第6話 城が傾いたら東に逃げろ
陽仁は一人、胸の高鳴りと緊張を抑え込んでいた。
この一年、準備に準備を重ねてきたが、もし、彼女が振り向いてくれなかったらと最悪な結末が脳裏によぎる。
彼女なら大丈夫という信頼があろうと万が一が心を揺さぶってくる。
「はい、もしもし」
一呼吸落ち着けようと近場のベンチに腰掛けたのを見計らうようにスマートフォンに着信が入る。
協力者の名前がディスプレイに表示されるなり間髪入れず通話に入っていた。
「え、ええ今パークの近くにいます。はい、事前に聞いた通り、そちらは昼過ぎ頃、日本に到着の予定でしたよね。はい、はい、ええ、では今日の一七時半にパーク内のホテルのロビーで」
通話を終えた陽仁は天を仰ぐように息を吐く。
本日は雲一つない秋晴れのような晴天。
予報でもプレオープン期間の降水確率は0パーセント。
残る二日も存分に楽しめる。
「ほんと感謝しても感謝したりないよな」
ただ一個人のために資金に人員と協力を惜しまない。
もちろん相手からすれば詫びの面が強かろう。
ほんの一年前まで何一つ状況を変えられぬことに絶望と倦怠に沈んでいた陽仁を立ち直らせ、押し上げてくれたことに感謝しても感謝しきれない。
「何、母さん?」
一息ついた後に今度は母親からの電話であった。
機器越しだろうと母親の声は張っており、怒りが滲み出ていた。
『さっきね、学校から電話があったの』
「あ~思ったより早かったか」
陽仁の予測では春休みの中頃に連絡が来ると予測していた。
プレオープンの日に来るなど、完全嫌がらせと見ていいだろう。
『期末テストで不正行為が確認されたため全科目0点となり単位不足で二年への進級はできませんって』
「テストで高得点取ればそう来るか」
教育とは何か、学校とは何か、呆れたため息しか出ない。
中学時代からか、解答用紙に記入したはずの解答がない、氏名が消えているなどの例がいくつもあった。
陽仁からすれば平均以上の点数を取ったつもりだろうと返却された答案はどれも平均点を下回っていた。
どうにか滑り込めた高校でも不条理に続いている。
だから意図的に実力を抑え込んでは成績を平均の上下を漂わせていた。
『私はあんたがそんなことする子じゃないって分かってるわ。けど、高得点ってどう意味かしら?』
母親に鋭く詰問された陽仁は、しばし空を見上げて間を作れば言った。
「今までの成果を試すためにテストを頑張っただけだよ。自己採点だとかなりの高得点のはずなんだけどね」
不正行為する必要もなければする理由もない。
ただ今までコツコツ重ねてきた努力を期末テストで解放しただけだ。
当然のこと第三者にも頼んでしっかりと採点してもらい高得点なのは間違いなかった。
『学校からどうせアメリカに行くのですからそのまま自主退学してはどうですかって言われたわ』
「それ録音してる?」
教師としてあるまじき発言である。
問い詰めても知らぬ存ぜぬで白を切るだろう。
『家の固定電話だからね。最近の電話機は振り込み詐欺対策で自動で録音されるのが多いから一応されているけど、それがどうしたの?』
「ただの確認事項」
手身近に答える陽仁。大丈夫、どうにかなると母親に言い聞かせては通話を終えた。
「とりあえず伝えてはおこう」
スマートフォンに指を走らせては、協力者に留年の件をメールで伝えておく。
些細なことでも情報を伝えるよう協力者から言い含められている。
後日、何らかのアクションがあるはずだ。
「そろそろ行くかな」
重い腰をベンチからあげて立ち上がる。
パークに近づくに連れて招待客やマスメディアの姿が目立つ。
トリニティーパークの出入り口は三カ所ある。
邂逅する確率は三分の一。
緊張が否応にも走り、警戒の視線を走らせてしまうのは身に染みた恐怖が起こした化学反応であった。
「テーマパーク反対! 開園反対!」
一人の老婆が声高に叫んでいる。
茶色の着物を着込んだ老婆の声は蒼天に届かんばかりに高かろうと、誰もがその声を無視しては通り過ぎ、居ない者のように扱っていた。
「反対運動まだあったのか」
広大な地に遊園地・動物園・水族館と三つの施設を建設することから、環境への配慮やら動物愛護やらと訴える集団はネズミのように沸いた。
結果として三企業から裁判にて活動の違法性を指摘されたことで押し黙るも完全とは言い難いようだ。
「どっかで見た人だな」
老婆に見覚えがあろうと記憶に霞がかかりよく思い出せない。
「あっ!」
老婆は道行く人とぶつかり倒れ込んでしまう。ぶつかった人は気づくこともなくそのまま通り過ぎていた。
陽仁は相手が誰だろうと無視されている事実に捨て置くことができず、駆け寄っていた。
「だ、大丈夫ですか?」
倒れた老婆の手をとろうとほんのり冷たかった。
冷たいと感じるのは高齢になればなるほど指先の毛細血管が縮まり、冷えやすくなるからだ。
