第23話 ゲート封鎖

 耳を劈くチンパンジーの鳴き声は時間共に遠ざかっていく。

「だ、大丈夫、ですか?」

 陽仁は鳴き声が小さくなったのを確認して、通路にうずくまる女性に声をかけた。

 顔のほうれんせんから母と変わらない五〇代前後だろうと読む。

 健気そうだが、走ったお陰でショートヘアの髪は乱れに乱れている。特に背中から足にかけて鉤傷がひどく、縦に裂けた衣服より血が滲み出ていた。

「あ、は、はい、ありがとう、ご、ございます」

 女性は息を切れ切れで言葉を返す。

「ま、ママ」

 抱きしめた子供二人は震えている。当然だろう。かわいいと思った動物に追い立てられる。夢に出なければいいが、今は生き残れたことを喜ぼう。

「まったくしつこい奴らだ」

 衣服についた消火剤を払いながら立花が合流する。

 しんがりを勤める形になったが無事を確認する前に、陽仁は聞くことがあった。

「なんでロケット花火とか爆竹持ってるんですか?」

 半眼で睨みを聞かせた陽仁は語彙を強めて問う。

「あ~これ単に逃走用のやつ。いざって時のために入れているのよ」

 詰問されようと立花は慣れた口調で呆気なく返すため、陽仁は渋面を作るしかない。

「取材でヤバい相手に撒く用なのはだいたい分かりますけど、どうやって持ち込んだんですか?」

 テロ防止が騒がれる今日この頃。

 イベント会場で熱狂的なファンがアイドルに刃物を突きつけた。

 テーマパークで放火騒ぎがあったなど、事が起こってからでは遅すぎると入場前に持ち物検査が行われるようになった。

「いや、今日はプレオープンだし、プレス関係者は持ち物検査、フツ~にパスよ~?」

 当人は悪びれる様子など一切ない。

 むしろ助けたのだから、感謝して欲しいという偽悪的な目の色をしているときた。

 社会的信用という立場がフリーパスを確立させた、のは分かる。

 もし危険物を持ち込み、パークを危険に晒せば、それは企業の社会的信用を地に落とすことになるからだ。

「で、ですけどお陰でた、助かりまし、ぐっ!」

 お礼の言い掛けに女性は呻く。背中の傷が痛んだのだろう。

 自力で動けるのを確認すれば、休める場所を探して室内を進む。

「こ、虹花、ちゃん」

 今なお目覚めぬ虹花を陽仁が抱えなおした時、顔を見た女性は驚いた。

 鬼流院家をこの地で知らない者はいないしご隠居の顔は広い。

 知っていても陽仁は驚きもしなかった。

「詳細は後で」

 陽仁は手短に制しては相手も察してか頷いてくれた。

「足跡は、なし」

 先頭を行く立花は身を屈めながら器物や食品散らばる床から獣の足跡の有無を確かめる。

「お、ここちょうどいいな」

 たどり着いたのはスタッフルーム。

 いくら自動調理機器を売りにしようと人手は求められる。

 万が一の機材トラブル、食材の補充、キャスト同士のトラブルや、セルフに関わらず放置された器類の片づけなどだ。

 鍵はかかっておらず、中にはいた痕跡があろうと誰もいない。

「この手の部屋には、あったあった!」

 立花は我先に戸棚を漁っては救急箱を見つけだした。

「応急処置ですみませんけど」

「い、いえ大丈夫です」

 ふと女性は陽仁に目配せして子供二人を託してきた。

 不安そうな子供たちに、陽仁は大丈夫だと言い聞かせる。

「傷は幸いにも深くはないみたいですけど」

 女性は手慣れた手つきで立花に背を向けて服を脱ぐ。

 背中は鉤傷だらけで血が滲み出ている。

 だが比較的浅く、箇所は多いが致命傷とはほど遠い。

 幸いにも救急箱内の止血パッドは十分あり、ほどなく手当を終えた。

「ママ、大丈夫?」

「大丈夫よ、このお兄ちゃんたちが助けてくれたから」

「……パパ」

