第二章 霞ヶ丘小男児四名遭難事故3

「どこで待ち合わせする予定だったんだい!」


 その綺麗に澄んだ、けれど焦りを帯びている声は俺のすぐ前方から聞こえてきた。

 俺と愛は今自転車に乗っている。俗に言うニケツというやつである。

 通常ならば(そもそもやっちゃいけないだろうってツッコミは置いといて)、俺が前になるべきなんだろうし、実際そう提案したのだが、慣れていないのだろう、愛が後輪に足を引っ掛けることが出来なかった為にこうなった。

 俺は後方、愛の肩に手を掛けながら、なるべく手を伸ばし、愛に見えるように前方を指差した。

「……誰も……いないね」

 そこにこじんまりした土建会社があった。

 そしてその土建会社の目の前に大きな敷地があった。土と巨魁な岩が積み上げられた広大な敷地が。周囲は杭を立てられ、その杭に申し訳程度にロープを張っている。錆びた〈立ち入り厳禁〉の看板が立てられていた。

 この敷地は、俺らの遊び場だった。

 かくれんぼしたり、鬼ごっこしたりして散々遊んだ。近かったのもある。が、立ち入り厳禁と書いてある割には、目の前の土建会社に終始人がいなかった。その為、文句を言われる心配がなかった。

 子供が入って危ない。余所に移すか、もっと管理を厳しくしてくれと周辺住民からかなりのクレームが来ていたようだが、結構長い間放置されていた。そのうちこの会社事態がいつの間にか失くなり問題は解決されるのだが、あの頃、この手の管理体制のなっていない敷地は、こうした田舎じゃ特段珍しくなかったように思う。

「急ごう」

「ああ」

 郷愁は打ち切られる。

 意外なほどスムーズに進む自転車に、それでも揺られながら、俺はつい昨日の『火事場の馬鹿力』とついさっきまでの真剣な様子を思い出している。




「急げばまだ間に合うかもしれない。わたしの家はちょうどあの山の方面にある。自転車だったら或いは、だ。家から装備を適当にかっぱらって向かうとしよう。その為に家にも寄るけどいいよね」

「ちょっと待ってくれ。今から追いかけるのか? 二次被害になる可能性があるぞ。追い掛けるにしても大人を呼んでからの方が――」

 保健室を出、廊下を歩みながら目の前を進む背中に尋ねる。ずんずんと前を歩む愛が、生き生きとした瞳を俺に向けた。

「さっきまでの勢いはどうしたんだい。考えてもみてよ。子供があの山に入りました。危険なので今すぐ捜索を開始して下さいなんて言って動いてくれる人がいると思うかい。仮に動いたとしたって、どうしたって動くまでに結構な時間が掛かるだろ」

「べつに警察や自衛隊なんかじゃなくても、親に知らせておくくらいのことは」

「だいたいの親が共働きなんじゃないの? 連絡先は? 知ってる? すぐに分かる? いたとしてお父さんの方じゃなく、お母さんの方だろ? 動いてくれるかな。会社に連絡し、お父さんを呼んでそれから、なんてやってたら、状況は今より悪化するだろ」

「……」

 松司、レン、陸。それぞれの親は何となく思い出せるが、皆共働きだったように思う。

「聞いた感じ、君らいつも無茶やってんだろ? 親、動いてくれるの?」

 ぐうの音も出ない。

 いや、俺じゃないんだ。松司や陸だ。だいたいは。それにレンが乗っかって、俺も嫌とは言い出せないから、ってそんな感じなんだ。流れとしては。だが。

「俺の親の携帯に連絡すればそれでも動いてくれるかも――って。あ」

「けいたい?」

「……」

 そっか。この頃は携帯を誰もが持つって時代じゃなかったのか……。俺が中学に上がってからくらいか? 高学年の頃は両親共に携帯持ってたっけ? ……いいや、今はまだ持ってなかったはずだ。ポケベルぐらいなら或いは持っていたかもしれないが、そもそもポケベルへの連絡の仕方が分からん。世代がズレてる。そして、親の勤め先は、俺の時代とこの時代で確か違っていたはず。会社名さえ知らん。調べている時間は……ないか。

「急ごう。引き止めさえ出来ればいいんだから」

〈廊下は走っちゃいけません〉〈おさない・かけない・しゃべらない〉というポスターを横目に俺たちは走った。

「あっ!」

「っとぉ」

 校門まで来たところでいきなり愛が止まった。

 そのまま玄関脇に設置してある生徒用の公衆電話へと向かう。これ、今の時代――二十年後でも学校に設置されているんだろうか。

「どうした。電話はしないんじゃなかったのか」

「違う違う。今日はわたし、教室があるんだよ。英会話教室。すっぽかすわけにもいかないじゃないか」

 そう言いながら、ポケットから小さな財布を取り出し、十円を投入する。

「もしもし。先生?」

「結局すっぽかすんじゃねえか」

 {嘆息|たんそく}し、待つ。助けられてる身でとやかくは言えない。

 英会話ね。流石のご身分というか……そのくらいはこの時代でも普通か。

「え。はい、わかりました。ええ。ええ。いえいえ。お大事に」

「どうした?」

 何やらにこにこした顔でこちらに向き直った愛に訊いた。

「今日お休みだってさ。先生インフルだって。連絡出来なくってごめんねって言われた」

「これで安心して危険な山へ挑めるってわけだ」

「そういうこと。ラッキーだ。幸先良いね。それじゃ、安心して危険な山に臨もう」

 軽い皮肉のつもりで言ったら、同じく皮肉で返してきた。




 自転車が止まった。どちらからともなく降り、愛は自転車を押す。これ以上は無理という所で留め、木に立て掛けた。

 陽は明らかに傾いている。しかし、西陽に照らされている雪に覆われた山は、きらきらと輝いて見えていて、辺り一面さっきまで走っていた道よりもどこか明るく感じられた。

 恐らく、このせいもあるんじゃないか。俺たちの時間間隔の狂い、闇に対する恐怖が薄らいでしまった原因は。

 ――高いな、改めて見ると。よくもまあ、こんな山を。

 道路脇にぽつんとひとつ、外灯が立っていた。そこには自転車が三台寄せて置いてあった。

 分かっちゃいたが。やはり入ってしまったみたいだ。山の入り口にしっかりと足跡が残っている。

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