第2話 十田陽仁に友達はいない

 園に響くは獣の唸りと人間の悲鳴。


『こちらにお乗りください。こちらにお乗りください。安全な場所まで運送します。列を崩さずお並びください』

 トラックの荷台に車輪をつけたような装置から電子音声が響く。

 緊急搬送用エレカ。

 パーク内にて震災が発生した場合において客を速やかにシェルターまで搬送する自動運送装置だ。

 ここはトリニティーパーク。

 遊園地・動物園・水族館と三つの施設を一つにした複合施設。

 一ヶ月後の本格開園を前にしたプレオープンのこの日、そのパークが今、最悪の事態に直面していた。

 本来、檻の中にいるはずの動物たちが解き放たれ、訪れた人々を襲っている。

 原因は何か、など理由を考える暇は与えられない。

「い、いや、いやああああっ! 離して、離してったら!」

 押し倒れた女性がハイイロオオカミに足を噛みつかれ悲鳴を上げる。

 ふりほどこうと牙は深く足に食い込み、他のハイイロオオカミたちに群がられ、その腹に牙を突き立てられる。

 胸部は肋骨が邪魔して食いにくい。だから骨のない腹部に牙を立てる。

 人間が骨ありチキンよりも骨なしチキンを好むように。

「なんで動物たちが外、に!」

 男は最後まで困惑を隠せぬまま巨象に踏まれて死んだ。

 肉食獣に追われて興奮したゾウは巨身を揺らして走り回り、店舗や機材を破壊していく。

 人間が蟻一匹に気づかぬように、ゾウもまた人間を踏みつぶそうと気づかない。

『発進します。発進します。振動にお気をつけください』

 緊急搬送用エレカは入力されたプログラムに従い、客たちを誘導しては定員になり次第、次々の発進していく。

「はぁはぁはぁ! ようやく、ようやく取り戻せるのに!」

 一人の少年がエレカに乗り込まんと息を切らし走っていた。

 柔和な草食系の顔立ち、長袖シャツにズボンと簡素な姿。

 スニーカー履いた足で舗装を蹴り息を切らして走る。

 獣との距離があろうと獣の息づかいがひしひしと伝わり足を震えさせる。

 周囲に響く人々の悲鳴と獣の唸り。

 耳目通じて恐怖が伝播し精神を痛めつける。

 避難叶わず獣の餌食となり命散る音。

 生きるために他の命を喰らう姿。

 そして命が流れ落ちる音と血の匂いが、楽しいプレオープンを急落させた。

 だが、少年は死ねない。死ぬわけにはいかない。

 ようかく地獄から抜け出せる。逆転できる。奪われた者を、今日この日、奪還できる

 ここで喰われるわけにはいかなかった。

「間に合えっ!」

 最後の一台が今まさに発進しようしている。

 少年は両脚にバネのように力をこめては飛び上がり、エレカの手すりに掴まった。

 助かったと胸をなで下ろし欠けた瞬間、怖気走る電子音声が響く。

『重量オーバーです。繰り返します。重量オーバーです。安全性を鑑みて発進できません』

 先に乗り込んでいた者たちの視線が一気に集う。

 少年を知らぬ者からは助からぬ恐怖、少年を知る者たちからは侮蔑・嫌悪・嘲笑の視線が無形の矢なって突き刺さる。

 融通効かせろとぼやいた少年は視線に臆さない。

 何しろ、このエレカの右端には搬送に不必要な資材、鉄パイプなどの建築資材が搭載されているからだ。

 プレオープンだからといって無責任すぎる。

 だが原因を排除すれば発進できる。

「その荷物をどか、がっ!」

 最初に両手に衝撃が走った。激痛のあまり手すりから手を離してしまう。重量制限からエレカが解放されて走り出す寸前、顔面に衝撃が走り、少年は蹴り出される形で乗車拒否された。

「ライ、君はあああああああはっ!」

 路面に背中を打ち付ける寸前、友だった男の顔は笑っていたのを目撃する。


 遠ざかる意識の中、何故と何度と反覆したか。

 どうしてと何度、友に尋ねたか。

 誰も答えてくれない。誰も口を固く閉じる。

 宿題を写し合った友達も、放課後よくカラオケに行った友達も、誰もが背を向けては遠ざかる。

 中学二年の夏休みが終わった同時、晴仁の世界は反転した。

 何故、何故、何故と疑問しかなく解答を求めようと、誰一人答えない。

 十田晴仁に友達はいない。

 昔はいた。今はいない。

 動物学者の両親を持ち、歳の離れた兄は新米海洋学者として活動している。

 東京生まれの東京育ち。

 中学二年の頃までは友に恵まれ、持ち前のポジティブさで多くの縁を結んできた。

 だが、今の彼に友達どころか味方は家族以外いない。

 最初は側にいてくれた異性の幼なじみとて晴仁から離れ、今ではあちら側だ。

 中学卒業までの一年間は文字通り地獄だった。

 教室に行けば机がないなどまだ序の口。

 顔も名前も知らぬ生徒に廊下ですれ違っただけで殴られる。

 体操服がゴミ箱に捨てられている。

 クラスメイトの財布が自分の通学鞄の中に入っていた。

 担任は出席確認で名前を呼ばない。

 テストで記入したはずの氏名や解答がない。

 身に覚えのない万引きで何時間も教師に問いつめられる。

 見かねた保護者が学校や警察に訴えようと聞く耳持たず。

 ただのじゃれ合いだと、些細なミスだと取り合わない。

 それどころか家庭に問題がある。原因は息子さんだと非難する。


 生きているのが辛い。

 何故、どうしてと何度反芻したか、数えるのを止めた。

 転校しようと学校側は転校を認めないどころか転校すれば進学に悪影響があると揺さぶってくる。

 あがきにあがき、どうにか志望校に進学できようと環境に変化はない。

 ただ手を出すことはなくなった。

 誰もが、教師ですら晴仁を、最初から存在しないかのように無視していた。

 最後まで隣にいてくれた異性の幼なじみは別の男の隣にいる。

 目をあわさないし、メッセージはブロックされている。

 虹のようにまぶしい笑顔は曇天のように曇り、遠目からでも幼なじみが笑った姿など、あれ以来見たことがなかった。

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