第28話 虎に翼を授ける
リネン室とはホテルなど宿泊施設にあるシーツやタオルなどを収納、保管する部屋だ。
この建物がフードコートであり、三層構造だからこそ、食前食後に使用される布巾や仮眠室で使用されるシーツを保管する部屋が各階にある。
加えて使用済みの布巾などを再集荷及び洗濯室送りにするためのリネンシュートが階層を縦に貫く形で設営されていた。
「よし誰もいない」
目的地であるリネン室は問題なくたどり着けた。
先頭を務める立花がゆっくりとドアを開け、隙間から中を覗き見る。
ドアノブを少しでも動かせば音は鳴るのだが、一つも鳴らない手際の良さ。
潜伏取材で培われたスキルか、この状況で誰も口に出す者はいない。
フードコート二階、リネン室。
一度も使われていないシーツや手拭きが戸棚に収納されている。
そして目的であるリネンシュートもまた未使用のまま扉を閉じていた。
「よし、このサイズなら人間も問題なく行ける」
立花が一番槍にリネンシュートの蓋を開く。
安全確認のためにとポケットから取り出したのは酒瓶の蓋。
一つ、リネンシュート中に放り込めば、間を置いて金属音が反響した。
「こりゃそのまま落ちれば尻餅じゃ済まされないな」
反響具合から着地点を類推する。
リネンシュートはほぼ垂直の縦一直線。
本来、使用済みの布類を落とすためのものであって人間を落とすものではない。
だが対策はあった。
使用済みシーツを幾重にも投げ入れ、クッション代わりにすればいい。
「やっば!」
扉から外を覗いていたリサが不味い声を漏らす。
「どうした!」
力仕事は男に任せろとシーツを投げ入れ続けていた立花は振り返る。
「と、虎が真っ直ぐこっちに来てる!」
「どいて!」
陽仁は言うなり、椎名に虹花を託しては、リサを押しのけるようにスリングショットを構えた。
扉の開いた隙間から催涙液入りカプセルを撃ち出した。
だが、虎は先の行動を学習したのか、巨体に似合わぬ俊敏さで壁を蹴っては急迫するカプセルを回避してみせる。
カプセルは虎を通り過ぎ、通路に刺激物をばらまいていた。
「くっ!」
第二射を放とうと距離が近すぎる。
陽仁はすぐさま全身を使って扉を閉じようとするも、虎が一手早く、隙間から前脚一つを突き入れ、衝撃がドアから陽仁の背中を貫いた。
(なんだこの甘ったるい臭いは?)
虎に似つかわしくない臭いが陽仁の鼻孔を刺激する。
突き抜ける衝撃に呻き、違和感を抱く暇などない。
虎突撃の衝撃は陽仁一人では耐えきれなかった。
それでも室内に侵入されず、扉が持ちこたえられているの、リサとミルが咄嗟に扉を抑えるのに加勢してくれたからだ。
そうでなければ今頃、侵入を許していた。
巨大な猫の手が隙間を広げんと暴れ、鋭利な爪先で獲物を引っかけんとする。
扉は激しく虎の体躯により揺さぶられる。
揺さぶり、陽仁の頭上に一本のネジが落ちてきた。
蝶番を固定するネジだと気づく。
虎の揺さぶりにより固定ネジが緩んでいた。
「もう大きい猫ってレベル超えてるでしょ!」
「かわいくない!」
たくましい女性陣に頼もしさがわき出てくる。
だが、人間と動物とでは根本的な力量差がある。
このままでは根負けして押し切られる。
「ぐっ、しまった!」
獲物を引き寄せんと振るう虎の前足が陽仁のツナギの左肩に引っかかる。鋭利な爪は布地に喰いつき、離れない。脱いで脱しようにも上下一体のツナギだからこそ行えず、虎は筋力を持ってして引きずりにかかる。
リサとミルはドアを抑えるのに精いっぱい。
下手にドアから離れ様ならば、その瞬間、虎は陽仁を引きずり出すだけでなく室内にも侵入するはずだ。
「三人とも伏せて!」
強いアルコール臭と立花の強い声がするなり、陽仁の網膜に炎が映る。
扉の隙間をすり抜けるように投擲された一本の酒瓶。