 女の子が今にも泣きそうな顔をする。

 母親は悲痛な顔を子に見せぬよう抱きしめるだけだ。

「聞かないって」

 陽仁が横目で立花を睨んだ時、当人は首を振って否定する。

 恐らく四人家族でこのパークに訪れたのだろうと、父親の不存在は察せずとも分かるはずだ。

「お、夫は、観覧車に乗っていた時、チンパンジーに、外に……」

 嗚咽をこらえながら女性は話してくれた。

 聞くべきではないが、相手が打ち明けた以上、聞かねばならない。

「ど、どうにか観覧車から脱出してこの子たちを連れて逃げていたんです。それよりも」

 顔を引き締めた女性は虹花を見た。

「虹花ちゃん、濡れてますよね。着替えさせましょうか?」

 陽仁は親の強さを感じ取る。

 そのまま仮眠室にあるベッドに虹花を寝かす。

 立花が戸棚を漁る際、見つけていたタオルを女性に手渡していた。

 女性は手慣れた手つきで虹花から服を脱がしていく。

 当然、男二人はほぼ同時にベッドから背を向けていた。

「手慣れてますね」

 衣擦れの音がする中、陽仁は背を向けたまま尋ねていた。

「ええ、看護師だから着替えさせるのは慣れているんです」

 道理で相手が男だろうと自ら手当を受けようとした姿勢に納得だ。

「君、十田陽仁くんよね?」

「え、ええそうです。けどなんで僕の名前を?」

「そういえば名乗り損ねていたわね。私は椎名秋葉しいなあきは。市内の総合病院で看護師をしているの」

 続けざま、椎名は娘の名前は由実ゆみ、息子の名前は紘一こういちだと教えてくれた。

「由実と白芳はくかちゃんが同じ幼稚園なの」

 白芳は鬼流院三姉妹の末っ子だ。

 かれこれ丸二年は会っていないため、鬼流院家の状況は知りようがなかったのである。

「おにいちゃん、ハクちゃんがいってたおにちゃんなんだ」

 警戒と恐怖は薄れた女の子は顔をほころばせている。

「ハクちゃんいってたよ。おにいちゃんがおうちにあそびにきてくれないからさびしいって」

「そう、なんだ」

 縁があるからこそ陽仁の存在を知っていた。

 顔も写真があれば問題ない。まさかここで知っている人物と会うのは以外だった。

「何か着るものはないのかしら?」

「探してきます!」

 脱がした以上、着替えは必要だ。

 立ち上がった陽仁はロッカーを勝手知ったるように漁る。

 人様のものだが緊急避難の事後承諾だ。

 ついでベルトもないか探していた。

「お借りします」

 ロッカーにあった誰かのシャツを借りる。

 大きめのサイズだが、身長ある虹花には臀部が裾でギリギリ隠れるか隠れないか絶妙なラインとなる。

 アウターをはかせたいが、生憎ロッカーにはなかった。

 一方で、別の段ボールの中には作業用のツナギは入っていた。

 誤配送だったとしても渡りに船と陽仁はそれを着替えにすると決めた。

「とりあえず一安心ね」

「よ、よかった」

 一息ついた後、陽仁は床に座り込んだ。

 喉が乾く。全力で走ったから足腰が痛む。

 今になって緊張と怖気が一度に押し寄せてきた。

「なんだこの違和感」

 着替えを後回しに、陽仁は飲み物はないかと周囲を改めて物色した時に気づいた違和感。

 そう静かすぎるのだ。

 嵐の前の静けさというレベルで周囲は嘘のように静まりかえっている。

「悲鳴とか動物の鳴き声が一切ない。それに」

 陽仁は天井を見上げ耳を澄ます。

「音がしない」

 上空からヘリの音一つしない。

 指先一つで情報が発信されるこのご時世、事態は外に伝わり報道陣が押し掛けているはずだが、ヘリ音一つしないのは不可解だった。

「十田くん、いいかい?」

 ドアがノックされれば、いつの間にか通路に出ていた立花が顔を出す。

「どうしました?」

