第27話 虎口を脱せよ

 警戒してスタッフルームまで舞い戻った陽仁たち。

 椎名親子はガラスの割れた音に用心して更衣室に避難していた。

 ただ今なお虹花は目覚めておらず、胸騒ぎが陽仁の胸を掻きむしる。

「移動しましょう」

 陽仁は一つの決断をする。

 この場に留まり続けるのは危険。

 誰かが別の窓ガラスを割って入った、動物が割ったかは判断がつかぬ今、留まり続けるのはリスクしかない。

 暗がりから牛だろうと暗がりから肉食獣と判明した時点で時すでに遅し。

「どこに移動するの?」

 当然のことリサから疑問が挟まれた。

 負傷者一人、未だ気絶中が一人、足の遅い子供が二人と万全ではない状態。

 下手に動くのは動けぬ者がお荷物となるリスクがある。

 良い澱む陽仁に助け船を出すのは立花だ。

「フードコートのすぐ近くに医務室がある。あそこならちゃんとした手当もできるし、何かしらの連絡手段もあるはずだ」

 案内図を広げながら説明する。

 見れば、ペンで事細かな書き込みがされていた。

「ああ、安心していい。外から見てきたけど、動物が出入りした痕跡はなかった」

 ふとここで立花は陽仁に目配せをする。

 恐らくたどり着いた後、フードコート内を見回っていた際、外部をチェックしてきたのだろう。

 視野と現状を広く見るのはジャーナリスト故の職業柄か。

「なら急ぎましょう。何かイヤな予感がします」

 虹花を抱き抱えながら陽仁は顔を引き締めた。

「虹花、少し揺れるけど我慢してね」

 今なお目覚めぬ虹花に陽仁はただ優しく語りかけた。


 一同は息を殺してゆっくりと通路を進む。

 フードコート内は不気味なまでの静寂に包まれ、早鐘刻む心音が否応に響く。

 何が侵入したのか、誰が入ったのか、正体不明の存在は恐怖に化けて足にしがみつき、進行を妨げる。

(よし、いないな)

 先頭を行く立花は曲がり角の度、手鏡で先を確認する。

 鼻の利く動物からすれば、隠れた人間の匂いなど一発だろう。

 人間が狩られる立場に今いるからこそ、不確定要素は一つでも減らす必要があった。

 慎重に進むに連れ、一面白化した通路にたどり着く。

 晴仁と立花は目配せする。

 白化した通路は、フードコート到着時、執拗なチンパンジーに向けて立花がとどめにと撒いた消火剤であった。

 消火剤の上には窓ガラスの破片が散らばり、外光に照らされ反射している。

(ストップ)

