顔を向けてくれるはず。
あの、きらりと光る微笑みを。
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