第37話 ルズとタン
困ったと陽仁は目の前の動物の対処にどうすべきか困惑していた。
妙な鳴き声がするとうっかり足を運んだのが運の尽き。
丁度、袋小路となった先にいたのは黄色と黒、工事現場で見かけるロープに絡まった一匹の黒い動物。
ほどこうともがくももがけばもがくほどロープは絡まり、身体を縛る。
「ゴリラの子なんて」
ゴリラの子供は陽仁に牙をむき出しに威嚇するのではなく、怯える目でどうにか逃げようとしている。
本来、群で動くゴリラが子供一匹でいるなど明らかにはぐれた個体だ。
放置するのは容易いが、陽仁の良心が天秤となって揺れる。
今誰を一番に救わねばならぬのかと天秤の皿を傾ける。
「ええい、ままよ!」
放ってはおけないお人好しな面が天秤の皿を一気に傾けた。
すぐさまツナギのポケットからナイフを取り出せば、怯え逃げるゴリラの子供を縛るロープを切る。
万が一にとフードコートの調理機械から刃物をいくつか拝借していた。
当然、ナイフの扱い方はアウトドアにて両親や兄より教え込まれている。
もし動物に喰いつかれた場合、刃物の切っ先を皮膚ではなく眼孔を真っ先に突き刺せと教えられていた。
何故なら、厚い皮膚もなく骨や脂肪で遮られない。脳に直結している部位だからダメージがでかいという理由だ。
そのため刺突に適したアイスピックもフードコートから拝借している。
「動かないで!」
最初は悲鳴を上げて怯えていたゴリラの子供だが、身体の自由が戻れば悲鳴は消え、どこか嬉しそうに笑っている。
陽仁にはそのように見えた。
「君も急いで自分の群を見つけるんだよ」
助けておいて即お別れは非情だろうと、人間には人間の、動物には動物の境界がある。
下手に干渉するのは愚行。子供だろうとゴリラだからこそ人間の子供以上に生存能力は高い。
「医務室は後少、し、うっ!」
子供ゴリラに背を向け、改めて医務室に向かおうとした陽仁。
だが、眼前にそびえ立つ黒き壁に遮られ、足を止められてしまう。
ゴリラだ。それも四頭。
ゴリラたちは陽仁に気取られることなく眼前にまで近づき、鋭い眼光を放ちながら陽仁をこの場に縫いつけている。
噛みつくことも拳を振り上げることもしない。
特に体格の一番大きなゴリラは陽仁から視線を外さず、いかつい顔で睨みつけている。
(目逸らすなよ)
陽仁もまた目を逸らさない。
もし逸らせば、排除すべき敵と認識され攻撃を受ける。
早鐘打つ鼓動が鼓膜を振るわせ、動けぬ状況が頬に冷や汗を落とす。
そんな一人と一匹を余所にすぐ脇を子供ゴリラが飛び跳ねる勢いで横切り、母親らしき個体に抱きついていた。
子供ゴリラから鳴き声がするなり、目の前のゴリラの右手が動く。
だが、その動きはひどく緩慢であり、予期せぬ動作に陽仁は目を逸らせない。
ぽんぽん、とゴリラは陽仁の頭部を撫でるように叩く。
そのままナックルウォーキングと呼ぶ、前肢を握り拳にして地面を突きながら歩く四足歩行で群と共に歩き去っていた。
「た、助かった……」
音が遠ざかったのを合図に陽仁の足腰から急激に力が抜ける。
そのままへたり込んでしまい、布地を介してコンクリートの冷たさが臀部に伝播してくる。
「お礼、なのかな」
ゴリラはいかつい顔の割には繊細な気質であり、森の賢者と言われるほど賢い。
そういえばと、幼き頃、覗き見た両親の資料を思い出す。
「どっかの動物園だっけ、子供が誤ってゴリラの檻の中に入った時、他のゴリラが外敵として排除しかけたのに対して一匹のゴリラが子供を掴んでは飼育員通用口まで運んだって」
そのゴリラは親の育児放棄により人工飼育にて育った個体だった。
どう思って他種族なる人間を助けたのか、理由は分からない。
純粋に人間に助けられたから助けたのか、それともとっと異物を回収して欲しかったからか不明であった。
ただテレビのドキュメンタリーに出ようならば、人間に育てられたゴリラ、人間の子供を助けると感動的に仕上げるだろう。
「それに、あの匂いがなかった」
間近にいたからこそ否応にも動物特有の匂いが鼻孔に届く。
あのゴリラからは虎から漂っていた甘い匂いがなかった。
酷い言い方だが、動物特有の毛クサい感じだった。
「っ!」
いつまでも座り込んでいる場合ではないと、陽仁は立たぬ足腰に拳で活を入れていた時だ。
ゴリラが去った反対方向より、複数の足音、それも四足獣の足音がする。
爪先がコンクリートに当たり反響する独特の音。
飼い犬たちの散歩で親の声ほど聞いた音。
スリングショットに催涙液入りカプセルをつがえ、ゴムを引き絞る。
(ハイイロオオカミの生き残りか? それともジャッカル、いやそれはこのパークにいなかったはずだ。ならハイエナ? けどこの足音には聞き覚えがあると感じるのは何でだ?)
足音はどんどん近づいてくる。
陽仁は目尻を鋭く、乾いていく唇を舌先でぺろりと舐めた。
鼻先が曲がり角より覗く。何かを探るように、頭部を上下させている。
顔が移り込んだ瞬間に放つと掴むゴムに力を込めた瞬間、露わとなった顔に毒気を抜かれた。
「わんっ!」
曲がり角より現れた一匹のジャーマンシェパードは陽仁を見るなり、元気に一鳴きした。
「る、ルズ、それにタンまで! お、おっと!」
ルズに続くように現れたのは、怯え腰のシベリアンハスキー。
危うくゴム持つ手を緩めかけた陽仁。
飼い犬に直撃する誤射を回避しては、催涙液入りカプセルをケースに戻す。
「なんでお前たちここに! うわ、こら、やめなさい!」
陽仁の心境など飼い犬二匹は知らず。
嬉しそうに尻尾をはち切れんばかり振っては陽仁の顔をなめ回す。
「やめんか!」
飼い主として陽仁は二匹をぴしゃりと叱りつける。
左右の手でしっかりとそれぞれの口元を掴んでは、これ以上舐めたマネはさせない。
「くゅう」
二匹揃って悲しそうな声がくぐもって漏れる。
「なんでこんな危ない場所まで来たのか、今は理由は聞かない。けど、来たからにはしっかりと役だってもらうよ」
陽仁の強い目にズルとタンは揃って互いに目を向けあっている。
何か伝えあっているのか、すぐさま目線を戻せば頷くように首を動かしていた。
「よし、なら行く、おおっと!」
立ち上がりかけた陽仁は寸前で、主に応えようと吠えそうになった飼い犬二匹の口周りを掴んで吠えるのを阻止させた。
「いいか、ここには危ない動物が沢山いるんだ。下手に吠えると襲われるかもしれない。分かったな?」
飼い犬二匹はまたしても互いに目線を向けてはすぐさま戻し頷いた。
「本当に分かってんのかな?」
不安がないといえば嘘になる。
だが、駆けつけてくれた想いは嘘偽りないだろう。
「先頭はルズ、中央は僕、後方はタン、いいな?」
ルズの警戒心が強いのは危険予知に長けている証拠だ。
タンは臆病ですぐ隠れるが、それは常に安全な場所を把握している証明となる。
後にも先にも油断ならぬ状況下、この順列がもっとも生存率が高かった。
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