第二章:園

第17話 傾き

 オペレータールームに安息など訪れない。

 システムが稼働し続ける限り生まれていくバグやエラー。

 修正に追われ、追いつきといたちごっこを繰り返そうと、誰もが慣れてきたのか、開園時と比較してスムーズに回っていた。

 だが彼らは理解している。

 慣れてきた瞬間に予期せぬトラブルが起こるのを身に染みて知っていた。

「だからなんで動くんだよ!」

 またしても響くヒステリックな声に誰もがうんざりとした。

 神経質な人間の叫び。

 机の上に置いていた缶が動きに動く。

 一人がぼやく。動くなら缶を固定でもしていろと呆れていた。

 この時、変化に気づいていたら状況は変わっていただろう。

 誰もが電子の推移に注視していたため、現実の推移に目が行っていなかった。

「そろそろ交代か」

 室長が腕時計を見ながら一息つく。

 今のところ細かなエラーやバグばかりだが初期発見で対応できている。

 もう一息だとコーヒー缶を見らずに手を伸ばした時、その手は空を切る。

「ん?」

 本来手前にあったはずのコーヒー缶は何故か、机の端にまで移動していた。

「まさか、な」

 神経質さが感染したかと自嘲しながら缶コーヒーを手前に戻す。

 次いで持っていたボールペンで缶の底をなぞりデスクに円を書いた。

 何故か、なぞらなければならないと感じたからだ。

 缶を注視する。その間、一切のタイピングはしない。多方向より多数のキータイピングの音がする。

 缶が、動く。

 亀の歩み寄り遅い動きで、少しずつ描いた円よりズレていく。

「おい、何か、おか――」

 室長が警戒孕んで椅子から立ち上がったと同時、室内は暗転する。

 この瞬間、誰もが電源確保に動こうとできなかった。

 暗転と同時、傾いた室内で起こった備品の雪崩に飲み込まれたからだ。


『緊急事態発生! 緊急事態発生! 当モノレールは緊急停止します! ご乗車のお客様はこちらの誘導に従い、避難してください!』

 パーク内を循環していたモノレールは緊急停止する。

 メインシステムからの通信途絶により非常事態だと判断したサブシステムが誘導を開始した。

 ホーム外で緊急停止した場合、内蔵電力にて緊急脱出ルートが起動する。

 モノレールの両側面から緊急脱出スライドが伸び、乗客たちを降車させていく。

「おい、あれ見ろよ!」

 地に降り立った乗客の一人がパークの中央を指さした。

 誰もが混乱する中、その声に導かれてタワーに注視する。

「か、傾いてる」

 中央に聳えるタワーがピサの傾塔のように傾いていた。

「欠陥建築だったのか?」

 降り立ったことで安堵した誰もがスマートフォンで傾いたタワーを撮影している。

 いち早く現場から離れるこそが避難の鉄則。

 だが誰もが今行っているのは傾いたタワーの撮影。

 SNSであげればバズり続けて一躍有名人。

 承認欲求たる現代の病巣であった。


 観覧車に乗った家族は傾いたタワーに絶句していた。

 消防士の父に看護師の母、七歳の女の子と二歳の男の子。

 プレオープンに当選した時、無理言って職場で休みを貰い、家族四人でテーマパークを楽しんでいた。

 夫婦は学生時代のデートで観覧車に乗ったのを懐かしみ、新たな思い出として家族四人で乗っていた。

 子供たちも怖がることなく高くなっていく景色におおはしゃぎだ。

 それが今、タワー一つの傾倒に子供たちは泣き出してしまう。

 もしかしてここも傾くの、と。

 観覧車はまだ動いている。動きに動き、最頂点に達しようとしている。

 不安と恐怖がない交ぜとなる中、父親は消防士として家族を抱きしめながら大丈夫だと言い聞かせる。

 その時、外より影が差した。

「ち、チンパンジー?」

 黒毛の獣が口端を歪めながら手足を使い、金属の枝を渡っている。

 一匹だけではない。窓辺から覗けば、動物園エリアにいるはずのチンパンジーが群をなして登っている。

 その一匹が家族乗る観覧車に近づき、扉をバシバシと叩きつける。

 白い歯を剥き出しにした顔は箱の中の人間をバカにしているように見えた。

「だ、大丈夫だ! 大丈夫だから!」

 父親は不安と恐怖で泣きじゃくる子供たちをなだめている。

 この時、チンパンジーが扉を叩き続けた衝撃でロックがはずれてしまう。

 柔軟な乗り降りが行えるように扉は外向きに開く構造となっている。

 高度三〇〇メートルにて開放される扉。

 恐怖と共に風が家族へと入り込む。

 父親の行動は素早く、妻子を開放された扉から遠ざけては自らが風除けとなる。

 消防士だからこそ柔な身体をしていない。

 チンパンジーはこの光景を面白がってか、黒い腕を中に伸ばしてきた。

 父親は咄嗟に壁となり黒き腕から家族を守る。

 苦悶の表情を浮かべたのも一瞬、腕一本で外に引きずり出されてしまう。

 成人男性の平均握力は四五キログラム。

 対してチンパンジーの握力は三〇〇キログラム。

 易々と木々を移動するために発達した筋肉は人間一人を掴み、引きずり出すことなど造作でもなかった。

「あ、あなた!」

 地面など遙か下。

 妻の悲鳴と旦那の激突音が重なり、赤い花がパークに咲いた。

 観覧車を上り下りしていたチンパンジーたちが一斉に赤い花へ注視する。

 誰もが興味本位で近づいては赤い花に触れる。

 一匹が匂いを嗅ぎ、そして牙を立て、齧りついた。


 ベチャリと咀嚼する音が無情にも響く――

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