第13話 そして乙女は吹っ切れる

 中学二年の校外学習は二泊三日のキャンプだ。

 あの頃まで陽仁と雷蔵の仲は良く、体育でサッカーすれば息のあったコンビネーションでクラスを湧かせ、グループ課題でも意見を出し合いながら否定批判することなく聞き入れて上手くまとめ上げる。

 時折、性癖でケンカすることがあろうと何事もなかったかのように仲良く手を取り合ってダンスをする。

 何故ダンスなのか解せなかった。

「あの時、ライくんが包丁でケガをしたのよね」

 たき火と血の臭いは今なお虹花の記憶こびりついている。

 キャンプといえばカレーと定番のアウトドア料理。

 二日目の昼時、クラスごとに別れカレーを作る。

 カレー担当となっていた陽仁と雷蔵は手慣れた手つきでそつなく野菜をカットしていた。

 元々両親不在が多い故に自炊慣れした陽仁と将来一人暮らしを目指して自炊を練習していた雷蔵。

 昔はテスト前の勉強会を名目に十田家に泊まるのが多く、二人並んで料理をしていたほどだ。

 虹花もまた外泊許可は出ずとも陣中見舞いの一品を二人に差し入れていた。

 息の良いリズムで野菜を刻んでいた際、事件が起きた。

「ちょっとした不注意でライくんが指を切っちゃった」

 当時を思い出して虹花は若干顔をしかめる。

 雷蔵が左人差し指間接から指先まで包丁で深く切ってしまう。

 溢れるように流れ出す血は地面を汚し、思わず流血を目撃した女子生徒二人が失神する始末。

「ハルくんの行動は早かった」

 虹花は思い返すように呟いた。

 先生を真っ先に呼ぶのではなく、万が一にと用意していた包帯や止血パッドをリュックから取り出せば悶絶する雷蔵に止血を行う。

 両親が動物学者でフィールドワークが多いからこそ、万が一に備えて応急処置を教え込まれていた。

「かっこよかったよね、あの時のハルくん」

 今思い返しても惚れ惚れする。

 生徒負傷で混乱する場をどうにか鎮めは、状況を整える陽仁に頼もしさを感じた。

 無事カレーが完成しようと、陽仁当人はカレーの美味さよりも負傷した雷蔵の安否が気にかかりスプーンが進まない。

「ハルくん、ライくんが戻ってきても食べられるようにカレーしっかり取っておいたけど、そのまま入院になった」

 そして学校で再会した雷蔵は別人のように陽仁を嫌っていた。

「あの時は別にハルくんのせいじゃないのに」

 好きと嫌いが露わとなったきっかけだった。

 だから解せなかった。

 どうして雷蔵は陽仁を憎むように毛嫌いするのか。

「聞いても教えなかったし、聞けばハルくんにひどいことするとか脅してきたし、あ~もう!」

 気分がネガティブな方向に沈んでいく自分を虹花は叱りつける。

 今は気分を切り替えろ。前に、上に、留まっていては何も変えられない。変わらない。過去が変えられないからこそ未来を変えるために現在を進む。

 陽仁は現にそうして絶望と倦怠を突破した。

「こう言う時はうご、あいたっ!」

 自らに発破をかけて勢いよく席から立ち上がった虹花だが、足を延ばしすぎて、うっかり天井に頭頂部をぶつけてしまう。

 唐突に響く打音は乗客の目を再度集め、気まずさが虹花を襲う。

 やや涙目となった虹花は同世代と比較して高い身長に出鼻をくじかれたとぼやく。

「水族館、行こう」

 自然と出た言葉が足を動かした。

 陽仁の兄・大輝が監修に関わったとされるエリア。

 その身長故、周囲の目を自然と集めるも、慣れている虹花はその足で停泊した船から降りる。

「虹花!」

 鼻歌交じりで水路沿いの通路を歩いていた時、横から聞きたくもない雷蔵の声が鼻歌を止める。それでも虹花は足を止めず、水族館へと向かう。

「探したぞ、あいつになにされたか」

「触らないで!」

 雷蔵が左肩に触れた瞬間、虹花の動きは俊敏であった。

 まずその汚らわしい手を掴むなり、逆手に捻って引き寄せる。雷蔵が呻きと共に体勢を崩すなり足をひっかけては大きく跳ね上げる。その際、雷蔵の靴が一足すっぽ抜けた。そのまま柵を越え、水路の方向へと投げ飛ばしていた。

「今までの行いに頭を冷やせ、ドラ息子が!」

 派手な水柱が上がり、虹花は立てたこともない中指をおっ立てた。

 陰鬱に占められていた胸がこの瞬間、晴れ晴れとなる。

 周囲からまたもや視線を集めようと気にしない。

 間髪入れず水面から雷蔵が顔を出す。

 どうやら水深は高校生一人が立てるほどで浅くはないようだ。

 驚きと困惑を織り交ぜた顔に虹花は言ってやった。

「あなたとの関係はもうおしまいよ! なーにが処女くれればもういじめないだ! もう殴らせないだ! そんなに脱童貞したいなら、御曹司のケツを売りに出して玉の輿狙いの女に掘ってもらいなさいよ!」

「ま、待てよ、こ、虹、か」

「うるさい、このストーカーが!」

 執拗に何かを言いながらずぶ濡れの雷蔵は柵に足をかけて舞い戻らんとする。

 虹花は足下に落ちていた雷蔵のスニーカーを掴めば、顔面めがけて投げつけた。

 風を切るスニーカーは吸い込まれるように雷蔵の鼻先に衝突、水面にその身を再び沈ませていた。

「盛りのついた猿と○○○してろ!」

 もう踏ん切りはついた。

 陽仁がしたように、虹花もまた誰かの手を借りながら前に進む。

 今この場にいるのは一人だが、もう怖くない。何も怖くない。

「もしハルくんと出くわしたら、うん、投げ飛ばす!」

 吹っ切れた乙女に敵は無し。

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