第45話 何故、ゴリラはそれを投げるのか

 ぐらりとチンパンジーの身体が揺れる。

 風船から空気が抜けるように、後ろ足が縁から離れ、二階から真っ逆様に落ちていく。

「リサ!」

 当然、捕まっていた子供たちもまた落ちていくが、リサとミルの行動は素早かった。

 即席の盾を揃って投げ捨てては落ちていく子供たちと地面の間に身を滑り込ませ、腹から受け止めていた。

「だ、大丈夫!」

 リサとミルは子供たちの安否を確認するも、姉弟揃って涙目で何度も頷き返す。

 雑木林の奥より黒き影が蠢く。

 チンパンジーたちは眼下の陽仁たちなど目もくれず、一斉に鳴きだし警戒を露わとしていた。

 ヒュンと風切り音がするなり、握り拳大のレンガがチンパンジーの顔面に激突する。

 直撃を許した個体は前のめりに倒れ込み、全身を痙攣させたまま動かなくなった。

「なんだ、何がいるんだ!」

 立花の困惑声に反応するように黒き影がバルコニーに降り立った。

 チンパンジーよりも倍ある体格を誇る黒き巨体、その正体はゴリラだ。

「あのゴリラ、まさか」

 椎名親子が再会を喜ぶのを横目に陽仁はゴリラの正体に感づいた。

 血清を確保した帰りで出会ったゴリラだ。

 ゴリラは人間と同じように顔の個体差が大きいため、個体を見分けることができる。

 例えば、某金沢カレー屋の看板にあるゴリラ。

 あのゴリラはかつて上野動物園に実在したメスのゴリラだったりする。

 ゴリラは陽仁たちに一瞥することなく、チンパンジーたちを眼光で縫いつけては指先一つ動かさせない。

「は、ハルくん、あれ!」

 虹花は叫ぶように雑木林を指さした。

 目を凝らせば、薄暗い中、見覚えあるゴリラの群が木に陣取っている。

 誰もが鋭い眼光を崩さずチンパンジーを睨みつけていた。

「襲っては、こないね?」

「ああ、たぶん大丈夫かと」

 震え声の虹花を落ち着かせるように陽仁は言う。

 確証はないが、たぶんお礼のつもりなのだろう。

 オマエ、オレのムレ、タスケタ、ダカラ、オマエのムレ、オレタスケルと言った具合に。

「ゴリラがチンパンジーたちを抑えている今のうちに!」

 生存を喜ぶのはパークから脱出した後で。

 涙ぐむ椎名親子をリサとミルに任せては、広場へと一気に駆けだした。

 当然、背を向けたのだからチンパンジーたちが吠えるも、ゴリラもまた負け時と吠え、胸板を強く叩くドラミングで威嚇してきた。

 ドラムのような重音にチンパンジーたちは気圧され、鳴きながら逃げ出していた。

「良かった、良かった!」

 椎名は無事だった子供たちを抱きしめながら涙を流す。

「ゴリラが投げたレンガがチンパンジーに当たったんでしょう。ああ見えてかなりコントロールは上手い、ですから!」

 広場を進む中、陽仁はドラミングの音をバックミュージックに言った。

 追加で言うべきことだが空気を呼んで口をつぐむ。

「確か、ゴリラはうんこを投げてくるとか聞いたことあるな」

 この大人は、と蛇足の立花を陽仁は半眼で睨みつける。

「あれ、言っちゃマズかった?」

「空気読んでください。それにそれやるの動物園のゴリラだけで、自然界のゴリラは投げすらしませんよ!」

「そーなの?」

 椎名に抱き抱えられた由美が興味深そうに聞いてきた。

 つい先ほどまで叩き落とされかけたというのに、気を紛らわすためだと自分に言い聞かせながら陽仁は疑問に答えた。

「動物園はいわば外敵のいない安全地帯なの。そこには天敵となるヒョウはいない。しかもご飯は安定して与えられるから、すんご~く暇で退屈なの。誰が最初にやりだしたか分からないけど、外にいる人間に向けてそれを投げつけると、慌てふためき逃げてね、それが面白いとゴリラは退屈しのぎでやるようになったんだ」

「お~」

 由美と紘一は未知の知識に目を輝かせている。

 陽仁自信、ゴリラの投擲は知っていたが、てっきり外敵に対しての投擲だと思っていた。

 実際、蓋を開ければ、動物園個体限定の退屈しのぎ。

 森の賢者も動物園に入れば園の暇人の変わりようときた。

「ねえ、あれ!」

 上空からのローター音にミルが指さした。

 幾重にも響く風切り裂く音。叩きつける頭上からの風圧。瞼眩ます目映いライトが陽仁たちを照らす。

 ルズとタンが警戒心むき出しに吠える。

 大丈夫だと、陽仁は二匹に目線で伝えていた。

「わ、私たち、助かったんだ」

 安堵がリサを広場の芝生に腰を落とさせる。

「リサ、最後まで油断するなって陽仁くんから言われたでしょう」

「あはは、そう、よね」

 ミルの手を借りながらリサは苦笑気味に立ち上がった。

 ヘリが降りてくる。前後にローターを一基ずつ持つ機体のようだが、乗り物の知識に疎い陽仁は正確な機種を把握できなかった。

 単にテレビの特番で見た、程度の知識でしかないが、その知識が自衛隊機だと気づかせる。

「生存者は、これで全員ですか!」

 ヘリのサイドハッチが開き、中から野戦服姿の男性が降りてきた。

 声の大きさに子供たちが怯えるも、声を出さなければローター音に消されてしまう。

「ああ、これで全員だ。誰一人も欠けていない!」

 立花が前に出ては、これまた声高に返す。

 やっと帰れる。ようやく脱出できる。

 男性隊員の案内により、誰もが安堵の顔でヘリに搭乗していく。

「毒蜘蛛に咬まれて体力がかなり落ちています。血清は打っていますが到着次第、すぐ病院に搬送してください」

 別の隊員に虹花を託しながら陽仁は容態を簡潔に説明する。

 陽仁はまだ搭乗しない。ルズとタンが足下で施設側に向けて唸り続けているからだ。

 もうドラミングは聞こえず、バルコニーにはチンパンジー一匹見あたらない。

「陽仁くん、君も急いで!」

 機内から立花が搭乗を急かしてくる。

 ルズとタンのうなり声は気がかりだが、離れれば問題はない。

 ただ人命救助で派遣された機体に動物を乗せるのは大丈夫なのかと疑問が走るも杞憂であった。

 ただルズはともかくタンは、かなり怯えており、抱き抱えて搭乗するハメとなる。

 隊員が周囲の安全を確認し、パイロットに伝える。

 いざ離陸に移行しかけた時、床に身体を並べる形で座っていたルズとタンが激しく吠えだした。

 サイドハッチを閉じかけた隊員は強い衝撃音と共に機内奥に身体を飛び込ませてきた。

 そのまま壁面に身体を打ち付け、うめき声を上げる。

 ころりとレンガが機内に転がり落ち、機体が揺れる。

 声を上げる暇すらない。陽仁の眼前に編み目状の何かが広がれば一瞬にして包み込み、外へと引きずり落とす。

「な、なんだっ!」

 網だと気づいたのは背中から芝生に落ちた後だった。

 網は一本のロープで繋がり、それは施設の暗がりより伸びていた。

 そして暗がりより怨嗟の声が駆動音と共に響く。

「見つけた、見つけた、逃がして、逃がすかよおおおおっ!」

 友だった男は機械の鎧に乗り込み、陽仁を身震いさせるほどの殺意を放ってきた。

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