第46話
立花は機内から壇野雷蔵が搭乗する重機に愕然とした。
「あ、あれは<トール三型>!」
サイクロンニクス社が製造販売する人型フォークリフト。
猛獣脱走用として搬入された機材が、あろうことか人間のために使用されている。
何の因果か、搭乗するのが販売元のCEOの実弟なのは皮肉が効き過ぎていた。
「は、ハルくん!」
虹花は駆け寄ろうとしたが、消耗した身体では思うように動けない。
ヘリは離陸しつつある。
加えて壇野雷蔵の状態からして、まともな精神状態でないのが遠目だろうとイヤでも痛感させられる。
この感覚、連続殺人で服役する囚人と対面した時に近い。
ルズとタンが機内から主のピンチに飛び出そうと立ち上がる。
「ルズ、タン、虹花たちを守れ!」
広場を引きずられていく陽仁の声に、二匹の犬は飛び降りるのを止められた。
陽仁はポケットから取り出した刃物でなんとか網を切ろうとしているが、あの網は猛獣用。鋭い爪や牙でも易々と切れぬよう頑強な作りとなっていた。
「降ろせないの!」
「いや、ダメだ! 今このヘリを降ろせば、あれは瞬く間に殺しに来る! ヘリを落とされる!」
パイロットに呼びかけるミルを立花が制止する。
ジャーナリストの勘が怖気を知らせてくる。
あれは命を奪うのに躊躇ない目だ。
怨みに怨みを重ね、誰かを殺しても止まることのない目、通り魔殺人鬼の目そのものだ。
機内に転がるレンガも<トール三型>から投擲されたもののはずだ。
本来なら陽仁を狙っていたのだろう。だが僅かに逸れ、隊員に命中した。当たらなかったからこそ次は投擲網で直に捕獲し機内から引きずり出す手を取った。
「立花さん! みんなを、虹花をお願いします! 後で迎えをしっかりよこしてくださいよ! 絶対帰りますから!」
「こんな時まで、君は! 人が良すぎるだろう!」
遠ざかっていく陽仁にただ座する立花ではない。
手帳にペンを走らせてはページを破り、落ちているレンガに唾で張り付ける。
そのまま機内から陽仁の少し先を狙って投擲した。
後は拾いさえすれば、脱出の助けとなるはずだ。
続けざま、解放に難儀している助け船として火炎瓶に火をつける。
周囲がどよめくのを余所に、立花は開かれたドアの前に立てば雷蔵乗る<トール三型>目がけて火炎瓶を投擲した。
弧を描く炎は引き寄せられるようにして、ヘリから生じる吹き降ろしの風圧に負けることなく<トール三型>の右腕に命中する。
破砕音と共に炎に包まれようと、ただ包まれただけ。
搭乗者の安全を第一に設計された重機は炎に包まれた程度で壊れるほど柔な作りをしていない。
だが、それでいい。立花の狙いは、その右腕から伸びる一本のロープ。
猛獣捕獲用に防刃性能が高かろうと、ロープだからこそ燃焼性は高い。
燃え落とそうと目論んだが、炎は瞬く間にロープに伝わり、燃え切れることなく蛇のように陽仁へと向かう。
陽仁は刃物を何度も動かし網を切ろうとする。
そんな姿に雷蔵は重機の中から滑稽だと哄笑を上げる。
「あはははははっ!」
そして陽仁は重機に引きずられる形で施設内に消えた。
「くっそっ!」
苛立つ立花はドアを蹴りつけた。
保険はかけようと、あくまで保険。
結局、ロープは切れなかった。燃え落ちなかった。
まただ。また子供一人死地に放り出してしまった。
大人としてふがいなさが悔恨として立花の良心を責め立てる。
誰一人立花を責めず、向ける同情と憐憫の目が、無形の刃として良心に突き刺さった。
「んなくそっ!」
施設内に引きずりこまれた陽仁は延焼で弾性が落ちたロープを断ち切ることに成功する。
引きずられた背中が痛かろうと、今はそれどころではない。
網を押し広げるように拘束から脱した陽仁はすぐさま物陰に飛び込み、身を潜めた。
非常灯と燃えるロープの炎が相手の陰影を作る。
「どこに行った!」
雷蔵の怒声が反響する。
そんな中、陽仁は呼吸を落ち着け、立花が投げたレンガにあるメモを開いていた。
<背、あか、W>
走り書きされた三つの文字。
漢字、ひらがな、アルファベットと整合性がない。
あの立花がイタズラで渡すはずがない。
何かしらの重大な意味があるはずだ。
「さて、どうする」
状況は最悪だ。
最後の最後で立ち塞がる脅威が動物ではなく同じ人間だった。