 陽仁は手をあげて皆を制止した。

 通路に散らばるガラス片をめざとく睨みつければ、抱き抱えた虹花を立花に預ける。

 次いで距離が近かろうと双眼鏡を手に取った。

 最初に消火剤散らばる床を、次いで割れた窓の外を覗きこむ。

 不安な視線が背中に刺さる。だがこの程度、動物の牙や爪がその身に立てられるよりマシだ。

 杞憂であって欲しい。見間違いであるべきだ。

 けれども、生半可な知識だろうと、正解を出してしまう。出てしまう。

 毒杯飲み干すかのように陽仁は緊張した顔でスマートフォンに指を走らせた。

<虎がいる>

 通信ができぬだろうと、こうして声を出すことなく意志疎通が行えるが、表示された文字に誰もが緊張を伝播させる。

<落ちたガラスの反射で見えにくいけど、あの足跡、虎のものだ>

 猫の足跡をそのまま拡大させたような足跡。

 散らばった窓ガラスの反射光で近くまで寄らねば見えづらい足跡を陽仁は双眼鏡で発見した。

<足跡からして一匹。方向からして進路上にいる可能性が高い>

 困ったと陽仁は唇を苦く噛みしめる。

 虎は獰猛さに例えられるほど人間に馴染み深い。

 日本では寅年、武田信玄が自らを甲斐の虎と呼んでいれば、中国では百獣の王といえば虎とされ、三国志の張飛はその髭を虎髭と呼ぶほどだ。

 近代兵器にもティガーなど虎の名を冠する物が多い。

<なら迂回するかい?>

 立花のメッセージに陽仁は逡巡する。

 虎は群で狩りをするライオンと違い、単独で行う。

 虎視眈々とあるように、隠れ潜んでは獲物を待ち続け、距離が縮まれば一気に跳びかかり仕留める。

 後ろ脚は瞬発的な跳躍に長け、前脚は捉えた獲物を抑えつける筋力に長けている。

 一度抑えつけられたらアウト。文字通りその牙の餌食となる。

 実際、虎に狩られて犠牲となった人間は多い。

<その窓から出られないの?>

 リサからの提案に陽仁は首を横に振るう。

 論より証拠と陽仁は双眼鏡を覗かせていた。

<チンパンジーたちがいる>

 獲物を忘れられないのか、割れた窓の向こう側にある建物の屋根には待ちかまえるようにたむろチンパンジーの群がいた。

 誰もが一望できる位置に陣取っては暢気に寝そべり、尻をかいている。

<中にまで入ってこないのは、中に虎がいると知っているからなんだ>

 個の虎か、群のチンパンジーか、どちらもマシではない。

 自ら食われに行くバカは自然界では生き残れない。

 狩るか狩られるかの立場が簡単に入れ替わる世界だからこそ、わざわざ肉食獣の縄張りに侵入しない。

 故に陽仁はチンパンジーたちが屋根でたむろしている理由を看破していた。

 虎に追われて出てきた獲物を自分たちが群で狩るという知恵を活かして待ちかまえている。

 他の動物を利用して食事にありつくのは自然界ではよく使われる知恵だ。

<ここは来た道を戻って迂回したほうがいい>

 館内見取り図を元にルートを再編成。

 幸いにも目的地たる医務室は、陣取るチンパンジーとは反対側。

 もちろん、別のチンパンジーが反対側にいる可能性も否定できないが確認できなければ机上の空論。

 順当な判断に誰もが異論を挟まない。

 ゆっくりと前方に注視しながら後退する。

 当然、後退先の注意を怠らない。

 進んだルートだからといって安全が確約されたわけではない。

 パーク内はいわば、動く地雷原。

 進んだ一歩が安全だっただろうと、後退した途端、襲われる。

 その時だ。

 通路の奥より、液体撒かれる音と虎のうなり声がした。

 後退しつつあった陽仁たちは青い顔を見合わせ、身を強ばらせた。

「虎が漏らしたか?」

 立花の品のない冗談を誰一人糾弾しない。

 曲がり角の奥より獣の猛り声が響くなり、一匹のチンパンジーが天井や壁を蹴って現れた。

 陽仁たちを一別することなく、そのまま割れた窓ガラスより身を飛び込ませて外に飛び込んでいた。

「急いで!」

 陽仁は口で言うより早く、スリングショットから催涙液入りカプセルを床に向けて撃ち出していた。

 床に当たったカプセルは着弾の衝撃で赤い液体をまき散らす。

 直後、曲がり角から巨体揺らす虎が駆けて現れるが、たちこもる刺激臭に身を怯ませていた。

「こっちだ!」

 階段まで誰もが逃げ込んだ時、立花が防火シャッターを全力で降ろす。

 パークが全自動を売りにしようと、万が一に作動しなければ意味がない。

 そのため人力で開閉できるよう消防法で定められている。

 大きな音を立てて降ろされるシャッター。

 虎に突破されるか否か、なんて警戒する余裕今はなかった。

「くっそ、やられた、あのクソ猿!」

 壁に背を預けた陽仁は悪態つく。

 あろうことかチンパンジーが一枚上手ときた。

「な、なんでチンパンジーが入って来てるの!」

 リサから当然の疑問が悲痛な声で届く。

「手跡や足跡なんてなかった。壁とか天井使って移動してんだから残るものも残らないはずだ」

 木々を伝って移動するからこそ物を掴める手足に発達している。

 壁や天井にあるわずかな凹凸を利用して館内を移動していた。

「十田くん、やられたってのはどういうことだい?」

「囮ですよ、囮」

 群で狩る際、よく行われる連携プレイだ。

 対象となる獲物に意図して姿を晒すことで警戒を向けさせる。そうして反対側より本命が強襲し獲物を狩る。

 今回チンパンジーが行った連携は、虎を意図的に煽り、獲物が外に脱出するのを誘発させるもの。

「狩られるリスクがある場合、あの手の役回りは群での序列が低いのがやります。中の虎を怒らせ、獲物を襲わせやすくさせる。あの猿は狩られずに離脱しました。役目を見事に果たしたんです」

「関心したいが、関心はできないな」

 話を聞いた立花は顔をしかめるしかない。

 先の出会いで匂いを覚えられた可能性が高い。

 館内を徘徊していたのも獲物を探していたからだ。

 残り香はあろうと当人たちがいなかった。

 そこをチンパンジーに突かれた。

「コケにされたと虎は今頃、血眼でチンパンジーを探しているはずです。ですけど見つからないからこそ、その対象を僕たちに切り替えた」

 確かにしてやられた感はある。

 たかが猿と侮ってはいない。侮っていないが、まさか他の動物を利用して狩りをするなど予測できなかった。

「虎の興奮具合からして、何度もチンパンジーに突かれていると思います」

「猿の煽り運転とは笑えないぞ」

 妙な例えをする立花に陽仁は半眼沈黙で返す。

 むしろ、人間が猿並の運転しかしていない皮肉かと気づくが指摘はこの状況で野暮だ。

「どうする」

 陽仁は案内図を広げては改めてルート再編に入る。

 このフードコートは計三層で成り立っている。

 多くの人々が休憩できるよう大きめに設計され、趣向を凝らした料理をリーズナブルで楽しめる造りだ。

「三層?」

 ふと自問が陽仁の思考を止める。

 確かに計三階建ての建造物である。

 何かを見落としていると違和感が脳内で叫ぶ。

 案内図を人差し指が這う。這い、一階より一段下で止まった。

「そうだ、地下だ! 地下通路だ!」

 パーク内は各エリアを円滑に移動できるよう地下通路が設けられている。

 催涙液の材料を集めていた際、スタッフオンリーの扉の奥に地下へ降りる通路を見つけたはずだ。

「けど」

 当然のリスクはある。

 地下通路が安全だという保証はどこにもない。

 下手すると虎のほうがマシだと思える事態に遭遇する可能性もある。

 陽仁はちらりと視線を向けては同行者の様子を伺う。

 誰もが不安と恐怖を隠し切れておらず、些細なことで感情が決壊してもおかしくない。

 特に負傷者や子供がいるからこそ、慎重でいながら迅速な行動と判断が求められる。

「行きましょう」

 以外にも賛同の意見が出た。

 リサに隠れがちで、今まで意見の出なかったミルからだ。

 陽仁は二人がどんな旅先に向かい、どんな配信をしているのか知らない。

 ここから脱出したら、配信を視聴するのも悪くないだろう。

「けど、ミル、どうやって地下まで行くの?」

 リサの意見はごもっとも。

 虎やチンパンジーと遭遇するリスクはできる限り避けるべきだ。

「それなら直通ルートがあります」

 陽仁は迷いもなく言い切った。

「リネン室を使います」

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