第18話 食える時に

 中央のタワーの傾きに誰もがスマートフォンのカメラを向けている。

 避難を促すアナウンスが流れようと誰もが傾いたタワーに注目していた。

 それは極力人手を廃したことで広大なパーク内で避難誘導を行う人手が明らかに足りないこと。

 電子システムによる避難誘導があろうと、指示に従う人間は少ない。

 自主的な避難を電子音声が促そうとも、誰もが根拠なくこの場は安全だと思いこんでいた。


 サファリパークをゆったり移動していたサファリカーが止まる。

 ルート上の路面に埋め込まれたセンサーを辿って自動移動するサファリカーはシステムからの信号途絶により停止していた。

 乗車していた人々は異変に気づこうと、停止した車はただの檻。

 ほんの数秒前まで車内よりライオンたちに興奮していたはずが、今ではそのライオンたちに囲まれる事態となっていた。

 安全のため運転席に乗車していたスタッフはどうにかして本部と連絡を取ろうとするも繋がらない。


 あのピリピリする木はイライラさせる。

 あっちこっちにある冷たい木は不快だ。

 だから壊そう。嫌いだ。不快だ。枝を折れ、壊してしまえ。

 そうしてチンパンジーたちは中継器に登っては櫛を折るかのように、不快だと壊していった。


 鼻をつくのはカフェインと鉄の入り交じった匂い。

「クッソがっ!」

 男性飼育員はモップでニホンザルたちを追い返して悪態つく。

 目の前の通路には耳障りに騒ぎ立て、歯を剥き出しに威嚇する猿たち。

 突然、飼育小屋の電源が落ちた。

 すなわちロックも解除されたのも意味している。

 理由などわからない。管理室に連絡を取ろうと繋がらない。

 檻より開放された猿たちは異常に興奮し、周囲の備品を癇癪起こす子供のように壊す。

 上から差し入れのエナジードリンク入りの箱が猿たちにかじられるだけでなく中身を床にぶちまけられ、特有の甘ったるい匂いが室内に充満している。

「おい、しっかりし、うっ!」

 猿に群がられた同僚にかけよろうと、目も当てられぬ赤き姿に絶句する。

 かすかに息があるもツナギは爪や牙でズタボロとなり、顔面の肉が裂け、頬骨が露出している。

 今すぐこの場から離れんと抱き抱えるが右手首から先がない。

 右手首はあった。

 二匹の猿が鳴きながら綱引きよろしく右手首を取り合っている。

「に、にげ、ろ」

 虫の息である同僚が絶え絶えの声で促していく。

「ば、バカ、お前を置いて行けるか!」

 どうにか抱き抱えてはこの場を離れようとする。

 一歩歩き出した途端、背中に強い衝撃を受けて前のめりに倒れ込んだ。

 猿たちが足に組み付き、押し倒された。

 別なる猿が我先にと競うように牙や爪を立てる。

 人間は手で物を掴むが猿は足でさえ物を掴むことができる。

 加えて、噛みつきを加えて計五カ所で獲物に食らいつくことができた。

 鋭い前歯が大写しとなった時、頬に激痛が走り、食いちぎられる。

 飼育員は絶叫をあげることすらできなかった。

 鋭き牙が首元に喰らいつき、声をあげられなかったのだ。

 あっという間に猿たちに包まれ、コンクリートの床を赤く染めていく。

「ひっ!」

 遅れてかけつけた女性飼育員は変わり果てた同僚に腰を抜かす。

 骨となりつつある同僚の姿に恐怖し悲鳴を上げられず、笑う足腰は立ち上がらせない。

 口元を真っ赤に染めた猿たちが一斉に注視しては吠える。

 先の飼育員と同様、平等に襲いかかった。

 押し倒された女性飼育員は猿の爪や牙にて衣服を切り裂かれた。

 一匹の猿に喉元を噛みつかれ、悲鳴すら上げられない。

 引き裂かれた衣服より胸部が露わとなる。

 猿たちは競うように乳房に噛みつき牙で引きちぎる。

 餌と認識した生物に女性優先などなかった。

 あるのは餌として喰らわれる平等制だった。


「なんなんだよ、なにが起こってんだよ!」

 遊園地エリアを陽仁はただ駆ける。

 状況がわからない。頭でおいつかない。整理できない。

 本来なら動物園エリアに飼育されている動物たちが我が物顔で遊園地エリアにいる。

 異変の発端は把握できる。

 中央のタワーが傾いた直後から全てが一変した。

 パークを稼働させる自動システムは停止。

 サブシステムが動いて避難を促そうと、避難誘導の人手が足りない。

 ただ電光掲示板で先を誘導するだけだ。

「うおっ!」

 案内図が示す避難シェルターへ向かう陽仁。

 その間、茂みから飛び出してきた一匹のシマウマと危うく衝突しかける。

 咄嗟に踏み留まって衝突は避けられるが、背中から臀部にかけて走る鉤傷だらけのシマウマに息を呑む。

(これ、ヤバいぞ)

 両親より聞きかじった知識が警鐘を鳴らす。

 シマウマ一匹が傷だらけなのは肉食動物に追われているからだ。

 知識をかじろうと素人である陽仁に、その鉤傷から動物の種類を当てられない。

 ただ確かにいえるのが一つだけある。

(一度獲物と定めたら獣は執拗に追いかけてくる)

 食える時に食らう。食らう時に食らう。

 それが自然での摂理。

 頼めば食える、買えば食える人間とは違う。

 野生動物は、チャンスを逃せば二度と同じ食事にありつけないからだ。

 どうすると逡巡した瞬間、陽仁は近場にあったゴミ箱にその身をねじ込ませていた。

 幸いにもゴミの類はほとんど入っておらず、人一人入る余裕がある。

 正規オープンであったならこうはいかなかったはずだ。

 隙間から息を殺して覗けば、シマウマが追い込まれていた。

(く、クマっ!)

 後ろ足で立てば体長三メートルは超える巨体の生物。

 北海道生まれの北海道育ち、毎年被害が人的報告されるヒグマだ。

 ヒグマは振りかぶった腕でシマウマを押し倒せば、その腹に牙を立てる。鋭き爪の一振りですでに致命傷となったシマウマは起きあがれず、腹から貪り喰われている。

 血肉貪り喰らう音が陽仁の恐怖を煽り、ゴミ箱から逃げ出させたいと揺れ動かす。

 ふとヒグマの咀嚼音が止まる。赤く染まった鼻先をひくひく動かしては周囲を唸りながら睥睨していた。

(クマは鼻がかなり効く。それにゴミ箱に食料があると学習していれば、僕はすぐバレる!)

 心臓が早鐘を打ち、呼吸を増やせば冷や汗を流す。

 口元を手で押さえようと付け焼き刃。

 周囲に残った陽仁の匂いは消えてはいない。

 ヒグマが陽仁のいるゴミ箱に背を向けて唸る。

 遠くより鈍重な音がする。時間経過と共に音とヒグマのうなりは増していく。

(あ、あれは!)

 近づく音の正体はカバであった。

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