第43話 男のわがまま

 走れ、走れ、走り続けろ。

 喰われたくなければ走れ。死にたくないなら走れ。

 先頭を走るのはジャーマンシェパードのルズ。

 息を切らしながらも機敏に鼻先を動かし警戒を緩めない。

 ルズに続くのはリサ、パイプ椅子を加工して作った盾を抱え、万が一の襲撃に足して気休めとはいえ備えていた。

 中央には椎名親子、幼い子供二人を抱えて走ろうと息を切らすそぶりを今は見せていない。

 そのすぐ後に続くのは虹花を抱えた陽仁。血清を打とうと消耗した体力は回復しない。歩くのすらやっとな状態だからこそ陽仁は虹花を抱えている。この一年、鍛えに鍛えた身体でなければ虹花を抱えて走れなかっただろう。

 続くのはミル。その手にはリサと同じようにパイプ椅子を加工した盾を抱えていた。

 後方から続くは立花。手に持つケースから自作の火炎瓶がガチャガチャとぶつかりあいうるさいが、今更誰一人指摘しない。

 しんがりを勤めるのはタン。時折停止しては背後を振り返り、耳鼻を機敏に動かし警戒を緩めない。距離が開けばすぐさま駆け出し立花の後方まで追いつくと繰り返す。

「ルズ、ペースが速い! 少し落とすんだ!」

 陽仁は指示をとばし、ルズは応えるように吠える。

 人間と犬とでは体力の根底が根本的に違う。

 特に先行きが不透明だからこそ、速さに傾倒しすぎてはいざという時に動ける体力を消耗させる。

 スマートフォンの小さなライトが唯一の灯りとなり、一同は進む。

「なんかおかしくない?」

 犬たちに負け時と左右を機敏に警戒していたリサは言った。

 周囲は薄暗く、風でたなびくゴミ一つを動物と勘違いしてしまうほど張りつめた状況。

 心情に反して警戒している動物の襲撃は嘘のように起こらない。

「基本、動物ってのは警戒されているうちは襲うなんてマネしません。気が緩んだ一瞬を突いてきます。けど、何か変だ」

「へ、変ってハルくん?」

「静かすぎるんだよ。嵐の前の静けさとは違う。そう、まるで全てがここから逃げ出しもぬけの殻となったような静けさ」

 沈みゆく船からネズミが逃げ出したような、そんな感覚。

 いや、と陽仁は今走る思考を踏み留める。

 脳内で再起されるのはとある映画のワンシーン。

 沈みゆく船舶においてネズミは群れなして船首に殺到していた。

 本能的にどこが安全か、野生の直感で把握していたからだ。

「もしかしたらこの先にいるかもしれない」

 不吉な陽仁の発言に誰もが息を呑もうと批判する者はいない。

 動物は直感や予感で動いている。それは自然界で生き延びるための本能と言って良い。

 ならば、早々と危機を察知して東へ移動していたのならばなんらおかしくない。

「けど、それだとルズが何一つ反応しないのもおかしい」

 先頭を勤めるルズは警戒心が他の犬と比較して何倍も強い。

 何一つ吠えない唸らないのは危険が進路上にないのを暗示していた。

「きゃんきゃんきゃんっ!」

 しんがりを勤めるタンが唐突に鳴いた。

 怯えるように鳴いては尻尾を内に引っ込める。

 暗がりが騒がしくなる。キーキー鳴き声がする。

「この鳴き声、ニホンザル!」

 持ち前の知識で陽仁は鳴き声の正体を看破する。

 すぐさまルズに指示を送れば、少し離れた先で横転する移動式店舗に向けて吠えた。

「あそこに隠れよう!」

 鳴き声は秒単位で大きくなっていく。

 ルズの危機回避能力に賭け、一同は横転した移動式店舗の影に隠れ、この場をやり過ごそうとする。

 ニホンザルたちが来る。

 カラスの鳴き声すら生易しく聞こえる耳をつんざく鳴き声を上げながら一同に気づくことなく通り過ぎていく。

「手段移動にしては物々しいな」

 膝たちの姿勢の立花は左手に着火したジッポライターを、右手に火炎瓶を手にし、いつでも点火のち投擲できる体勢を取っていた。

 ニホンザルたちが通り過ぎたのでジッポライターの蓋を閉じ灯る火を消した。

「ええ、追いかけるいうより追いかけられて、それから逃げているって感じでした」

 薄暗い中、陽仁が垣間見たニホンザルたちの顔は鬼気迫るものがあった。

 では何がニホンザルたちを追い立てたのか。

 行き着くべき必然の疑問だった。

 ゾウか?

 ちょっかいをかけて怒らせ痛い目に遭ったので群れなして逃げてきた。ゾウは巨体の割に速力があり、瞬く間に追いつける。よって却下。

 ライオンか?

 夜行性だからこそ、この時間帯は格好の狩りの時間。

 だが、すばしっこいニホンザルを群で狩るのは非効率的。これも却下。

 分からない。原因が読めない把握できない。

 少々知識をかじった程度であって陽仁は専門家ではない。

「わんっ!」

 気づかず気まずい顔をしていたからか、ルズとタンが陽仁の袖口を引っ張り、我に戻るよう促してくれた。

 誰もが不安ではなく心配するような目線だ。

 陽仁は己を引き締めては言った。

「何が背後から来るか分からない。けど、行きましょう」

 絶対に誰一人犠牲になんてさせないしするつもりもない。

 これは願いでもなんでもない。

 一人の男の些細なわがままだ。

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