第20話 必要な犠牲

 雷蔵の口元は例えようがなく歪んでいた。

「あ、あははは、ざ、ざまあみろ」

 頬に風を受ける雷蔵はカートの上で渇いた笑いをあげる。

 散々人をコケにしてきた奴を蹴り落としてやった。

 俺は悪くない、悪くないと自責を解く呪詛の言葉を吐き続ける。

「緊急避難だし、仕方ないさ」

 搭乗者の一人が慰めるように言った。

 そう緊急避難。これは緊急避難なのだ。

 いち早く避難せねばならぬ状況下、あのままでは全員が動物たちの餌食となった。

 人一人の犠牲で多数が助かるのだ。安い犠牲ではないか。

「そう仕方ないのよ」

「壇野くんは悪くない」

「ううっ、十田、お前の犠牲は忘れないぞ」

 搭乗した者たちは誰一人雷蔵を責めやしない。

 むしろ、慰めるように、同情するように気を使っては涙ぐむ者までいる。

 当然のこと演技である。我々は尊い犠牲により生き残れた。

 彼が自ら身を捨てて我々を助けてくれた。

 もし彼がいなければ我々は生きていなかっただろう、と都合のよい解釈を行っていた。

(最後の最後まで俺をイラつかせやがって)

 雷蔵の口端は笑おうと目尻は怒りに歪んでいた。

 人の女を堂々とかっさらい、またしても皆の面前で恥をかかせてくれた。

 俺は壇野の正当後継者なんだぞ。

 有象無象のお前とは、他の奴らとは違う。違うんだ。

「そうだ、俺はあいつとは違う。違うんだ。家から逃げたあいつなんかと」

 脳裏にあの時の後ろ姿が浮かび、手すり掴む手に力をこめさせる。

「ふっ、後少しでシェルターに入れるはずだ」

 熱くなりすぎだと雷蔵は肺腑にたまった怒りを吐息と共に吐き出した。

 その時だ。

 甲高い鳴き声が左横からするなり、衝撃がカートを貫いた。

 一匹のアフリカゾウが横っ腹から激突したと気づいたのはカートから投げ出され宙を待っている時だ。

 アフリカゾウは興奮しており、臀部から足首にかけて鉤傷が目立つ。

 もしここに陽仁がいれば原因を看破して警戒を発していただろう。

 だが、誰もがそれどころではない。

 ある者は路面に投げ出され、打ち付けた衝撃で首がおかしな方向に曲がり動かなくなった。

 またある者は、横転したカートの下敷きとなり動けなくなった。

 雷蔵は運良く茂みの上に投げ出されたことで事なきを得ようと、広がる光景に絶句するしかない。

 アフリカゾウは何かから逃げるように進路状にあるもの全てを踏み潰していく。店舗であり街頭であり、投げ出された人間であったりと。

 今、子供が踏み潰され、肉塊となった。

 確か、担任の一人娘のはずだ。

 打ち付けた悲鳴を上げる間すらなかった。

 辺り一面に悲鳴と血が散りばめられた地獄絵図ができあがる。

「だ、誰かいないの!」

 ある生徒は右足を横転したカートに挟まれていた。

 引き抜こうと重きカートはびくりともせず助けを求めて叫ぶ。

 カートの裏から赤い滴が滴り落ちる。その奥から見知った顔が両目見開いたままこちらをガン見している。

 呼びかけようと中から出てくることはなく、赤き滴を全身より滴らせるだけだ。

 すぐ側で何かが動く気配がする。助けだと振り返ったが、断じて助けですらなかった。

 五匹のライオンだった。オス一匹とメス四匹のライオンだった。

 本来なら動物園エリア、サファリパークにいる動物のはずだ。

「い、いや、いや、痛い、痛い!」

 ライオンが群をなして動けぬ者に牙を立てる。

 気絶している者、負傷で動けぬ者、既に事切れた者関係なく。

 アフリカゾウはライオンの群に追われていた。

 本来、ライオンはゾウを狩りの対象としない。

 巨体であり、厚い皮膚は爪を易々と通さない。また呆気なく踏み潰され、狩りをしようならば群が全滅するリスクがある。

 だが例外もある。

 ライオンとてゾウを狩る。

 餌が穫れず餓えに餓えていること。

 ゾウが群よりはぐれ、老体か衰弱していること。

 これらの条件が重なった時、ライオンは群を活かしてゾウを狩る。

 アフリカゾウの臀部に走る鉤痕もライオンが巨体に飛びつき、爪を立てた証拠であった。

 だが今回ばかりはおかしく、ライオンの群れは異常なまでに興奮していた。

「た、助けて、だ、壇野くん!」

 メスライオンに右足を食いつかれた同級生が必死に手を伸ばしている。

 周囲を見渡そうと、誰もが悲鳴を上げ助けを求めてくる。

 助けを求めながら血肉抉られ、絶叫する。

 腹を食い破られ、臓物をさらけ出す。

 肋骨すら丸裸となり、かみ砕く不気味な音が響く。

 雷蔵はただ愕然と立ち尽くし、喰われていく光景を見せつけられる。

「た、助け、たす、け――て――」

 これはただ食事をする音。

 生きるために他を食らうごく自然な行為。

 食らうなと自然の禁忌にはない。

 誰かに食らわれるなと自然の法則にもない。

 食うか、食われるか、たった一つのシンプルな法則だった。

「ぐっ!」

 雷蔵は動いた。助け求める声に背を向け、拳を握りしめたままシェルターへと走り出した。

「なんでなんだよ壇野!」

「どうして助けてくれないの!」

「御曹司だろう!」

「お前についていけば良い思いさせてやるとか言っておいて!」

