第4話 縁を結ぶ縁結び

 もう耐え切れない。自分が許せない。

 鬼流院虹花きりゅういんこうかは鏡に映るクマある顔を見て暗澹たる気持ちとなった。

 ショートボブの髪の毛先はストレスで乱れ、肌も心なしか荒い。

 胸中に渦巻く暗澹さが胸を締め付け、重石となる。

 気持ちのよい朝の目覚めを最後に感じたのはいつだったか、とうに忘れた。

『恋人になれば誰からも手を出させない』

 家族に迷惑をかけたくない。本当なら彼の隣にいたい。本心を押し殺してはこの身一つで解決できるならと、相手からの受け入れ難い望まぬ提案を受け入れた。

 確かに誰も手を出さなくなった。物が隠されるわけでも、冤罪をふっかけられることも、傷つくこともなくなった。

 その結果、行き着いたのが誰からも無視される状況だ。

 無視など存在の否定、生きていながら死んでいる扱いである。

「もうイヤ」

 噛みしめた唇から弱弱しい声が漏れる。

 違う。そうじゃない。望んだのは二人が昔のように仲良く肩を並べて切磋琢磨しあう姿だったのに、一方的に突き放しては亀裂を広げていくばかり。下手に肩入れをすれば彼が傷つく事態に逆行する。ただ相手の隣に居続けることが最前だと虹花は自分を騙すように言い聞かせてきたが、もう限界だった。

 相手は彼を見ない。見ようとしない。視界に入ればゴミでも見るように侮蔑し嫌悪する。

 分からない。理由を尋ねようと彼に手を出せたいのかと脅してくる。

 最近では、キスどころか身体の関係を迫っているが良家の娘を理由に断り続けていた。

「どうすれば、いいの……」

 身長は一七〇を越えようと胆力が小さな虹花にとって、切れる手札はなかった。

 両親に助けを求めるか。

 確かに地元土着の鬼流院家の影響力を無視できる者はいない。

 だが、両親が手がける事業は相手の企業と深い関わりがある。

 娘の一言で相手側が機嫌を損ね、事業打ち切りの危機を招いてはならない。

 相手はそう匂わせており、下手すると妹たちの将来に迷惑がかかる。

「なんで、こうなったの」

 弱々しい涙声で虹花は自問自答を繰り返す。

 気づけば朝霧立ちこめる町中を一人歩いていた。

 彼は毎朝、犬の散歩で町内を巡っている。近づくのを禁じられているわけだが、遠目から見るなとは言われていない。

 一目だけでいい。彼の姿を見られたのなら少しは心が楽になると微々たる願望があった。

「あれ、ここ、どこだろう?」

 町中が一変、気づけば轍ある山道に一人立っていた。

「どこ、なのここ」

 狸か狐にでもバカされたのか、虹花は声どころか目尻すら涙がたまり今にも泣きそうになる。

「ぴゃっ!」

 人の気配がするなり怯え声で咄嗟に振り返る。

 朝霧の奥深くに見知った老婆の姿を見るなり足が勝手に追いかけていた。

(あ、あの人は確か!)

 知り合いならば現在地も帰り道も分かる。

 朝霧の抜けた先、青き鳥居が虹花を出迎えた。

「だ、誰もいない」

 ぽつんと寂れた地に立つのは虹花一人。朝霧で目撃した老婆の姿はない。

 奥には小さくとも立派な社があり、左右を守るように狛犬の像がコケむしることなく並んでいる。

「あ、青い鳥居、まさかここって」

 虹花はとある話を思い出した。

 この地に伝わる都市伝説として、どこかに縁結びの神社があると。

 もし一度でも辿り着き、社に祈れば望んだ縁を結ぶことができると。

 クラスメイトたちが意中の相手と結ばれるために見つけ出すと意気揚々に語っていたのを思い出した。

「うん」

 辿り着くべくして辿り着いたのならば行動は決まっていた。

「私はハルくんとライくんの縁を結び直したい! 昔のように仲良くして欲しい! そのために私はどうなってもかまわない! 昔のように仲の良い二人に戻れるならどんな代償でも払いますし、どんな罰でも受けます!」