まさかの重機に目ん玉ひん剥ける状況ではない。
サイクロンニクス社のカタログで見たことがあるも詳細な値段や仕様など陽仁が知るはずがない。
搭乗する雷蔵の目は完全に血走り、声は届こうと言葉は通じない。
みんな揃って脱出すればいいものを、あろうことか妨害してきた。
この場から逃げるのは容易いが、執拗に追いかけてくるのは明らか。
「こんなことして何がしたいんだ君は!」
位置がバレるのを承知で陽仁は声高に問いかける。
機械音がガシャガシャうるさい。
何かを掴む音がするなり、無数の鉄パイプが陽仁の横を殺到する形で通り過ぎる。
「お前の、お前のせいで、冬木たちは死んだ! お前が殺したんだ!」
駆動音が近場まで迫っている。
陽仁は物音を立てることなく静かに反対方向に移動を開始する。
あのような重機と正面からやりあうのは自殺行為。
距離をとろうと、重機のパワーを生かした投擲が来る。
見つからないようにするのがベストだ。
「何を言っているのか、さっぱり分からないね!」
心当たりが全くない。
冬木とはパーク到着後に顔を合わせておらず、なおかつ動物脱走後に姿を目撃しただけだ。
接してもいなければ言葉すら交わしてもいない。
その間、炎が揺らめきを増やしてく。
ロープからブルーシートに炎が燃え移り、更に壁へと伝播する。
「お前が! お前が! お前があああああっ! その知識を俺たちのために使っていれば、誰も死ななかったんだ! お前が殺したんだよ!」
まるで子供の癇癪のように雷蔵は機械の腕を振り回し、周囲を叩き壊していく。
「支離滅裂だろう。倒錯しているのか?」
相手にするなどバカらしい。
ここはリスクを承知で施設内から離脱すべきだ。
位置的にゲートも近い。話の通じぬ人間と話さない動物。どちらの相手がマシか分かり切っている。
動作を見る限り、あの機械は歩行が遅い。走れば振り切れるはずだ。
「そこかよ!」
燃え広がる炎が陽仁の影を照らし出す。
今まさに外へ飛び出しかけた陽仁を遮るように、機械の腕が近場の外装を力付くではぎ取り、投げつけてきた。
「うわっ!」
咄嗟に身を伏せた陽仁だが、頭上を通過した外装が衝突音を立て、折り重なる形で出入り口を塞ぐ。
反対側に駆け出そうとしたが、雷蔵が一手先に動き、今度は工事資材を投げつけ、出入り口を封鎖してきた。
「これでもう逃げられないぞ!」
さらに雷蔵は二手先を読むように、二階へ続く階段前に立ち塞がる。
二階のバルコニーから外に飛び出す作戦は組み立てる前から瓦解していた。
「こんなことして、君もタダでは済まさないぞ!」
「はぁん、俺は壇野の人間だから平気なんだよ!」
炎が施設内を回り、煙と熱がこもり出す。
施工前により窓は吹きさらしであろうと飛び出す好機を雷蔵が許すはずがない。
(壇野とか家は関係ないけど、あれは嵐太さんの会社製だ。搭乗者の安全は確保されているはずだ)
恩人の会社の製品が巡り巡って脅威となる因果。
あろうことか搭乗するのは実弟なのは自虐すぎると陽仁は内で毒づいた。
「壇野の人間ねえ、もう壇野の人間でなくなるのに、よくもまあいえた口を!」
物陰に滑り込みながら陽仁は減らず口を叩く。
ニホンザルの遺体を投げつけて囮に使おうと思えば、チンパンジーたちに綺麗に喰われたのか血痕しか残っていない。
ならば相手を言葉で揺さぶり、二階への突破口を開くしか今は思いつかない。
生身で勝てる相手ではないからだ。
「負け惜しみが!」
「そうだよ、負け惜しみだよ! 良いこと教えてやるよ! 今日の夕方、ホテルで会う人物! 一人は君の親父さんだ!」
「なん、だと!」
駆動音が止まる。雷蔵に走る動揺が操縦を止める。
「君や周囲が散々やらかしたことは、一年前から親父さんに伝わっていた。いや、僕の協力者に遅れる形だけど、あれこれ独自に調査を入れていたみたいなんだ」
「嘘をいえ! 父さんが、あの父さんが、俺を売るはずないだろう!」
「うおっ!」
コンクリートの壁を突き抜け現れる機械の拳に陽仁は怖気を走らせる。
ただの重機のはずが、目測厚さ5センチのコンクリートを破損一つなく貫いて見せた。
後数センチズレていれば頭部はスイカのように吹っ飛んでいたはずだ。
「いいや、事実だね! 周囲が壇野の名前で異様に君を持ち上げていること! 持ち上げられた君が図に乗って好き勝手やっていることに大層、ご立腹だそうだ!」
