第37話 消滅

「そんな……どうして……」


 ジュキの契約巫女である夜見は、大粒の涙を流しながらジュキの精霊体を抱きしめようとした。

 そしてその手がすり抜けたことに、一瞬、呆然として……そして、集まってきていた精霊や精霊巫女達にその顔を向けた。


「お願いです、私はどうなっても構いません! 今までの償いは必ず致します、どうか、ジュキ様をお助けくださいっ!」


 自分の契約精霊を慕い、大切に思う……精霊巫女ならば誰しもが共感できることだ。

 基本的に、自分と契約できる精霊は、自分に最も適したそれであり、自分の、自分だけの『精霊様』なのだ。


 命を賭けた戦いを幾度も潜り抜け、絶対的に信頼し合える関係。

 あるいは、自身にとって『信仰の対象』、つまり『神』に等しい存在と言っても過言ではない。

 そして通常では考えられない現象……本来であれば不老不死である精霊体が、今、消滅……つまり、死を迎えようとしている。


「お願いです、この通りです……助けて……助けてくださいっ!」


 夜見は、頭を地面にこすりつけるようにして懇願する。

 その様子を見て、やはり精霊対に戻っている狐型精霊の凛が、声をかける。


「……残念だけど……もう、誰にも貴方の精霊を助けられないの……あと5分少々で消滅するわ……」


「……そんな……」


 夜見は、愕然とした表情で、凛、そしてその他の精霊達の顔を順に見ていったが……全員、沈痛な表情となっていたことに、それが事実であることを悟り、また大粒の涙を流し始めた。


「……いいんだ……」


 ジュキが、弱々しく声を放った。

 それに夜見が反応する。


「ジュキ様……しっかりしてください、まだ……まだ何か手があるはずです!」


「……もう、無理だ……それより、最後に話をさせてくれ……」


 ジュキはそう言うと、最後の力を振り絞るように体を起こした。

 先ほどよりもさらに、その体は透けて見えた。


「迷惑をかけて申し訳なかった……全て、俺の責任だ……俺が、この南向藩を一緒に潰そうと、夜見にすり込んだのがそもそもの間違いだった……夜見は、南向藩の役人と結託した強盗に家族を皆殺しにされた。そして、それを訴え出ても、藩は何もしなかった……それで藩を恨んでいた……それに俺がつけ込んだのだ……いや、違うな……俺が脅したのだ……藩に刃向かおうとしている俺に手を貸さなければ、お前は俺に殺される、とな……」


 ジュキから告げられた優奈の凄惨な過去に、優奈たち巫女も、精霊達も驚愕し、泣きじゃくる彼女を見て、哀れみを覚えた。


「『この腐った南向藩を潰して、善良な民をより良き方向へと導く天女となれ』……それが常々、俺が夜見に言い聞かせ、そして強くなるために修行させたのだ……しかし、その手段は間違っていた。夜見を、そして俺自身を手っ取り早く強くするために、わざと獣を『瘴気の泉』へと導き、魔獣化させていたのだ……そのために、夜見が狩り切れなかった魔獣が人里へと向かい、狩人に犠牲者が出てしまった……さらには、貫三郎のような人間を基とした妖魔まで出現させてしまった……全部、俺のせいだ……」


 タクは、なぜジュキが、消滅寸前のこの時に、過去の悪事を話そうとしているのか、正確に理解した。

 この後、残さる夜見を、庇おうとしているのだ。

 南向藩に敵対しようとしていた……そのようなことが露見すれば、夜見は只ではすまない。

 おそらく、死罪は免れない……そのため、自分が脅し、彼女を洗脳したことで、このような結末になったのだと。

 夜見やジュキが、どうしてこれだけの力を得たのか、その理屈も把握した。


「だから頼む……全て俺のせいなんだ……夜見のことを頼む……」


 そう話している間にも、ジュキの体色は徐々に薄くなっていく。

 夜見が泣きじゃくりながらその体に触れようとするが、むなしくすり抜けるだけだ。


「……分かりました。夜見さんのことは、お任せください……決して、悪いようには致しません」


 狐型の精霊である凛が、そう明言する。

 これは死にゆくジュキに対するせめてもの餞の言葉だ……実際には、いくら精霊体に脅されていた巫女だとしても、一時は南向藩の巫女達を一網打尽にしてその命を奪おうとしていたのだ、厳罰は避けられないだろう。


 それでも……「悪いようにはしない」……その言葉で、ジュキの魂が救われるのであれば、心の優しい凛は、そう言葉をかけざるを得なかった。

 ジュキは、凛の言葉に頷くと、その視線を夜見に戻した。


「夜見……俺の考えが間違っていた……確かに、藩の中には悪い奴がいる。盗賊討伐に動かない藩主にも、腹を立てていることだろう……だが、それをできない事情もある……例えば、妖魔退治に費用と兵を動かさないといけないために、そこまで手が回らない、ということもある……そうであれば、俺たちがやってきたことは、完全に逆のことだった」


 ジュキの指摘に、夜見が目を見開く。


「そしてここに集った精霊巫女達は、皆、民のことを想って魔獣や妖魔を退治している。私利利欲で戦う物など誰もいない。もちろん、何かの恨みを晴らすためだとか、復讐のためだとか……そんなことを考えている奴は誰もいない。だからこそ、俺が契約精霊になれなかったのだろうが……」


 精霊は、基本的に自分と相性が良い……もう少し具体的に言えば、同じ思想や考え方の人間の元へと現れ、契約を結ぶ。

 彼が優奈達の前にその姿を現さなかったのは、その心の奥底にある闇の部分が妨げとなったからだ。

 だからこそ、藩に対して復讐心を持つ夜見の前に現れたのだ。

 しかし、夜見と接しているうちに、彼女に対する情が芽生え、そしてこのまま夜見を復讐のためだけに強くなる闇の巫女に育て上げていいのか、と葛藤する日々があった。

 だが、今更後には引けない。


「やはり復讐など止めよう」と持ちかければ、もう彼女と信頼関係を結ぶことなどできないだろう。

 そう考えて、必死に強くなろうとあがき続ける夜見のことを、鍛え続けるしかなかったのだ。


「……はい……」


 夜見も、薄々ジュキの心境の変化には気づいていた。

 しかし彼女もまた、後には引けなくなっていたのだ。

 だから、一言、そう返事をするしかなかった。

 ……もう、時間が残っていなかった。

 あと、ほんの数十秒で、ジュキの精霊体は消滅する。


「夜見……お前はもう、精霊巫女にはなれない……普通の娘として、自分の幸せだけを考えるんだ……そして一言だけ言わせてくれ……俺は、お前と共に過ごせた時間、幸せだった……」


「……ジュキ様と出会っていなければ、私は命がありませんでした……そして私も思っています……ジュキ様と出会って以降、最も充実して、最も幸せな時間だったと……」


 最後のやり取りに、それを見ていた巫女達は皆、涙を流した。

 全員、自分の契約精霊と、こんな形で別れることになったら、どれだけつらいだろうと考えたからだ。

 一瞬、ジュキは笑顔を見せた。

 刹那、その体は細かい光の粒となって煌めき、弾けて、そして消えていった。


「ジュキ様あぁ――……」


 夜見の叫びと、その後の嗚咽が、早朝の山中に、ほんの僅か、こだました――。

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