「こ、これくらい大丈夫じゃよ、年寄り扱いすんじゃないわ」
突き刺すような言葉程度で気分を害する陽仁ではない。
見る限り怪我らしい怪我はないだろうと大事をとって近場にあったベンチに座らせる。
「おんや、お前さん確か」
改めて陽仁の顔を見た老婆の声音が張りつめから一転、柔和となる。
「そうじゃ思い出した。お前さん、かすみの孫と一緒におった小僧か。かっ~かすみの孫を連れ回していたあの小僧がここまで大きくなっとるとは、早々あの世に行くもんじゃないわ」
「え、えっとか、かすみって鬼流院かすみさんのことで?」
やや困惑しながら陽仁は尋ね返していた。
鬼流院の名字の通り、虹花の祖母にあたる人物である。
古くは室町の時代から根を張る家であり、女子の出生率が高いことから代々婿養子を迎えてきた。
虹花の父親も例に漏れず婿養子。
だからか陽仁は幼き頃、よくある結婚の約束をした際、虹花と婿入りか嫁入りかでケンカになった思い出があった。
『ハルくんはうちのおムコさんになるの!』
『勝手に決めるなよ、ふつーはおヨメさんだろう!』
『うちでは結婚するならムコになるって決まってるの!』
日頃は控えめで大人しい虹花が珍しく頑なに譲らなかった。
この後、何か約束をしたが思い出せない。
それは今では遠い思い出であったからだ。
(まあ、あの人の顔は広いからな)
この地の名士だけあって市井で知らぬ者はいない。
かつて教師をしていた経歴もあってか、地元出身の国会議員ですら頭が上がらないと聞く。
(小学校の頃は引っ込み思案な虹花を毎日外にひっぱり回しは泥だらけにして帰ってきたもんだから叱られたもんな)
当然、しっかりとお説教後、二人揃って風呂に入れられる。
今では疎遠になろうと、かつては両親が不在な時は預かってもらっていたほど家族ぐるみの交友があった。
(口と顔は厳しいが根は悪い人じゃないんだよね)
カテゴライズすれば厳しい人だろうと、仕事で多忙な両親に変わって面倒を見てくれた祖母を虹花はしっかりと慕っている。
ただ年長者として、鬼流院家の人間として恥ずかしくないよう孫に凛と接しているだけなのだ。
(仏壇にあった饅頭食べたら尻めっちゃ叩かれたっけ)
罰当たりな自業自得だが、それは昔の陽仁が今と比べてポジティブでラジカルなだけであった。
「最近見ておらんからどうしたかと思ったが、元気にしとるようじゃのう。ほれほれ、かすみの孫とどこまで行ったか? しっしっし、あいつにいきなり曾孫でも見せる腹積もりか? 腹だけにな、はっはっは!」
ほんの先ほどまであった嫌悪はどこに消えたやら、老婆はずかずか踏み込むように聞いてくる。
陽仁はただ品の悪い冗談に困惑顔で言い返すのみだ。
「生憎、婿入りか嫁入りかすら決まってないので」
「なんじゃつまらん。男ならさっさと女の一人ぐらい抱いてはらまんかい。んでとっとと婿入りしちまいな」
何故こう年寄りはお喋りなのか、プライバシーに対する遠慮呵責がないから困る。
「なんで僕、助けた人からダメ出しされないといけないのよ」
自嘲気味にぼやく陽仁に老婆は顔の皺を寄せてはただ笑うだけ。
「ところでお前さん、これからあそこに行くのかい?」
あそこ、老婆の下がった声のトーンに、それがトリニティーパークだと気づかぬ陽仁ではない。
「ええ、まるまる二日ほど虹花と思いっきり楽しむ計画なんで」
答えるなり老婆は目を細めた。
あくまで予定である。物事は予定通り進まぬとしても陽仁の中で予定として組み込まれていた。
予定通りになるかどうかか陽仁の行動と虹花の心次第である。
「そうかい」
ふと老婆はじっと陽仁を注視する。歳を重ねようと老いを知らぬ目に陽仁は心の奥底すら見通されているような感覚に陥った。
「小僧、世話になった礼じゃ、良いこと教えてやる」
どうしてお年寄りは上から目線の高圧的なのか、謙虚さというものを加齢と共に置き忘れたとしか思えない。
「いいか、城が傾いたら東に逃げろ」
「はぁ?」
突発的に告げられようと陽仁は困惑するしかない。
そもそもこの地に城などない。城の代わりに建っているのはテーマパークである。
「確かに言ったからのう。忘れるんじゃないよ」
言うだけ言うなり老婆はベンチから立ち上がれば、年寄りとは思えぬ足取りで人混みの中に消えていった。
「な、なんだったんだあの人」
名前すら告げず消えてしまった。
一応、鬼流院家と縁があるようなので後日、誰なのか尋ねれば分かるはずだ。
「まあ、あのお婆さんから小言と嫌みは言われるだろうが」
背に腹は代えられないと割り切るしかない。
ただプレオープンから帰り次第、陽仁個人、鬼流院家に足を運ぶつもりでいた。
虹花に対する詫びと謝罪のために。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます