第21話 カバンにしてやる

 発着場の現状を知るなり陽仁の表情は鋭くなった。

「くっ!」

 三隻の船が折り合うように衝突、二隻は船底を空に向け、もう一隻は船首を発着場に座礁させている。

 水の匂いに血が混じった不吉な匂い。

 血の匂いはあろうと周囲に人の姿形はない。

 ただ柵の向こう側より激しい水音が幾重にも響く。

「見つけた!」

 水音を確かめることなく陽仁は周囲を見渡した。

 ここより少し離された先、見覚えのある身体が水路側に倒れた柵に打ち上げられている。

 警戒を緩めず陽仁は駆けだしていた。


「くっ、これは」

 遅れてきた立花は水音の正体に血の気が引いた。

 ワニだ。無数のナイルワニが衣服のついた血肉を食らいあい、取り合っている。

 巡回船の乗客たち、だろう。

 今では人の姿を留めぬほどワニの牙で引き裂かれ、誰が誰であるのかわからない。

 ただ水面に浮く大小の靴が所有者の性別と年齢を雄弁に語っていた。

「船同士が衝突した時に投げ出されて、それで……」

 持ち前の観察眼で類推はできた。

 ただどうやって動物園エリアで飼育されたワニたちが水路に現れたのか。

 加えて本来、ワニは基本的に臆病であり、むやみやたらに人は襲わない、はずだ。

「いやそれよりも!」

 原因を解明するのは後だろうと立花の仕事ではない。

 陽仁はワニがいようと水路に向かっている。

 助けようとしているのは明白。

 ふと立花は水面に動く二つの突起に気づく。

 水面の反射で気づきにくいが、あれは餌にありつけなかったワニの目だと立花は見破った。

「ダメだ、十田くん!」

 サメもワニもギリギリまで近づき、水面から飛び出した一瞬で食らいつく。

 食らいつかれれば終わり。

 後は水中へと引きずり込まれデスロールにて食い尽くされる。

 デスロールとは咥えた獲物を身体の回転にてズタズタに引き千切る仕留め方だ。

 立花が止めようとしたが陽仁は止まらず、あろうことかズボンからベルトを抜き取り、走りながらも器用に輪っかを作った。

「なっ!」

 陽仁は倒れていない柵に足をかけては水路へ飛び込んだ。

 そのまま真正面から水面浮かぶ突起へと飛び込めば、素早くベルトの輪っかを顎下から鼻先にかけてきつく締め上げる。

 ワニは突然の拘束にパニックとなり、首を右往左往させてふりほどこうと暴れるもベルトは早々に外れなかった。


 ワニは鼻が長い故に正面が死角となる。

 小さい頃、両親から教え込まれた知識がこのような形で役に立つとは思わなかった。

「虹花!」

 暴れるワニを横に陽仁は水面かきわけ、倒れている虹花に駆け寄った。

 そのまま倒れた柵を足場にして虹花を抱き抱える。

 気を失っており、かすかに胸元が上下している。

 水に濡れようと欠損どころか噛み痕すらない。

「くっ!」

 安堵などできずにいた。

 激しい水音が呼び水となりワニの群が押し寄せてくる。

 誰もが食い足りないのか、ぎらつく目で水面をかき分け急迫する。

 本来、ワニは燃費が良く、一度狩りに成功したら一週間は満腹のはずだ。

 映画のゾンビ顔負けの貪欲さは明らかに異常だが、推察している暇などない。

「に、逃げるぞ!」

「真っ直ぐ走らないで!」

 走り出そうとした立花を陽仁は咄嗟に呼び止めた。

 逃げねばならぬ状況で走らないでと、なんてとんちんかんな男だと立花の目は哀れんでいた。

「ジグザグに走ってください!」

 言うなり陽仁は虹花を抱えたまま右に左にとジグザグに走り出す。

 この危機的状況下でふざけた走りだと思えなかった。

 それでも確固たる理由があるとジャーナリストの勘が叫ぶ。

「分かった!」

 ワニは倒れた柵を足場にして陸に上がる。

 腹ばいの身体を四肢で持ち上げては鈍重な見た目を裏切る速度で真っすぐ追いかけてきた。

「ワニは遅い個体でも陸上では時速二〇キロで走ります! 速いのは六〇キロを越えるほどです!」

 右に左にと動きながら走る陽仁は言う。

 女性一人抱えながら息を切らさぬ体力は流石だが、何故、ジグザク走りなのか立花は聞かねばならなかった。

「全長ですよ! ワニは真っ直ぐ走るのは得意ですが、曲がるのは苦手なんです!」

「なるほど、車で言うホイールベースか!」

 ホイールベースとは車の前輪の中心と後輪の中心までの長さを指し、最遠軸距や軸距と表現される。

 単純に、この幅が長ければ車体が左右に振れにくく、ストレート走行の安定性を維持させる。一方で車の全長が長くなる分、小回りは苦手となる。

 逆に幅が短ければ、メリットデメリットは逆転する。

 直進安定性に優れないが車の全長が短い分、小回りが効き、コーナリングが得意となる。

 レーシングマシンを組み立てた経験がある者ならば、ピンと来るはずだ。

「前にアメリカでワニに襲われかけたって話したでしょう!」

「ああ、あの時のか!」

「あの後、万が一追いかけられたらジグザグに逃げろと教えられたんです! 」

 ここで立花はちらりと後方を振り返る。

 一度獲物と定めれば獣は執拗に追いかける。

 ワニたちは我先にと競うように追走するも、獲物が右往左往と動いているため狙いを定められず、身体をぶつけ合う。

 中には散々ぶつけられたことにいらだっては、同族に噛みつき、足ならぬ尾を引っ張る個体が現れる。

「そのままジグザグに走り続けてください! 腹ばいの身体を四つん這いで持ち上げていますから体力の消耗は激しく長くは走れません!」

「なら、あそこに登るぞ!」

 体力は有限。息は切れるもの。立花は進路先にあるコンテナボックスを指さした。

 展示物か、資材入れかはさておき、先頭を駆る立花はコンテナボックスに着くなり、陽仁と向き合う形で腰を落とし両手を組んだ。

 その体勢に気づいた陽仁は虹花を抱えたまま、後方を振り返る。

 ワニとの距離はまだ余裕あるが油断できない。

 脚に力を込めて速力を上げた陽仁は立花を足場としてコンテナに乗り上がった。

 すぐさま虹花を冷たい屋根の上に置くなり、立花へ右手を伸ばす。

「立花さん!」

「おうよっ!」

 がっしりと掴み合う互いの手。

 陽仁は全身の力を持って立花を引っ張り上げる。

 立花の上半身が屋根にまで上がった時、その左足が跳ね上がる。

「あぶなっ!」

 追いついたワニが飛び上がり、立花の左足に噛みついてきた。

 ワニは真上の獲物を獲るために自分の全長近くのジャンプができる。

 咄嗟に左足を上げたことで、ワニの牙は靴先をかすめるだけで済んだ。

「はぁはぁはぁ、今度会ったら唐揚げにしてやる」

「あ、ははは、そこはカバンでしょ」

 コンテナの上に倒れ込み激しく息をする男二人。

 空はどこまで青く、惨劇が嘘だと思わせてくる。

 だがコンテナの周りには獲物に逃げられたワニたちが不機嫌そうに気を荒立たせている。

 周囲をたむろするも諦めるように、別なる獲物を求めて歩き去っていた。

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