 まだ無事な者たちからの非難が雷蔵の背中に突き刺さる。

「うるさい黙れ! お前たち、さっきは必要な犠牲とか言っておいて、自分たちは犠牲にならないと思っていたのか! ここで俺が生き残るために必要な犠牲になれ!」

 所詮他人など己を上げるための踏み台であり糧だ。

 ならば潔く壇野雷蔵が生き残るための必要犠牲になって当然のこと。

「この人でなし!」

「クズ野郎!」

「どうせ生き残っても十田のせいで失脚するだけだろう!」

「そんなんだから兄貴に愛想尽かされたんだよ!」

 禁句が雷蔵の足を止める。止め、アフリカゾウにより破壊されたレンガ壁のレンガを手に取った。

「黙れ、俺をあいつと一緒にするな!」

 後は怒りの感情に従うまま、禁句を口にした生徒めがけて投擲した。

 五〇メートルの距離があろうと、レンガは放物線を描きながら吸い込まれるように生徒の頭部に激突する。

 鈍い音を上げて白目を剥き出しに動かなくなる。

 頭部より赤き泉が沸き上がり路面を染める。

 新たな血の匂いを嗅ぎつけたライオンが嗅ぎ逃すはずがない。

 新た獲物として、その頭に牙を立てる。

 硬く、割れる音がした。

「へっ、俺を怒らせるからだ」

 口では威勢を張ろうと、その指先はかすかに震えていた。

 だが、雷蔵の中に罪悪感など微塵もない。抱くはずもない。

 正当な後継者であり、次期グループ社長。

 そのネームバリューに甘い汁を求めて呼んでもないのに寄ってくるのはハエばかり。

 頼みもしていないのに、勝手に手もみして忖度してくる。

 うっとおしいっていったらありゃしない。

 社交辞令の作り笑いで通していれば、調子に乗って頼んでもないことをやってくる。

 あの男を誰が殴れと言った。誰が泥棒に仕立てろと言った。成績を書き換えただあ? 

 ここでそのうっとおしいハエを排除できたのは行幸だと口端は笑っていた。

「虹花は無事なのか? くっそ、こうなるんだったら抱くだけ抱いときゃよかった」

 交際していようと、条件を呑ませるため手元に置いていたにすぎない。

 そこに愛情など一切ない。

 気に入らない相手の悔しがる顔を見たいが為に手元に置いた。

 そう人形やトロフィーなのだ。

 これは俺のもの。お前は抱きたくとも抱けない女が別の男に抱かれる姿に泣きながらピーでもしていろ。

 相手を侮辱するための使い捨ての道具でしかなく、用が済めばゴミのように捨てるつもりでいた。

『いいか雷蔵、家に呑まれるなよ』

 ふと唐突に脳裏を走るあの男の言葉。

 家を捨て、何処かへと消えた忌まわしき男の言葉が足を止めさせた。

『壇野の家名は大きい。その大きさに呑まれて酔う時が来るはずだ。俺だって一時は酔った。けど友の拳で目が覚めた。友は言ったさ。勘違いをするな、それはお前が凄いんじゃない。壇野を築き上げた代々が凄いだけだってね。俺たちはただ自分の力で養わず、歩けず、生かされているいるにすぎない。だがこれだけは忘れるな。仮にそうだとしても自分でなせるものはある。自分だけが選べるものがある。実際、親父だって婚約者をじいさんからあてがわれても自分が選んだ女と結婚している。俺がこうして家を出るのも自分だけが得られるものを手に入れるためだ。別に壇野を捨てたわけじゃないし捨てる気もない』

 あの時、雷蔵は家を出る背中に問いかけた。

『それなのになんで出て行くのかって? そりゃあれさ、最大の親孝行ってのは親よりでっかくなることだと思うんだよ。用は親を負かすってこと。将棋にあるだろう? 弟子が師匠を打ち負かすのを恩返しだって。だから俺は家を出る。壇野の中では見られない外を学び、己を広げて親父が腰を抜かすまで成長する。だから雷蔵、お前も俺に、いや壇野に負けるな』

 家を出る最後に背中は告げる。

『唯一無二の友と出会え。いや女でもいい。そうすれば一人では無理でも二人なら乗り越えて進める。お前は俺より優秀だ。ちょっと周囲から染まりやすい残念な面もあるが、友はいいぞ。お互いを切磋琢磨できる。大丈夫だ。お前ならきっと出会える。なんたって俺の自慢の弟だからな』

 最後に振り返った兄、嵐太らんたは不器用な笑みを見せた。

「クソが!」

 忌々しく雷蔵は芝生を踏みつける。

 何故今になって家を捨てた男がリフレインする。

 あの男は美辞成句を並べるだけ並べて壇野を捨てた。

 今どこで何をしているのか、生死ですら興味がない。

 いやむしろすがすがしく死体さえあれば胸が晴れた。

「そうだ。俺は壇野の後継者。誰よりも生き残って当然の男なんだ」

 壇野を壇野として見られて何が悪い。

 あの時は誰も見なかった。誰も彼もがあいつだけを見て、あいつだけを賞賛していた。

 許されない、気にくわない。

 ケガの心配をするあいつの優しさが壇野雷蔵のプライドを酷く傷つけた。

「そうだ、俺は生きる。誰を犠牲にしてでも生きてやる」

 悲鳴と絶叫をBGMに雷蔵はシェルターに続く地下への扉までたどり着いた。

 動物たちは率先して手負いの人間を襲っているため、雷蔵は襲われることはなく、その扉を開く。

 開閉にて生じた気圧差が血潮の匂いを押し上げてきた。

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