「下手な嘘を! それなら何故、一年も俺を放置していた! 父さんならば今すぐ俺を呼びつけていたはずだ!」
「簡単な話さ! 僕が直に放置するよう親父さんに頼んだからさ!」
「なんのために!」
突き入れた機械の腕が動く。五指が開く。重機のパワーに物を言わせ、コンクリートの壁を絹のように引き裂きながら向こう側にいる陽仁を捕まえんと迫る。
「単純な話さ! 誰に頼る訳でもない! 僕自身の手で君に奪われた虹花を取り戻すためだ!」
力は借りた。だが借りっぱなしでは意味がない。
本当の意味で好きな人を救うならば、自らの行動を彼女に見せなければ振り向いてはくれないという男のわがままだ。
「お前の女じゃないだろう!」
「君の女でもないな!」
迫る機械の手から逃れた陽仁は飛び出すなり、スリングショットにつがえた催涙液入りカプセルを雷蔵向けて解き放つ。
当然、コクピットカバーに阻まれ、当人に届かぬのは百も承知。
狙いは当てること。
カプセルは命中することで赤い液体をコクピットカバー正面に広げさせる。
視界が赤く染まろうと視界確保用の洗浄ワイパーが起動する。
だが、この催涙液の原料は刺激ある香辛料とアルコール度数の高い酒。
熱気と煙が満ちていく空間に晒されればどうなるか。
「くっそが!」
炎に晒された催涙液は燃え広がる。
ワイパーは燃え、溶けたゴムが張り付いた。
「親父さんは言っていたよ! 君に猛省と謝罪がなければ壇野から勘当すると!」
「はぁん、父さんが俺を勘当するわけないだろう! 俺は、俺は壇野の唯一の後継者だぞ!」
「唯一の? 君、それ本当に思っているの?」
陽仁は鼻先で笑う。嘲笑う。唯一だと豪語するかつての友に笑うしかない。
「悲しいね。家族を忘れるなんて」
陽仁とて両親からナマコバカと呆れられる兄を忘れた日などない。
コクピットカバー越しに雷蔵の眉根が跳ねたのを陽仁は見逃さない。
もう一押しだと畳みかける。
「サイクロンニクス社! 君が乗っているそれを製造販売する会社の六人いるCEOの一人が僕の協力者であり、その名は――壇野嵐太! 君のお兄さんなんだよ!」
「な、なんだと、あいつが、これを、お前を!」
壇蔵は心臓を貫かれたように驚き固まっている。
御曹司のくせに取引企業のCEOを知らないとはお笑い草だ。
いや恐らくだが父親は意図的に教えていなかったのかもしれない。
「社名も事業立案の嵐太さんが他の五人に推されてつけたそうだ! だから嵐のサイクロンと電子工学のエレクトロニクスを掛け合わせたサイクロンニクスになったんだとさ!」
陽仁は驚愕に縛られた雷蔵めがけて残りの催涙液入りカプセルを撃ち放つ。
催涙効果がなかろうと、原料はアルコール。ワイパーのゴムを燃えさせ、溶解にて張り付けさせる形で視界を奪うことはできた。
スリングショットは炎に晒されたことでゴムは切れ、その役目を終える。
「だから、君がいてもいなくても壇野グループは続く! 君は特別なんかじゃない! ただ単にバカな御輿として特別扱いされてきたドラ息子だったんだよ!」
「黙れええええええええっ!」
雷蔵が動く。重機が陽仁の正確な立ち位置を把握しているように両手の五指を広げて急迫する。
「なんで視界は塞がっている、ぐううっ!」
読み違えたと陽仁が気づいたのは左右から機械の手で腹部を挟まれた時だ。
「バカが! こいつは視界が万が一塞がれても外部カメラやセンサーで周囲を把握できるシステムが組み込まれているんだよ! この程度の火でお前なんかを見失うと思ったか!」
「あ~流石は嵐太さんの会社、万が一も抜かりないのね!」
負け惜しみを陽仁が叩こうと、状況はひっくり返せない。
左右の五指は陽仁をがっしりと掴んで離さず、刃物を突き立てようと、間接部を覆うシーリングカバーで刃先が通らない。
「あはははははっ! 皆を殺した報いを受けろおおおおっ!」
機械の腕が動く。
連動して稼働する機械の一〇の指が陽仁を握り潰さんとする。
陽仁は目を瞑ることと虹花の顔を思い浮かべることしかできなかった。
第46話 きっと帰るから……
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