遅刻しそうなら天井を駆けよう

「学舎の外に出たが」

「やっぱり」


 俺が応えると、マリー教員は、唇を尖らせた。


「なんで、そんなことしたのさ。君は、とっても良い子な模範的生徒でしょ? ど~して、マリー先生の言うことを聞かなんだ~?」


 両手で、ぐいぐいと、ほっぺたを引っ張られる。別に、怒ってはいないようだが、口調に不満が混じっていた。


「パートナーが心配だったからな。アイツが外に出たのがわかったから、頑張って走って追いかけた」

「フロンちゃんね」


 俺は、頷く。


「彼女とも話したけれど、今回のことはアイシクル家には伝えないことになった。下手したら、家に連れ戻されちゃうんだって。

 正直、大事にならなかったのは、勇気ある君の蛮勇のお陰だから……結果としては、文句は言わないけどね。小うるさい教師は黙りますが、次回からは無理をしたらぶっ殺す」


 再度、頷くと、マリー教員はため息を吐いた。


「で、まぁ、それは良いとして……ココからが、本題」


 ぐいっと、彼女は、俺に顔を近づける。


「君が助けを求めたのは何者?」

「今、火球ファイアボールの話をしてるか?」

「してない」


 俺は、少し考えてから応える。


「華麗なる火球ファイアボール使いだった。たぶん、アレは良い人間だ。火球ファイアボールの使い手だからな」

「あのね」


 むにむにと、両手でほっぺたを揉まれる。


「君は、戦闘痕まで確認しなかったからわからんかもしれんがね、アレは、火球ファイアボールなんかじゃない。

 4人の人間、うちひとりの遺体を消し炭にするような火の魔術……どう考えても、アレの唱え手は尋常な魔術師じゃない。下手したら、校長に匹敵する実力の持ち主による仕業」

「ふぅん、火球ファイアボールじゃないのか」


 一人目は、背後から、気づかれずに燃やし尽くしたつもりだったが……残りのふたりは、よくわからない防御動作を取ってたからなぁ。魔導技術マギ・テクニクスとやらで、防がれて、俺以外の誰かに処理されたんだろうか。


 少なくとも、俺じゃないな。火球ファイアボールしか使ってないし。


「だとしたら、俺が助けを求めた誇り高き火球ファイアボール使いによるものじゃないな。本当にわからん」

「…………」


 顔を掴まれて、目を覗き込まれる。


「本当に、嘘をついてない……なーんだ、良かったぁ。良い子のラウ君が、妙なことに巻き込まれちゃったかと思って心配しちゃったよ」

「なんだ、心配してくれたのか。良いヤツだな、マリー教員」

「うんうん、よしよし」


 背伸びをしたマリー教員に、頭を撫でられる。試しに屈んでみると、耳の後ろを指でくすぐられた。


「ラウ君、気をつけてね。王国魔術院は、フロンちゃんを助けたのは、かの炎唱かもしれないと疑っている。

 近日中に、アトロポス山の山頂にまで、踏み込む予定とまで聞いてるから」

「その日、暇だったら、俺も行ってもいいが」

「いーくーなー! はーなーしーきーいーてーたーかー!」


 びよんびよんと、ほっぺたを左右上下に伸ばされる。


「本当に、フロンちゃんを助けたのが炎唱だとしたら、秘術指定の魔術師がこの都にいるかもしれないの。後で全校生徒に通達は出すけど、当分、外出は控えるように。

 かの炎唱が相手となったら、うちの教師陣が束になって戦っても、君たちを守れないかもしれない」

「大丈夫だ、俺が守ってやるから」

「まーもーるーなー! はーなーしーきーいーてーたーかー!」


 またしても、ほっぺたを引っ張られる。


「はい、じゃあ、事情聴取は終わり。早速、本日の授業に向かいなさい。

 ほら、駆け足」

「うん、わかった」


 背中を叩かれて、俺は、大講堂を後にする。


「あ、ラウ君!」


 声に振り向くと、マリー教員は、綺麗なウィンクを寄越す。


「よくパートナーを守った。格好良いぞ、胸を張れ」

「マリー教員も、もうちょっと胸を張ったほうが良いぞ。

 贄の娘たちと比べて、乳房が小さ――」

「殺すぞ」


 殺気を感じたので、俺は、とっとと退散することにした。


 インクリウス魔術学院には、オリエンテーションや講話、行事に用いる大講堂とは別に、授業用の教室が存在している。教室の扉には、『魔力止め』という錠があって、小さな守護像ガーゴイルのノッカーが付いている。


 この錠は、生徒たちの魔力を感知して、部外者を弾き出す効果があるらしい。


「おい、新入生!」


 翼を生やしたグリフォンの守護像ガーゴイルは、俺を見かけるなり、扉からベリベリ剥がれて目の前に飛んでくる。


「そっちは、二時間目の『魔術の基本及び応用』の教室じゃあないぜ。

 あっちだ、あっち。あそこの廊下を右に曲がるんだ。左に曲がったら、トイレだからな、気をつけろよ」

「お前、良いヤツだな。

 叩き落としても良いか?」

「秒で、恩を仇で返そうとするなよ」

「いつも、そうやって、道案内をしてるのか?」


 ブンブン飛びながら、守護像ガーゴイルは頷いた。


「オレらは、魔力止めに使われるだけじゃないからな。あんたみたいに、迷子になった新入生を助けるのも立派なお役目だ。

 わかったら、とっとと行きな。そろそろ、始業の鐘がなっちまう」

「そうか。なら、少し、急ごう」


 俺は、翔りを発動する。


 自重が失せていく感覚、髪の毛が逆立って、ぱらぱらと土埃が浮いた。ゆっくりと、宙に浮いていき、反転してから天井に足裏をつけた。


 視界の中に、経路ルートを定めて――駆けた。


「うぉお!?」


 守護像ガーゴイルの悲鳴を聞きながら、俺は、障害物のない天井を駆け抜ける。他の生徒たちの頭上を駆け超えて、一気に教室にまで到着して翔りを解除する。


 逆さまの状態で、落下、人差し指でノッカーを鳴らし――そのまま、トンボ返りして、教室の中に入った。


 教室には、黒板と椅子、机が立ち並んでいる。


 既に座っていた新入生のひとりが、俺を見つめて、目を丸くしていた。


「……アイツ、逆立ちしながら、空飛んで来なかったか?」

「は? なに言ってんだ? 新入生が、そんな魔術使えるわけねーだろ。

 もう、寝ぼけてんのか?」


 きょろきょろと、辺りを見回すが、フロンはいなかった。


 仕方ないので、適当な席に腰を下ろし――


「おい、邪魔だ」


 見知らぬ金髪の少年に、椅子を蹴られた。

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