第35話 告解

 セアカゴケグモの毒は神経毒。

 主な症状として、嘔気、嘔吐、発熱、不眠症、めまい、頭痛、全身の発疹、高血圧、下痢、吐血、呼吸不全などを引き起こす。

 特に幼い子供の症状は早く、重症化しやすい。

 そして噛まれてから死亡するまでの時間は六時間から三〇日と幅があった。


 椎名秋葉は虹花の左手に触れ脈を計る。

 噛まれた右手の甲は赤く腫れ、時間経過で腫れと赤みを増していく。

 陽仁が血清を取りに向かって早一時間。

 そろそろ症状が現れ始めている。

 ロクな医療器具がない中、看護師としてできるのは痛みを緩和させるために患部をアイスパックで冷やす程度だった。

「脈が少し早いわね。いえ早い程度で済んでいるってところね」

 セアカゴケグモに噛まれた場合、患部をすぐさま温水や石鹸水で洗い流す。

 神経毒であるため、運動神経系、自立神経系を阻害させる。

 時間経過と共に局所通として次第に身体全体に痛みが広がっていく。

「噛まれた場合、約一時間ほどで全身に症状が起こるの。けど身体が大きいからそれが遅いのね。どこか痛いところはあるかしら?」

「え、えっと今は右腕、だけです」

 呼吸をやや乱しながらも虹花ははっきりと受け答えしている。

 ただ額には玉の汗が浮かび、熱も露わとなっている。

 焦点も少しずつぼやけており、ぼんやり天井を見上げる間が多くなった。

「うっ、ううっ」

 虹花は椎名から顔を背けては身体を震えさせる。

 悪寒に襲われていると思い、立ち上がるも枕が濡れており、何も言わずタオルで涙を拭う。

「大丈夫、水飲める?」

 気を利かせたリサがペットボトルを差し出した。

 発汗により体内の水分が失われていく。

 脱水症状を防ぐためにも水分摂取は大事だ。

「あ、ありがとうございます、うっ、ううっ」

 飲みかけて涙ぐむ虹花。

 症状とは違う何かがあると看護師として椎名は看破した。

「どうしたの? 喋るのは体力が落ちるから推奨できないけど、話したいことがあるなら言ってね」

 相手を損耗させぬよう椎名はゆっくりした口調で語りかけた。

「これが代償なんだ」

「だ、代償?」

 困惑気味に椎名はリサやミルと顔を見合わせるしかない。

 まさかこの手の惨状は、自分の日頃の行いが招いたと思いこんでいるのか?

