第44話 返して!
指定ポイントである野外イベント会場。
本来なら動物園エリア側の野外イベント会場として使用される施設であった。
だが、プレオープンに間に合わなかったのか、建設中の看板が無惨にも倒され、無数の足跡を刻まれている。
「ううっ!」
ルズが施設前でうなり声を上げている。
看板に刻まれた足跡からして先のニホンザルが逃げ込んだ可能性が高い。
陽仁は虹花を抱き抱えながら周囲に目配せする。
虎穴ならぬ猿穴に入ろうとするリスク。
下手すると救助用ヘリすら襲われるかもしれない。
それでも、誰もが百も承知だと頷き返してくれた。
「この建物を抜けた先に広場がある。恐らくそこが指定されたポイントのはずだ」
立花が案内図をスマートフォンのライトで照らす。
施設構造は二階建てのバルコニーつき。
二階から扇状のイベントステージを俯瞰できる構造となっていた。
イベントステージである関係上、施設にはショップや飲食店が設営される予定だが、建設途中であるため出店は一店舗もない。
そして五〇メートルほど抜けた先に目的地の広場があった。
「迂回して向かう手もあるが、周囲は雑木林だ。景観用とはいえ動物が潜んでいるリスクを考えれば中を通った方がいい」
特に木々は狩るにも身を守るのにも適した存在。
木々の真上から襲撃は狩猟動物の十八番。
さらには捕獲した獲物を他の動物に横取りされぬよう木の上に運び、食すなんて普通だ。
動物は爪ある四肢で瞬く間に登るため、人間では追いつけない。
「ルズ、行くぞ!」
「わんっ!」
陽仁はルズに先頭を走るよう指示を出す。
「わんわん!」
ルズに負け時とタンもまた怯えながらも続くように吠えた。
施設内に入ったのを合図に、やかましい喧噪が鳴り響く。
複数の動物の声が入り交じり、鼓膜を不快に振動させる。
「縄張り争いか?」
立花は怪訝な顔で火炎瓶を構えている。
先のニホンザルと何かが争っている鳴き声だと陽仁は看破した。
「ねえ、あれ見て」
ミルが小声で奥の部屋を指さした。
施設内の灯りは非常灯のみで小さいが、無数の影が暴れ回るのを照らし出す。
腕の長い影が手足の短い影を掴んでは投げ飛ばす。
時に口を開けて噛みつくなど、一方的に蹂躙している。
「あの影、まさかチンパンジー?」
陽仁は影から正体を看破する。
その発言に反応するのは椎名親子だ。
襲われ、追われた身、無意識ながら母親は子供たちを強く抱きしめている。
「恐らく縄張り争いでしょう」
「同じ猿同士なのに争ってんの?」
「猿からすれば似て非なる他人ならぬ他猿です」
リサに答えながら陽仁は先へ進むよう手でサインを送る。
ルズは鋭い眼光で影を睨んでいたが、陽仁の目線で歩き出す。
タンは時折、後方を振り返っては立ち止まり、また進むを繰り返し。
ただ、振り返る頻度が増えており、時折、両耳を動かし何かを探っている様子だ。
「タン、どうした?」
陽仁が呼びかけるもタンは困った顔をするだけだ。
何かあるが、何かが分からないといった目である。
猿同士の悲鳴は秒感覚で小さくなっていく。
ニホンザルの数がチンパンジーにより減っている証拠だ。
縄張り争いをしている今こそチャンス。
一階は工事中なこともあって店舗は何一つなくだだ広い空間を展開させている。
ブルーシート覆われた資材が置いたままであろうと、障害物になりはしない。
「ひっ!」
風切り音がするなり、一匹のニホンザルが飛んできた。
リサが咄嗟に伏せたことで、ニホンザルの身体は壁に当たり、ボールのように転がり落ちる。
「気づかれたか!」
「いえ、ただの流れ弾みたいです!」
鳴き声は小さくなろうと鎮まっていない。
飛んできたニホンザルの身体を見れば、右腕と左脚は食いちぎられ、腹から臓物を曝け出している。すでに虫の息であり鳴くことすら困難にさせる。
ギロリと動く目が陽仁たちを睨みつける。
血走った目は足を止めるのに充分な威圧さがある。
だがニホンザルは目を開いたまま動くことはなかった。
「後少し!」
陽仁は立ち止まる皆に発破をかけた。
先のニホンザルの投擲を発端に、二匹目、三匹目と壁に投擲され、血痕を刻みつける。
まるでチンパンジーが面白がって投げているとしか思えない。
「ったく霊長類の残虐性と人類の残虐性、どっちが狂ってんだか!」
陽仁の無意識が言葉を走らせる。
人間と動物、どこが違う。
集団で個を虐げる行動に何一つ違いはない。
虐げ、追いつめ、そして殺す。
かつて自ら死を望んでいた身。
その手で殺すのと、追いつめて自ら殺させるのに一体何の違いがあるというのだ。
「ハルくん」
「大丈夫、僕はもう大丈夫だから!」
不安げに見つめてくる虹花に陽仁は強く言い聞かせる。
もう明日の不安を恐れない。もう怖くない。怖くはないのだ。
一人じゃないからだ。これからがあるからだ。
ならばこそ今を生き抜かねばならない。
「わんっ!」
出口前でルズは立ち止まり吠える。
鼻や耳を機敏に動かしては周囲を警戒すれば、一番槍を勤めてみせる。
「そのまま行こう!」
ルズは問題なく施設を通り抜けた。
チンパンジーがニホンザル相手に夢中なのが好機となる。
そのまま次々と通り抜け、椎名親子がいざ通り抜けた時、タンが吠えるなり母親は右横からの衝撃に倒れ込んだ。
「椎名さん!」
咄嗟に立ち止まった陽仁は、椎名が抱き抱えていた子供二人の姿がいないことに瞠目した。
「由美、紘一! どこなの!」
「わんわん!」
タンが二階に向けて吠える。
見上げれば一匹のチンパンジーが逆さづりの姿勢で縁に掴まり、子供ふたりを左右の手で軽々と掴んでいた。
「ママ!」
子供たちの悲鳴が薄暗き中に響く。
泣こうと喚こうとチンパンジーは獲物を手から離さない。
「くっそ、なんであんなところに!」
スリングショットで撃ち落とそうと、子供たちまで落ちてしまう。
かといって放置すれば子供たちがチンパンジーに喰われてしまう。
ルズの警戒心は間違っていなかったはずだ。
いつどこでなんて考察できる状況ではない。
「返して! 返しなさいよ!」
椎名が叫ぼうと、チンパンジーは歯をむき出しに笑うだけだ。
この笑い声を呼び水として二階バルコニーに残りのチンパンジーたちが集ってくる。
どの個体も擦り傷や咬痕があり、口周りは赤黒く汚れている。
中にはニホンザルの腕らしき部位をかじる個体すらいた。
子供たちを捕まえた個体が腕を大きく空へと向けて動かした。
動作からして二階から地面へ叩きつける形でしとめるつもりだ。
「いやああああああっ!」
椎名の絶叫が響いた瞬間、ゴトリと硬い音が負け時と響いた。
ぐらりとチンパンジーの身体が揺れる。
風船から空気が抜けるように、後ろ足が縁から離れ、二階から真っ逆様に落ちていた。
当然、子供たちもまた――
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