第47話
このまま陽仁は紙屑のように機械の手で握り潰される。
「あ、あれ?」
だが何秒経とうと、腹部に伝わるべき圧迫感は一向に伝わらない。
代わりとしてアラートが重機から漏れ聞こえる。
<Warning! Warning! これは貨物ではありません。これは人間です! 人間を挟み込んでいます! 安全性を鑑みて動作を一時停止します!>
ご丁寧に日本語の電子音声ときた。
「流石は嵐太さんの会社。本当に万が一の事故にも即座に対応とは! もうあの人には足を向けて寝られないわ!」
安全装置か、陽仁の拘束が緩む。
陽仁は全身の力を使って拘束から抜け出せば、身を翻しながら重機の背後に回る。
そして垣間見た。
背中にある赤いボタン。
脳裏を走る立花が渡した三つのワード。
<背・あか・W>
動かぬ陽仁ではない。
踏み込んだ時には重機の右腕が動いていた。
あの赤いボタンが何を意味するか、分からない。
だが赤いボタンは押してこそボタンの本能が陽仁に掌底を繰り出させた。
ガラスが割れる音と激突音が重なった。
「がはっ!」
陽仁の身体は機械腕の横薙ぎの一撃を受け、壁際まで叩き飛ばされた。
壁に強く打ち付けられ、背面から貫く衝撃が口から血を零させる。
もしこれが映画なら、アバラが二本逝ったかなど口走るが、生憎、陽仁はただの高校生。骨が折れたのは確かだが、正確な本数と位置など把握できるはずがない。
(しくったけど、ああ、そういうことか)
陽仁は全身をつんざく激痛に呻きながら、立花のメモに感謝する。
重機からモーター駆動音が消える。
糸が切れた人形のように両膝をつき、腕を力なく床の上に垂らしていた。
恐らくは緊急停止スイッチの類だったのだろう。
(背は背中、あかは赤いボタン、Wは弱点を意味するWeak point……そのボタンを押せという意味だったんだ)
土壇場で残してくれたメモのお陰でどうにか雷蔵を同じ土俵に引きずり落とせた。
「クソクソクソ、動けよ、このポンコツが!」
「げほげほ、ポンコツなのは君だろう、ライ」
喉が重い。全身が熱い。胸部が突き刺すように痛いが、動けぬわけではない。
コクピットシートの中で雷蔵がしきりに操縦桿を動かす音が聞こえてくる。
これからだ。
「はぁはぁはぁ、来いよ、勘当息子」
陽仁は中指を立て雷蔵を挑発した。
「ざ、ざけんな!」
コクピットカバーが中より蹴り上げられ、雷蔵が飛びかかってくる。
拳が陽仁の頬を殴りつける。
全身を貫く激痛に表情を軋ませようと、陽仁は倒れることなく逆に殴り返す。
嵐太が派遣したトレーナーにより一通り格闘技の型は叩き込まれたのだが、いちいち考えて動くほど万全な状態ではない。
万全でないなら、如何に万全な状態に近い動きをするか、思考しろ。
殴っては殴り返し、蹴られては蹴り返す。
応酬の繰り返しだった。ただ殴るだけではない。陽仁は言葉ですら殴りつける。
「親友だと思っていた! 一緒にバカやれる親友だと思っていた!」
「くだらねえ、俺は一度もお前を親友なんて思ったことはねえ!」
殴り合う。血が飛ぼうが、骨が軋もうが関係ない。炎が身を焦がそうと拳は止まらない。
「一緒に隠れてエロ本読んだのも、脇かふとももかで言い争ったのも全部、嘘だっていうのか! 水泳の授業で巨乳スク水か貧乳ビキニかでプール内で沈め合ったのも、君にとってはつまらない戯れ言だったのか!」
「そんな下らないことなんて忘れた!」
「いいや、僕は覚えている! あの林間学校の時だってそうだ! キャンプ地に向かう途中で、とある太い樹木を見た君は言った! あの樹、女性の股みたいでエロいなって! 男子からは賞賛の声があがる一方、女子たちからは大顰蹙買ったはずだ!」
「あの時の話をするんじゃねえ!」
雷蔵の右足が動く。右から左にかけて薙ぎ払うように放たれた蹴りの靴先が陽仁の脇腹に深く食い込んだ。
陽仁は口から血を吐き出し、倒れ込む。
「そうだ。その日だ。その林間学校でお前が俺をおかしくした!」
「元からおかしいなら、それは筋違いだろうが!」
全身に激痛が広がる中、陽仁は立ち上がった勢いを乗せて雷蔵の顎下に拳を突き入れた。真上から殴りかかった雷蔵は完全にカウンターを喰らい、倒れ込むのが入れ替わる。
「ぐううっ、お前が俺の手当をしたせいで、俺がどんな目に遭ったと思っているんだ!」
口から血を流す雷蔵は起きあがりながら口元を拭う。
「学校に戻れば、誰も彼もがお前を賞賛する! 誰一人俺を見ない! 見ようとしない! それどころか誰もが俺に憐憫の目を向けてくる! 哀れんでくる! 哀れむんじゃねえ! 同情するな! いっそうマヌケだと蔑んでくれればよかったことか!」
語られる発端に陽仁はただ愕然と口を開くしかない。
陽仁からすれば純粋に友を助けただけだ。
賞賛や報酬など見返りなど一切求めていない。
「なら、今まで僕にしてきた仕打ちは!」
「ああ、そうだよ! 賞賛を受けるお前が心底ムカついたからだよ! 指のケガ? んなこと知ったことじゃねえ! 俺を賞賛しない奴! 俺の前で活躍する奴! 俺の進む道を妨げる奴は、誰だろうと許さねえ!」
雷蔵の告白は陽仁の中にあるナニカを砕け散らせた。
「あは、あははははっ!」
