第32話 危険に慣れるな

 血清を届けられない。

 回線を通じて伝えられるオペレーターの声は不条理な現実だった。

 トリニティーパークは毒生物を飼育する関係上、近隣の病院と提携を結んでいる。

 万が一の際、ドローンにて血清を搬送する。

 発達したネットワークと自動運搬技術が合わさったことで患者に合う血清を医師がリモートで判断し、迅速に搬送する。

 それが本来の流れであった。

 だが、実際に搬送しようにもパークのゲートを占拠する集団が空を飛び交うものに対して大小構わず妨害を働いている。

 マスコミすら例外はない。

 集団の正体は、このパーク建設に反対していた動物愛護団体と自然保護団体であった。

 搬送は現状、不可。ならば残された方法は一つしかない。

 動物園エリア、C地区医務室。

 そのエリアの医務室に赴き、血清を入手する。


 陽仁は声を震わせ物陰からのぞき込む。

「嘘みたいに静かだ」

 建物から一歩外に出れば、外は嘘のように静まり、動物の鳴き声一つどころか人間の悲鳴すら聞こえない。

 広場や通路に散乱するのは損壊した器物やおびただしい血痕のみ。

 心臓は鳴り止まない。呼吸は落ち着かない。それでも、だとしても子供のわがままのように陽仁は自ら外に出た。

「痛って」

 一悶着にて生じた右頬に鈍痛が走る。

 どちらがワクチンを回収に赴くかで揉めに揉めたからだ。


『ここは大人として私が行く! 十田くん、君は彼女の側についているべきだ!』

『いいえ、ここは僕が行きます! あなたは人間を撒くのに慣れているようですけど、相手は動物なんです! 爆竹や火炎瓶あれば大丈夫と思っているなら食われますよ!』

 大人と子供の対立。

 どちらもただ助けたいと思う善意に過ぎない。

 立花は毒蜘蛛に噛まれたのは、自分が持ち込んだ箱が原因という責任。

 対して陽仁にあるのは自分の行動により彼女を苦しめ続けた自責の念。

 確かにあるのは責任。

 安全確認を怠った自己責任だと切り捨てれば背負う必要などない。

 それでも陽仁が立花を責めず、自ら行動すると譲らないのは、現状を総合的に判断した結果であった。

 女子供しかいない中、陽仁か立花が向かうのは妥当。

 だとしても、動物相手の経験が少ない立花では荷が勝ちすぎている。

『あなたはここに残って万が一に備えてください。男手一つあるかないかで脱出は違います』

 言い合う時間すら惜しい。

 セアカゴケグモの毒性はデスストーカーと比較して軽い方だとしても人体への悪影響は大きい。死亡例だってある。

 どうして立花は頑なに譲らないのか、頭では分かっていても理解できなかった。

『だがな!』

『時間が惜しいんですよ! 言い合いなんてしている暇なんてないんです!』

 陽仁は埒があかぬと箱からトランシーバーを掴んでは動作の確認に入る。

 交信可能なツールがあるならば活用すべきだ。

 その音声が動物を引き寄せるリスクがあろうとメリットは高い。

『調子に乗るな!』

 立花の鋭い声と同時、鈍い音が陽仁より響く。

 頬に走る痛みから殴られたと気づいたのは床に倒れ込んだ時だ。

『ちょ、ちょっとやめなさいよ!』

 見かねたリサとミルが両者の間に割って入る。

『子供を危ない目に遭わせるほど人間捨ててないんだよ!』

『だからって自分が危ない目に遭おうとするなんて人間捨ててますよ!』

 ミルに介抱される形で起きあがった陽仁はすぐさま立花を殴り返していた。

 小さな悲鳴が室内に響き、空気が緊張で軋む。

『確かに、あんたは場慣れしているし何度も死にかけても生き残った。それが逆に危険なんだよ!』

『ど、どういう意味だ?』

 口内を切ったのか、口元を拭う立花は睨み返す。

『あんたは危険に慣れすぎている! 確かにさ、このパークで安全な場所なんてあってないようなものだ!』

 フィールドワークに赴く際、両親に散々言われた言葉を陽仁は言った。

『危険に慣れるな! 慣れれば安全を見失う!』

 慣れは事故を引き起こす。

 ここは大丈夫だとの慣れは知らずに油断へと変わり予期せぬ事故を引き起こす。

 見慣れすぎた故に、事故の前兆を見落としてしまう。

『あれこれ無茶やった君から出る言葉じゃないと思うが?』

 互いに殴られたお陰か、声のトーンは幾分落ち着いていた。

『そうかもしれません。ですけど、あなたは人間に対する知識がある。けど動物に対する知識はない。だけど僕には逆の形である。それが理由です』

 例え、動物の知識が親からかじり取った知識だろうと生存率は高められる。

 数瞬の沈黙が室内を支配し、次なる音は立ち上がった立花であった。

『周波数を合わせておく。音が動物を引き寄せるリスクもある。通信は基本的にそっちからすること。いいね』

 立花は納得の顔をしながらも口調に苦さを乗せてトランシーバーを調整していた。

『約束してくれよ。絶対に戻ると。子供一人を危険な地に向かわせて見殺しにしましたって記事、同業者から書かれたくないからね』

 ジャーナリストらしい笑えない冗談に陽仁は苦笑するしかない。

『もちろんですよ』

 恐怖がないと言えば嘘になる。

 だが一番の恐怖は今ここで虹花を失うこと。

 不幸中の幸いは、虹花の体躯が平均女性より大きいお陰で毒が回るのに猶予があることだ。

 口に出して言えば、後から投げ飛ばされるので内に秘めた。

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