第22話 霊長類の残虐性

 男二人、コンテナの上で横になったまま青い空を見上げていた。

 息を切らそうと、捕食から生還した喜びが言葉を紡がせる。

「っかくキミも無茶するな、ワニの顎を抑えるとか」

「はぁはぁはぁ、ワニって噛む力は一トンから二トンあります。車のフレームを食いちぎるほどありますけど、開く力は全くないんです」

「ない?」

「ええ、玄人がやれば手だけでワニを抑え込めます。その間にテープでぐるぐる巻きにして捕獲するんです。ですけど、その時は鱗や尾に注しないといけません」

 素人の身で行動しといて言うのも、と陽仁は前置きする。

「鱗は大根おろし器みたいに鋭く、ガチで大根がおろせるぐらいです。尾だってその先端の振り下ろしを受ければ骨が折れます。もう一度言いますが、素人にはオススメできません」

「それを土壇場でやったキミがいうかね」

「無我夢中だったもんで」

 陽仁は起きあがりながら虹花に寄り添った。

「よ、よかった、どうにか助けられた」

 虹花の柔らかな頬に触れ、その温かさを実感する。

 まだ意識は取り戻せていない。

 それでも、彼女が無事であることが陽仁の心を和らげてくれた。

「ここは、フードコートのようだな」

 コンテナ置かれた建造物を見上げた立花は言い当てる。

 三つの階層を持つ大型フードコート。

 多くのキャストが滞りなく休めるよう建築された施設だ。

 地理的に船の発着場から一〇〇メートルしか離れておらず、窓辺から船の航行を俯瞰できる設計であると陽仁は知らなかった。

 立花は運が良いと、すぐ目の前にある窓にほくそ笑む。

「とりあえず中に入ろう。君も彼女も濡れたままだと風邪を引く」

 立花はすぐ側にあった窓に手をかければ、脱いだ靴でガラスを叩き割っていた。

「手慣れてますね」

「まあね。仕事柄よく拉致監禁されてさ、結果としてあれこれ脱出する術が身についただけだよ」

「何やったんですか」

 陽仁は乾いた声で聞くしかない。

 ジャーナリストらしいが、ドラマみたくよく監禁されるなど笑えない話だが、笑うしか感情が出力しなかった。

「何って大物政治家の違法献金問題っていうよくある話」

 よくある話なのか、住む世界が違うと陽仁は感心する。

 そんな陽仁を余所に、立花は開いた窓の隙間に手鏡を入れては室内を確認していた。

「よし、いないし、足跡もなし」

 無闇に室内に足を踏み入れない。

 万が一、動物が徘徊している可能性を踏まえての安全確認であった。

 慎重さがあり、用心深さがある。

 これもまたジャーナリストで培われたスキルなのだろう。

 立花に続く形で陽仁は虹花を抱き抱えて建物内に入ろうとした時、人の駆ける音に足を止めた。

「立花さん、あれ!」

 ついでキィーキィーやかましい鳴き声さえする。

 見れば子供二人を抱き抱えた女性がチンパンジーの群に追われている。

 チンパンジーたちは爪先を振るい、女性の背面を傷つけ笑うように鳴いている。

 獲物を狩るのではなくいたぶっていた。

 珍しいことではない。

 霊長類は例え同族同種であろうと群が違うならば、執拗に追い立てる残虐性を持つ。

 その陰湿さは人間と変わらない。

 たった数%の遺伝子の違いでは説明できない共通の潜在性があった。

「待った待った!」

 立花は虹花を置くなり一目散に飛び出そうとした陽仁の肩を掴んで制止した。

「ですけど!」

「分かっている! 放ってはおけないでしょう!」

 だからさ、と気が気で仕方がない陽仁とは対照的に立花はひどく冷静だった。

 ベストの左ポケットを軽くタッチして取り出すは人差し指サイズの円柱がついた棒だった。

 それが五つ。陽仁はどこか見覚えある既視感に囚われ、その答えは立花が取り出したジッポライターで判明する。

「伏せてください!」

 できる限りの大声で立花が女性へ叫ぶなり、五つの棒に着火する。

 五つの棒は先端を振るわせるなり、音と火花を散らしながらチンパンジーの群に飛翔する。

「なんでロケット花火なんて持ち込んでんだ、あんたは!」

 状況が状況だろうと陽仁は指摘せずにはいられない。

 テーマパークに持ち込み厳禁の可燃物。

 一発飛べばアトラクションは緊急停止のち退去処分のち損害賠償のフルコンボ。

 獲物を追い立て遊んでいたチンパンジーたちは突然の飛翔体に驚き、いたぶる手を止めてしまう。

 放たれた五つのうち、二つがそれぞれのチンパンジーの顔に当たり、倒れ込んでは痛みに悶絶している。

 チャンスだと陽仁は駆け寄ってきた女性に手を伸ばした。

「こっちに!」

「こ、この子たちを先に!」

 女性は抱き抱える二人の子供を陽仁と立花に掲げて渡そうとする。

 背中から足にかけて傷だらけの女性だが、一方で子供たちには傷一つはない。ただ急激な寒気にやられたように全身を震えさせている。

 幼稚園児ぐらいか、女の子と男の子を受け取った陽仁は立花と二人がかりで女性をコンテナの上に引き上げた。

「しつこいんだよ!」

 チンパンジーたちは獲物を諦めていないのか、コンテナに迫る。

 先のロケット花火のせいで異常なまでに興奮している。

 だから立花は、左ポケットから取り出した爆竹を着火するなり群に向けて投げつけた。

 炸裂する音にチンパンジーたちが驚き跳ね回る間、陽仁たちは窓から建造物内に退避した。

「モテないからって人妻を狙うのは節操なさ過ぎだろうが!」

 それでも執拗に迫るチンパンジーに立花は、すぐ足下にあった消火器を掴む。ピンを抜き、レバーを引くなり、ホース先端から消火剤を群れにまき散らした。

 一瞬にして白煙に覆われ、悶絶する鳴き声がしようとお構いなし。

 とどめにと空となった消火器を窓から外に投擲。

 白煙の奥より鈍い音がするのを最後に立花は窓から離れた。

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