第36話 君は悪くない

 虹花から打ち明けられた事実にリサは義憤を募らせる。

「御曹司だからってあれこれ好き勝手しすぎでしょう!」

「まあ、そのあれこれの最もたるは周囲に持ち上げられたのが原因だろうね」

 ここで今まで沈黙を保っていた立花が口を開いた。

 受話器を置いたデスクを背にしていた。

「良いも悪いも場に染まりやすい性格だとある人は言っていたよ」

 立花の口調は苦さが混じり、話していいのかと、不規則に動く目は迷いを強く物語っていた。

 誰に言うまでもなく、時間だしいいかと頭を振り話し出した。

「それに彼は御曹司じゃなくなる。今回の件、父親である檀野社長の耳に届いていてね。当人の猛省と陽仁くんに対する謝罪がない限り父親自ら勘当する流れになっていたんだ」

「な、ならハルくんがホテルのロビーで会う人ってのは」

「確かに檀野だけど、会うのは檀野嵐太さんだよ」

 虹花は立花の口から出た予想外の名前に両目見開くしかなかった。

「な、なんで立花さんが、ライくんのお兄さんの名前を」

「一年半前、調査依頼を受けたんだ。十田陽仁の周囲に対する身辺調査って依頼をね。その依頼主は他でもない檀野雷蔵の兄、檀野嵐太さんだった」

 流れは虹花の見えない箇所で既に生じていた。

 結局、虹花は独りよがりで悩み、裏目な行動ばかり取っていたことになる。

 不甲斐なさに打ちのめされている虹花に対して、イの一番に食って掛かったのはリサだ。

「じゃ、あんた、あの子がいじめられている中、助けもせず調査していたってわけ!」

「お怒りはもっとも」

 立花は義憤で喰いつかれようと、飄々とした態度を崩さない。

 リサの目尻は益々険しくなり、ミルがいなければジャガーのように立花に飛びかかっていただろう。

「契約として対象人物との接触は禁じられていた。下手に干渉すれば、マッチポンプや捏造と否定されて証拠能力が低下する。それに陽仁くん当人も檀野嵐太さんから事後承諾の形で理解してもらっている」

 実際、調査をしたのは立花が依託した信頼たる人物たちだ。

 探偵業を営む者たちだからこそ、この手の調査依頼は多く、なおかつ手慣れており、揺るぎない証拠を集めることができた。

「もしかしてパークで一緒にいたのも」

 リサとミルから邪推の眼差しを受ける立花だが、今度は目を一切泳がすことなく首を横に振っていた。

「あ、これはただの結果論。調査は終わったからパーク取材という次の仕事に移っただけ。彼が檀野雷蔵にカートから蹴り落とされたのをたまたま目撃して助けただけだよ。もう契約満了だから接触OKだし」

 実際は蹴り落される前に出会っているが、あれもまた偶然の産物であった。

 よって特に指摘もないため答弁はしない。

 立花自身、顔に出していないが送られてくる調査結果に胸くそ悪さを感じたのは事実。

 仕事柄、ケーキ一つ食べられた理由で殺人を起こした事件の取材経験がないこともない。

 微々たる悪意が些細なことで急速に肥大化し、限界というキャパシティーを超えて殺害に至ることなど珍しくなかった。

「虹花くん、結論から言う。君は悪くない。悪いのはその立場に甘んじている檀野雷蔵当人と甘い汁を求めたその周囲だ」

 何度も取材を重ねてきた身として立花は言えた。

 スカートだから痴漢に遭った。銀行でお金を降ろしたから強盗に遭った。自転車に乗るから盗まれた。悪いのはそうなった当人、犯罪を誘発させたお前が悪い! と自己責任やら被害者にも落ち度があった、など被害者の加害性を責任逃れの詭弁として使用する輩は多い。

 犯罪など起こさねば起こらない。犯罪現場など、犯罪が起こった瞬間、現場となるだけだ。

 やられた方が悪いと批判するなら、何もやらなければ何も起こらないと批判し返すも、自責の念すらない輩には釈迦に説法だ。

「そうよ、あなたは悪くない。むしろ身体張ってでも助けようとしたでしょう! そ、そりゃやり方は間違ってたけどさ、うん、それでも間違っていないよ!」

 リサは時折、ミルを流し見ながら虹花に強く言い聞かせる。

 その折り、ミルは苦笑しながら続いた。

「そうだね。リサなんて、小学校の頃、私にちょっかいかけて来る男子に、やめるよう言っても聞かないから先生に相談しても、好きだからしているから問題とか言われて相手にされないと知るとね、調子に乗って私にちょっかいかけてきたその男子を水筒で殴って黙らせているんだから」

「ちょっとミル、ここで昔の話しないでよ!」

「事実でしょう。先生が注意しも、私も好きだからしているんです! 好き同士だから問題ありませんとか言い返して、先生の目、白黒させていたわね」

 たくましい行動力に自然と誰もが笑みが零れてしまう。

「だから、虹花さん、あなたも自分を責めないで。それに喋りすぎで身体に障るわ。今は幼なじみの彼を信じて待ちましょう」

 ミルはそっと優しく虹花の左手を握る。

 ほんのり指先は冷たく、顔色も悪い。

 年上としてふがいなさを感じていない訳ではない。

 付き合いは短く、十田陽仁の人となりの詳細は知らない。

 それでも短い間ながら、誰かのために行動できる優しい人間だと感じていた。

 だから、彼は無事、血清を手に戻ってくると誰もが信じていた。

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