魔術の基本及び応用

「はい、では、皆さん。席に着いてください」


 教室に入ってきたのは、ツバの広い三角帽をかぶった少女だった。


 俺たちと同じ年頃に視える彼女は、懐から5本の白墨チョークを飛ばして、黒板に文字を書き込む。


「リエナ・ナシアロムです、文字ではこう書きます。『魔術の基本及び応用』と『触媒学』、S・A・Bランクの『実践基礎魔術』を担当しています。多少は、『対深淵学』にも馴染みがあるので、相談事があれば言うだけ言ってみてください」


 どうやら、教師らしい。それにしては、若いように思えた。


 俺の心を読んだかのように、真顔の彼女は続ける。


「視ての通り、貴方たちとそう歳は変わりません。では、なぜ、この歳でインクリウス魔術学院の教師をしているかというと、わたしは、稀代きだいの天才だからです。

 今年の主席は?」


 フロウとファイは、手を挙げる。


「今年の主席は、ふたり……しかも、ひとりは、五大貴族ではない。なるほど」


 リエナ教員の魔術によって、黒板上で白墨チョークが踊る。頬を掻いた彼女は、静かにつぶやいた。


「貴女たちよりも、わたしの方が才能がありますよ」

「……煽ってますか?」

「いえ、単なる事実です」


 フロウの問いに、リエナ教員は平然と答えた。


「後ろに座っている方の主席には、戦闘では十中八九勝てないと思いますが、魔術の才能センスだけで言えばわたしの方が上ですね。

 では、教科書を開いて」

「私には、戦闘で勝てるとでも?」


 フロウが発した怒気に、彼女はまばたきひとつせずにささやく。


「はい、間違いなく」

「じゃあ、証明してくださ――」


 俺は、フロウの服裾を引っ張る。姿勢を崩した彼女は、椅子へと倒れ込み、顔面があった空間に白墨チョークが突き刺さった。


 恐らく、フロウには視えなかったのだろう。


 唖然とした彼女は、目を見開いて、宙空に留まる白墨チョークを見つめていた。


「運が良いですね。まぁ、当たっていても、頬が汚れるだけですから」


 どうやら、リエナ教員の魔術は、普通の魔術とは異なるらしい。魔術を発動する際に、空気中に伝わる魔力が殆どなかった。予備動作も存在していないので、アレを避けられる人間は限られるだろう。


「申し訳ありませんが、この姿だと舐められるので、毎年通例、こういうことをやってます。

 悪く思わないでくださ――ん?」


 リエナ教員の頬に、雪片が付いていた。


 フロウの手のひらから、白色の氷気が漏れ出ていた。黒板に突き刺さる氷片が、大穴を空けている。


「……なるほど、自信があるだけはある」


 リエナ教員は、微笑してから「教科書を開いて」と言った。


 気は済んだらしい。仏頂面のフロウは、体勢を立て直してから、俺に耳打ちしてくる。


「キミが服を引っ張らなかったら当たってたのに」

「いや、当たらなかったぞ。惜しかったが、術式を乱されて、狙いから3センチほど左にズレたところに着弾する」

「はいはい……ほら、教科書、開いたら?」

「うん」


 俺は、素直に、教科書を開く。


「では、初歩の初歩から、魔術とは一体なんでしょうか?」


 舞い踊る白墨チョークたち。なんらかの文字が書かれて、俺は、フロウから借りた羽ペンでメモをとろうとして――首を捻った。


「フロウ」

「こら、授業中は喋るな」

「アレは、なんて読むんだ?」


 げんなりとして、フロウは、こちらに向き直る。


「キミ、もしかして、東部言語の読み書き出来ないの?」

「贄の娘たちに、読み聞かせはしてもらったが」

「後で、ノートは写させてあげるから。今は、一生懸命、授業を聞いてなさい。理解すれば、問題ないよ」

「わかった」

「では、そこのおしゃべりに夢中なふたり……男のほう」


 木の杖で、リエナ教員は俺を指した。


「魔術とは、なにか?」

火球ファイアボール


 リエナ教員は、苦笑する。


「間違えてはいませんね。

 貴方、お名前は?」

「ラウだ。よろしくな、稀代の天才」

「リエナ先生で結構。よろしく、ラウ。

 では、ラウ、魔術の基礎とされる四大呪文を答えられますか?」

火球ファイアボール火球ファイアボール火球ファイアボール火球ファイアボール

「誰も四回繰り返せなんて言ってませんが」


 ガタリと音を立てて、フロウが立ち上がる。


水矢ウォーターアロー風刃ウィンドカッター火球ファイアボール雷嵐サンダーストーム

 これらを総称して、四大呪文と呼びます。別名、四大元素エレメンタル四大魔法ソーサリー四大基礎ベーシック初級魔術ファーストとも言います」

「よろしい。さすがは、主席ですね。ふたりとも、座っても良いですよ」

「フロウが横から俺の回答権を奪う形になったが、コイツに謝らせなくても良いか?」

「むしろ、彼女に、お礼を言っておいた方が良いですね」

「ありがとうなっ!!」

「良いから座って……早く、座れ……!」


 顔を真っ赤にしているフロウに、ぐいぐいと腕を引っ張られる。なんだか、怒ってそうだったので、素直に腰を下ろした。


 リエナ教員は、黒板に四つの文字列を書き込んだ。恐らく、四大呪文を書いたのだろう。


「なぜ、この四つの呪文を四大呪文としょうするのでしょうか……そうですね、この世界の全ての事物は、水、風、火、地の四大元素エレメンタルによって構築されているからです。

 例えば、この教卓も、四大元素エレメンタルで構築されています」


 無造作に、リエナ教員は、教卓に手のひらを押し付け――てのひらの形で、教卓が削り取られる。


「このようにして、四大元素エレメンタルの量を操作すれば、触れるだけでも簡単に削り取ることが出来ます」

「……さらっとやってるけど、スゴい技術ね。触媒もなしに、四大元素エレメンタルの崩壊を数秒で行えるなんて」


 隣で、ぼそりと、フロウがつぶやく。


「この教卓だけではありません。わたしも、皆さんも、この学校そのものも、四大元素エレメンタルの寄せ集めです。空気中にも、四大元素エレメンタルは、粒子状に散らばっています。

 それらを操作して、エネルギー物質マテリアルに変えることを魔術と称します」


 水、風、火、地を絵にして描いたリエナ教員は、それらから矢印を伸ばし、人や物の絵へと引っ張る。


「四大呪文は、初級魔術ファーストとも呼ばれています。発動は比較的容易で、初級者がまず初めに学ぶことになる呪文だからです。子供でも唱えられるので、バカにされたりもしますが、全ての基礎となるとても重要な呪文ですよ。

 かつて、個の力に固執した魔術師は、力の起源としてこの四大呪文の習熟に心血を注いだとも言われています。

 では、次に、四大元素エレメンタルの歴史についてですが――」


 リエナ教員の丁寧な説明が続いて、授業終了の鐘がなった。


「では、本日の授業はコレで終了となります。初回ということで、宿題レポートは出しませんが、次回からは覚悟しておいてください。

 お疲れ様でした」


 リエナ教員が、退室して、教科書を閉じたフロウが立ち上がる。


「どこに行くんだ?」


 そのまま、フロウは立ち去ろうとしたので声をかけた。


「次は、『実践基礎魔術』。ランク別だから、わたしとキミは別の演習場に集合」


 すたすたと、フロウは教室を出ていって――戻ってくる。


「キミ、次の集合場所、わかってる?」

「任せろ。俺の勘は、よく当たるんだ」


 フロウに手を握られて、俺は、そのまま引きずられていった。

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