陽仁は天井を見上げて笑う。
炎に包まれた建物の中で乾いた声で笑う。
「そ、そんな理由で、くだらない理由で、学校どころか虹花を巻き込んだというのか」
「そうさ、後一歩のところで処女膜ブチ抜けたってのに、邪魔しやがって! あんなデカい女、誰が好き好んで抱くかっての!」
「ならなんで虹花で童貞を捨てようとした! なんで恋人にした!」
陽仁が怒声を張り上げる度、胸に激痛が走り、口から血が流れ出る。
「はぁん、抱きたくても抱けないお前をあざ笑う当てつけに決まってんだろう!」
「……もういい、黙れよ」
静かに、ただ静かに陽仁は告げる。
周囲は炎に包まれ、照射熱が皮膚を焼こうと、頭は驚くほど冷え切っていた。
ああ、こいつはどこか壊れていたんだ。敬愛する兄が奔走したからか、それとも単にプライドが元から矮小だったか。
今までバカ騒ぎしていたのも、その矮小さを隠すための演技だったのか。
嘘偽りなどないと陽仁は思っていた。
本当に、本当に雷蔵とバカ騒ぎするのは楽しかった。
クラスの女子からドン引きされようと、わかりあえる親友がいれば学校生活は楽しめた。
改めて対峙した瞬間、陽仁はようやく雷蔵の本心を把握できた。
バカ騒ぎに目が眩んで肝心な心の底を見ていなかった。
「ライ、君は人間だよ。ああ、人間だ。肉喰らう獣でもなんでもない! 歪んだ心持つ、プライドの小さな人間だ!」
「一人じゃなにもできねえくせにデカい口叩くな!」
「ふん、事業一つ成し得たことのないスネカジリが言う口か!」
殴り合いはまた再燃する。
顔に、腹にと拳がめり込もうと互いに倒れない。建物全体に炎が回ろうとお互い倒れない。倒れることがない。
だが陽仁が応酬の拳を繰り出した時、今までにない激痛が骨を軋ませながら全身を貫いた。
この一瞬が拳を遅らせ、顔面に雷蔵の強かな一撃を受ける。
うめき声一つなく床上に倒れ込んだ。
「手間取らせやがって」
激しく息を切らす雷蔵はとどめにと、近場に落ちる鉄パイプを手に取った。
熱された鉄パイプに呻く雷蔵だが、動かぬ陽仁に向けて振り上げた。
二度と起きあがれぬよう頭をかち割るために。
夢を見た。
十田陽仁は夢だとわかる夢を見た。
「だから結婚するなら、ハルくんはおムコさんになるの!」
「だーかーらーなんでムコなんだよ! フツーはヨメだろうが!」
幼き頃、虹花と交わした約束。
嫁入りか、婿入りか、どちらの名字を名乗るかというお家事情を含んだ小さな言い合い。
「よ~しわかった。もしよ、大人になるまで身長が低かったら、高い方の家と結婚するの!」
「はぁ~なんだよ、それ! 少し僕よりデカいからって調子乗んなっての!」
「うちは代々、身長あるんだから、ハルくんのおムコさんは確定なんだよ!」
「言ったな! よ~しわかった! どうせ勝つのは僕だ! 大人になって泣きを見るのはお前なんだよ!」
「約束だよ、約束!」
「ああ、約束だ。身長が高い方の家と結婚する!」
「ウソついたら、そうね、責任とってその家に嫁ぐの!」
「何だよ、それどっちも意味ねー!」
「意味あるの!」
両頬を膨らませながら笑う虹花は文字通り虹のように綺麗だった。
これは夢。夢だとわかるかつての出来事。
だが、陽仁を再起させる大事な夢であった。
「死ねええええええええっ!」
唐突に目覚めた戸惑いが陽仁を襲う。
眼前には頭上から鉄パイプを振り降ろした雷蔵。
腕一つ動かすだけで全身の骨格が悲鳴を上げ激痛が走る。
それでもむざむざと振り下ろされるのを黙って受ける陽仁ではない。
「あああああああっ!」
生きたいと、生きて虹花の元に帰るという本能が叫びとなる。
悲鳴上げる身体をバネのように跳ね上げた陽仁は振り下ろされた鉄パイプを頭頂部でかすめながら起きあがる。
そのまま拳を握りしめ、全身をつんざく激痛の中、腰を落とす。
この時、陽仁は無意識に直感していた。
後にも先にもこれが最後の一打だと。これでしとめねばしとめられると。
相手が元友だろうと、関係ない。
「僕は帰るんだ! 虹花の元に帰るんだああああああっ!」
乾坤一擲の拳は叫びと共に雷蔵の顔にめり込んだ。
打ち込んだ拳から全身にかけて折れる音が連鎖的に響く。
雷蔵は呻く声一つなく、仰向けに倒れ、握っていた鉄パイプを手放した。
陽仁もまた力なく倒れ込み、動かなくなる。
建物が揺れる。いやパークそのものが揺れる。
遠くから何かの回転音がする。
「か、帰る、んだ、僕は、ぼ、く、は……」
今までにない揺れが陽仁の意識を赤き深淵に引きずり込んだ。
タワーが倒壊する。
瓦礫と粉塵を巻き上げながら、パークの象徴を崩していく。
この土地に城を建てるべからず。
伝承通り、またしても崩れ落ちた。
人は過ちを繰り返せばならぬ哀れな動物なのか。
悲鳴と血臭で包まれたパークは終演を迎えることになる。
一体どれくらいの人間が死に、どれくらいの人間が生き残ったのか分からない。
喰われようと、傷つけようと、生き残った悔恨があろうと、それでも生きていかねばならない。
今を生きているのだから。
生き続けねばならない。
第47話 帰れない
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