 自分のことよりも相手のことをただ想い祈る。

 無視という俯瞰に結果として参加しているからこそ虹花は同罪だと思っていた。

「これでいいの。これで」

 乙女の覚悟に嘘偽りはない。

 ただ願ったのは彼の幸せ。

 彼は引っ込み思案な自分を変えてくれた。

 ならばこそ今度は自分が変える番だ。

 彼の幸せの中に自分がいないのは当然の罰。

 祈り終えた虹花は社を後にする。

 ただどうやって自宅に帰り着いたのか、記憶は霧のように曖昧であった。


 立花潤太たちばなじゅんたは二四歳のフリーフォトジャーナリストである。

 祖父の代から続く三代目。特定の組織に所属せず、自らの足で、その手で真実をカメラに収めてきた。

 揺るぎなき真実を写し撮る男として名を知られ、大手から専属契約を求められるほど。

 当人からすれば属すれば組織なる枷にて真実に隔たりが生じるとフリーで活動し続けている。

 フリーランスは後ろ盾がない以上、足下が脆い。

 大手なら多少は目を瞑られる事態があろうとフリーランスにおめこぼしはない。むしろ潰す理由をでっち上げては権力・財力・暴力を使って真実を握り潰してくるのはザラだ。

 もちろんかいくぐり、生き残る術を祖父と父親からしっかりと叩き込まれていたりする。

「ご指名の依頼とはね~」

 丁重な文字が書き記された手紙に立花は嘆息するしかない。

 電子メールではなくペーパーメディアでの依頼にただ事はないと直感する。

 ペーパーメディアはデータ転送でない分、ハッキングの恐れがなく、現実に確実な証明を残す。一方で窃盗や処分に甘い面もあり、一長一短だ。

「おいおい前金で五〇〇万円とかどんだけ羽振りがいいのよ」

 手紙に同封されていた一枚の小切手に目ん玉が飛び出したのかと錯覚した。

 依頼主は、アメリカに籍を置く最高経営責任者(CEO)の一人ときた。

 彼の企業は六人の共同CEO体制により業績を成長させた話題の企業。

 立花の腕を見込んで国外からわざわざ指名である。

 紹介者が以前、取材でお世話になった相手だけに無碍に断るのは相手の顔に泥を塗るようなもの。

 さらに内容が内容だけに、依頼の果てに至るのはスクープの匂いが強い。

 日本国内の経済が下手をすれば傾くだろう。

「俺は探偵じゃないんだが、いや、探偵じゃないと見越してのご指名か」

 腕を組みながら立花は渋面を作る。

 依頼内容は取材ではない。

 とある人物の周辺関係の調査と探偵向けの依頼ときた。

 何故、探偵の仕事をジャーナリストに振るのかはなはだ疑問だが、一通り内容に目を通してみる。

 もし引き受けるならば条件を厳守する旨が記載されている。

 一つ、対象の人物に期日まで接触してはならない。

 二つ、周囲に気取られることなく内密に。

 三つ、何があろうと調査中は介入禁止。

 三つ目は気になるが、深入りするなという依頼主側の釘だろう。

 祭りの取材に行って御輿を担ぐなど、報道する側からすれば、あるまじき行為だ。

「期間は二年、その間の経費は全てあちらさん持ちとか、金にいとめはつけぬとは金持ちはうらやましいね」

 取材しようと真実に至られねば金にならない。

 悲しきかな、世の中、金がなければ何もできないのが現実である。

 写真一枚取り損ねて今日の食事どころか命すら失いかけたのはよくある経験だ。

「あの人たちに頼んでみるか」

 天井を見上げながら脳内人名録を検索する。

 依頼には協力者が信頼たる人物ならばつけてもかまわないとある。

 こちらには祖父の代より受け継がれてきた多種多様なコネがある。

 モチはモチ屋の言葉があるように、調査を行うには相応しき者たちとの縁があった。

 依頼主はこの幅広い縁を見越して指名したのだろう。

「ハロー、私、ご指名を受けました立花潤太と申します。ええ、お手紙拝読しました。依頼の件、お引き受けさせていただきます」

 手紙に記載された電話番号に電話をかければ依頼主に音声で承諾した。

 次いで契約内容の細かな確認だ。仕事用タブレットに契約書が送信されてる。日本語に記された契約内容を一字一句事前の説明と相違ないか穴が開くほど注視する。口約束と契約書とでは俄然、後者の方が証拠能力が高い。信頼から口約束で済ませば、後から約束を反故されるのはザラだ。また日本とアメリカの法律は似て非なる。日本では法的にOKでもアメリカではアウトなど多い。今回は日本国内での活動だからこそ日本の法律が適用されると契約書に明記されている。確認を終えれば後はタッチペンでサインをして送信すれば契約は完了となる。

「さ~て色々と忙しくなるぞ」

 手帳を取り出せばページをパラパラとめくり、別なる箇所に電話をかけた。

「やほ~久しぶり、俺、俺だよ。迷い猫探し以外の仕事なくて暇だろう? 猫すら感づかれず捕まえる腕を見込んで仕事の手伝いを頼みたいんだよ」

 相手からは迷いもなく快い申し出を受けた。

 そうして調査は開始される。

 立花は、依頼主が何故、ジャーナリストに依頼をしたのか、介入を禁止したのか、人間の悪辣さに胸くそ悪さを思い知ることになる。

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