飲み口を燃やす酒瓶はそのまま虎の額にダイレクトヒットした。
通路から破砕音が響き、舞い上がる炎が虎を包み込む。
立花が製造した自衛用の火炎瓶。
火炎瓶直撃により身を怯ませた虎はその爪から陽仁を離す。
虎は巨体を振るわせるも水のように炎を弾くことができず、体毛に引火した姿で通路を走り回る。
身体まとわりつく火を消せる水場を求めて逃げまどっていた。
「今のうちに!」
火を消し終えた虎が舞い戻るリスクがある。
離れた今が千載一遇のチャンスだと、まずは立花が安全確認のため一番に飛び込んだ。
滑るような音に次いで、やや間を置いてから重低音が底から伝わってくる。
「よし大丈夫だ!」
安全確認をした立花の声が下から登ってきた。
そのまま女子供と順次降下し、リサとミルに虹花を託した陽仁がしんがりを勤める。
そのまま後方確認した後、リネンシュートに身を飛び込ませた。
虎は体毛焼く炎を消さんと水場を探すも見つからない。
壁に身体を押しつけて火を消そうと消えず、本能のまま引きつけられるように低い温度が保たれた一室までたどり着いていた。
そこは食料庫、生鮮食品や小麦粉が保管された冷蔵室。
室内に入り込んだ虎は水を探すも見つけられず、その爪が積まれた小麦粉の袋を破り、中の白き粉を室内に充満させていく。
砂代わりにして鎮火させようとした本能的行動だが、悪手だと気づくことはなかった。
奥にある別室の扉を体当たりでぶち抜き入るも、そこはただの野菜室。
水場ではないと身を翻して舞い戻った時、白き霧で先の室内は覆われていた。
暴れ回ったこと、各部屋を区切る扉をぶち抜いたことで空気の対流が生まれ、室内に小麦粉が粉塵として舞い上がり満ちていた。
小麦粉など細かな粒子状の物体が一定の閉鎖空間に満ちた状態で火気一つあればどうなるのか。
虎は最期まで知ることはなかった。
粉塵爆発と呼ばれる爆発現象により、虎は翼を授けられ、フードコートごと弾け飛んだ。
「うわっ!」
爆発の衝撃は地下通路にまで伝わっていた。
静寂な通路を進んでいた矢先に巻き起こる轟音と振動。
爆弾でも爆発したような衝撃に地下通路は揺れ、天井より埃を落とす。
「何今の、爆発?」
リサが声を強ばらながら天井を漠然と見上げている。
「さっきの虎のせいなのかしら?」
子供二人を抱きながらあやす椎名はぽつりと零す。
思いつく火の気は虎しかなく、その火元となったのは立花の投げた火炎瓶である。
困惑の二文字を乗せた目線が立花に集う。
「爆破原因は立花さんか」
「おいおい、十田くん、そりゃないだろう」
当人は視線集おうと、ただおどけ気味に笑うだけだ。
「まあ火を消さんと暴れるうちにガス管でも壊したんでしょう」
助け船ではないが陽仁は推論を述べる。
と述べた直後、フードコートはオール電化のためガスの類はなかったはずだと気づくも言葉と弾丸は戻らない通り、今更訂正など面倒だった。
実際、誰も指摘する者がいないのでヨシとする。
「んっ、んん」
陽仁が抱き抱えていた虹花から呻き声がする。
閉じていた瞼が開かれ、焦点のない目が陽仁を捉えた。
「は、は、る、く、ん?」
「虹花、よかった! 気がついたんだね!」
一生目覚めぬかと錯覚した。
嬉しさに感極まった陽仁はそのまま虹花を抱きしめてしまう。
身長差故にコンクリートの通路に足先がついた虹花は、足先より伝わる冷たさに意識の覚醒を加速させる。
「え、何ここ! なんで私こんな格好! ちょ、ハルくん離れて! 離れてったら!」
「ぶげしっ!」
覚醒による認識の混乱が虹花に平手打ちを誘発させた。
見事なまでの破裂音と情けない男の悲鳴が地下通路に響くのであった。
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