 神妙な顔つきで水の入ったペットボトルを渡してきた。

 退避している間、フードコート探索で手に入れたのだろう。

 まず親子に渡した陽仁は自分の分のボトルのキャップを捻り、水を喉の奥に流し込む。

「不幸中の幸いにも、この施設の中に動物たちはいない。いないんだが」

 どこか立花の言葉尻は重く歯切れが悪い。

 論より証拠だと渡してきたのは双眼鏡だった。

 これもまた探索で見つけたもののようだ。

「ここからでも見えるはずだ」

 立花は窓からゲート方面を見るよう促してきた。

 陽仁は促されるまま、ゲート方面に双眼鏡を向ける。

「なんだ、あれ」

 覗くなり第一声は疑問だった。

 多くの来場者が出入りしやすいようゲートは大きめに建造されている。

 それが今、外側から積まれた瓦礫や大型トラックによりゲートは封鎖されていた。

 ゲートや瓦礫の隙間から背を向けた人々が見えるも距離があるせいではっきりしない。

「誰がやったか知らないがゲートが封鎖されている。これではパークから出るに出られない」

「なんでこんなことを」

「さてね。遊園地側がこれなら水族館や動物園のゲートも同じ可能性が高いと見るね」

 ギリっと陽仁は奥歯を噛みしめる。

 この状況下で何を考えているのかと腹に来る。

「あっ、人が!」

 双眼鏡には自力でゲート前までたどり着いた男女三人が映る。

 だが封鎖されたゲートに足を止める。

 それでも脱出を諦めず、柵を越えて脱出しようとするも柵の外にいた人々が一斉に動いては長い棒で突き落とし、ロケット花火や発煙筒を放っては脱出を妨害している。

「お約束で先に言っておくけど、こっちとは無関係だからね」

 陽仁が問うより先、立花は釘差すように言ってきた。

 別段問いただす気はなく、陽仁が聞きたいのは脱出を妨害する人たちの正体だ。

「何なんですかあいつら」

 陽仁は苛立ちを声に宿していた。

 突き落とされて倒れた男女を狙うように飛びかかるのはジャガー。

 喉元に食いつかれた一人はもがこうと直に動かなくなる。

 陽仁はただ目を伏せるしかなかった。見ていられぬと双眼鏡を離すしかなかった。

 重い空気が沈黙として室内を圧迫する。

「もしかして救援が来ないのは……」

「居座った謎の集団が妨害しているって線が濃厚のようだね。報道ヘリすら飛ばないのは不自然だと思っていたが、先のロケット花火でだいたい予測できる」

 飛行を妨げられ、近づくことすら許されずにいる。

「さて、どうしたものか」

 立花はポケットから取り出した案内図を手に一人ごちる。

「外部と連絡は取れない。救援は期待できない。籠城って手もあるけど、この手の動物はしつこい」

 餌という人間の存在が動物を引き寄せる。

 隠れ潜みやり過ごすのは動物たちの十八番。

 ここには今いないだけで匂いを嗅ぎつけて来るのは時間の問題であった。

「自力で脱出は」

 きついだろうな、と立花は親子を横目で流し見ていた。

 負傷した母親にまだ非力な子供二人は、一番最初に狙われる。

 立花や陽仁単身でならばどうにかなるかもしれないが、リスク云々勘ぬんに人間を辞めていない。

 可能ならば全員で脱出するべきだ。人道でもなくただ人としての理性だった。

 彼、十田陽仁もまた同じことを言うだろう。

「ここ、フードコートですよね」

 ふと案内図を覗いていた陽仁の顔が引き締まっている。

 何か妙案があるような顔つきだ。

「二階はカレーショップに中華料理店、それにガチャマシンコーナー、もしかしたらいけるかも」

 面白そうな話だと立花のジャーナリストの直感が囁いた。


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