 確かに日頃の行いを理由に、因果を結びつけ批判する輩は必ず現る。

 けれども母親として、彼女にそのような因果はないと見る。

 娘の由美と末っ子の白芳が同じ幼稚園であり友達の関係上、鬼流院家と交流がある。

 子供同士の仲は良く、遊ぶのにもお昼寝するにもいつも一緒だ。

 その中で、虹花は長子として学業で忙しい中、末っ子だけだけでなく娘とよく遊んでくれている。

 頼りになるお姉ちゃんと由美もまた虹花に懐いていた。

「縁結びの神社で願ったんです。ハルくんとライくんが昔みたいに寄りを戻して仲良くなるのを。その代償に自分はどうなってもいいて、けれど」

 虹花の身体の震えは止まらない。

 嗚咽を堪えながら、体力が消耗するリスクがあろうと語り続ける。

「けど、ハルくんはハルくんで学校でいじめに遭っても、ライくんと縁を切るためにあれこれ動いていた」

「いじめって、もしかして、あの高校のこと?」

「ああ、なんか教師まで生徒のいじめに荷担していたって警察やマスコミが押し掛けていた」

 直感的に口走ったミルに続いてリサもまた思い出したのか苦い顔をする。

「教師までいじめに荷担していたって?」

 椎名は困惑気味に聞くしかない。

 子を持つ親として我が子が被害者及び加害者になったらとの考えがよぎったのは一度や二度だけではないからだ。

「昼前にニュース速報で流れたんです。先生がテストの点数改竄とか不正行為とか押しつけていたとか」

「そうそう、SNSでもその学校関連のアカウントは荒れに荒れて炎上していたんです」

 リサとミルは情報を発信する身として、この手の情報は過敏であり鋭敏だ。

 いや発信する身だからこそ、自らの言動が火種にならぬよう気を付けねばならぬ故だろう。

「なら、その主犯があなたの言うライって人なの?」

「主犯なんていないと思います。だってライくん、ほとんど手なんて出さなかったし、周囲が勝手にしていた感がありましたから。それでも私も同罪なんです」

「同罪って何かしたの?」

 リサの疑問に虹花は首を縦に振るう。

「何もしてないから同罪なんです」

 同罪、つまりはいじめの傍観者であったと気づかぬ者はいなかった。

「なんでこうなったんだろう。中学二年までハルくんとライくん、本当に仲良かったんですよ。女子たちからドン引きされるぐらいスケベな話を教室で堂々としたり、集まって勉強会したりとか、確かにケンカだってしてましたけど、三分経つと何食わぬ顔で仲良くスケベな話してたんですよ」

 内容はともあれ、話を聞く限り親友と呼べる仲だったようだ。

「中学一年の頃に出会って、意気投合したみたいで、そしたらびっくり。なんかお兄さん同士も友達だって後から分かったんです」

 互いに年の離れた兄を持つ身。

 その兄たちも中学に入る頃には既に家を出ていたため、弟二人は縁があるとは思ってもいなかった。

「けど、ライくんのお兄さんは、ライくんが中学に上がる前に後継者のイスを蹴って家を出たんです。ライくん大好きなお兄さんが家出たから、しばらく落ち込んでたと言ってましたし、ハルくんも気を利かせて敢えてお兄さんの話はしないようにしていました」

「そのライって人のフルネームは?」

「雷蔵です。檀野雷蔵、あの檀野グループの、です」

 よもやトリニティーパーク、遊園地エリア担当企業であった。

 だが、誰もが合点が行く顔をするしかない。

「学校の対応を見るに誰もが大企業の御曹司に忖度したとか思えないわね」

 椎名はただ頭を抑えるしかない。

 寄らば大樹の陰、されど大樹の陰はほの暗い。

 社会的に、どちらにつけば利があるか、大人のいじましさに辟易とする。

「本当に人が変わったようにライくんは暴力的になるし、ライくんがそうならって周囲も荷担してくるし、だから私言ったんです。もうハルくんを傷つけるのは止めてって」

「その様子だと止まったけど、次に無視が始まったんでしょう?」

 察したリサの声音は怒りに震えていた。

 ミルが落ち着くよう諭してくることから、共感する過去があったのだろうか。

「彼女になれば手を出さないってライくんから持ちかけられ、頷いたら始まったのは無視でした」

「何よその男、最低じゃないの!」

「お、落ち着いて、リサ!」

 まるで自分のように怒るリサは拳をきつく握りしめている。

「その様子だとライって男、調子に乗って何か要求していそうね」

「しょ、純潔をくれれば無視しないし以前のように仲良くしてやるって言われました」

「殺すあの男! 去勢してイヌの餌にしてやる!」

「だから落ち着きなさいってリサ!」

 リサの怒りは盛んにして止まることを知らず。

 もしパートナーのミルがおらず、ライがこの場にいようならばビンタの一〇発は飛んでいるはずだ。

「結果として、学校の件が露見してご破算となりましたけど」

「おばあさんには相談しなかったの?」

「しようと思いました。けど下手に相談すると、両親の事業や妹たちの進路に悪影響があるって言われたんです」

「死刑よ、死刑! 何よそいつ、ゲスってレベルじゃないわ! カスよ! カス! 男以前に人間として下劣でゴミ未満じゃないの!」

「リーサー!」

 他でもないパートナーが宥めるのだから、リサはどうにか己を取り戻している。

 ただ唇と拳は怒りで震えさせたままであった。

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