第35話 覚悟の笑み

「……俺自身、精霊体にこんな進化形があるなんて知らなかった。ただ追い詰められ、必死に何かに抗おうとしただけだ。それに、長時間は戦えないらしい……だから短期決戦で行くぞ!」


 タクはそう言うと、持っていた長刀を槍の形状に変化させた。

 そしてジュキの、半透明の膜状の結界に向けて、その先端を突き立てた。


 激しく火花が飛び散り、周囲に不快な切削音が鳴り響く。

 誰もが思わず耳を塞ぎたくなるその音波だったが、精霊巫女達は固唾を呑んでその成り行きを見守った。


 タクの攻撃力は、その時点でジュキの防御力の数倍に達していた。

 しかし、ジュキの結界は単なる防御ではなく特殊能力だ。

 その上、ジュキはタクから攻撃を受けているその一点に対し、結界の密度を異常に上げて対応していた。


 聖獣人化を果たしたタクだったが、それでもジュキの最後の抵抗を貫ききれない。

 それに対して、タクは自身が自分の形態を保っていられる時間が、残りせいぜい1分に満たないことを把握できており、次第に焦りの色を濃くしていた。


 強すぎる能力には、それに伴うリスクが存在する。

 聖獣体となった際は、妖魔や魔獣に対する強力な戦闘能力を身につけた代償として、その形態でいる間は精霊体の最大の特権である「不老不死」を失ってしまう。


 さらにその上位の形態、「聖獣人化」した上で、武装を具現化すると、とてつもない攻撃・防御力を得られるが、その形態は1分半程度しか持続できないのだ。

 それでも、その1分半があれば、その能力をフルに生かし切れば、相当な強敵も一対一なら打ち倒すことが可能だろう。


 だが、タクはまだその形態に慣れていない。

 加えて、妖魔でも魔獣でもない、元は同じ現実世界出身のジュキに対して、非情になりきれていなかったのだ。


 今、この結界を壊してしまうと、ほぼ確実にジュキの命を奪ってしまうことになる。

 聖獣体となった青竜の雪愛、九尾の狐の凛が待機しているからだ。


 結界が破壊された瞬間、タクに対して強力な稲妻による攻撃が起こるかも知れないが、今の自分ならそれを我が身にわざと受け、耐えきる自信があった。

 つまり、ジュキは詰んでいたのだ……タクが、本気にさえなれば。


 タク自身も、気づいていた……まだ、全員が助かる方法があるのではないか、という甘い考えに支配されてしまっていることを。


 そんな苦渋の判断を迫られていることに、一人の少女が気づいていた。

 そして、彼がそれほど苦しんでいることを、そしてこのままでは同僚の巫女達に犠牲者が出てしまう可能性が高いことも理解していた。


 その少女……優奈には、ジュキの結界が極端にタクの攻撃ポイントに分厚く張られていることが見て取れていた。

 さらに、ピンポイントで薄くなっている弱点があり、そこを高威力の一撃で突けば、結界が丸ごとはじけ飛ぶこと。

 さらには、それを可能とするだけの力が、契約精霊であるタクの聖獣人化と連動し、能力値が急激に上昇した自分の力でも可能であることを。


 ひどくゆっくりと感じられる時の流れの中で、優奈は、自分の体が重いと感じながら走っていた。

 しかしそれは、体感時間が圧縮されていることの副作用であり、実際はとてつもなく早く、正確に、ジュキの結界に迫っていた。

 ひょっとしたら、自分に向かって、結界内で高密度に圧縮されている全ての稲妻が襲いかかってくるかもしれない。

 それでも、同僚達を救い、タクの苦悩を断ち切ることができるのならば構わない――。


 優奈は、全身全霊で、ごく薄くなっている結界の弱点を、手にした白銀の槍で突き立てた。


 タクの、わずか数メートル真横だった。

 彼の目が、驚愕で見開かれる。

 それに対し、優奈は、ほんのわずか笑顔を見せた。


「あとは、お任せしましたよ――」


 自身の死をも受け入れ、全てをやり遂げた、彼女の、覚悟の笑みだった。


 次の瞬間、結界ははじけ飛んだ。

 そして結界内の全ての稲妻は、一瞬静止し――それらは、全て、鵺の本体、ジュキの体へと吸い込まれた。

 彼自身の体躯が、強烈な電撃により火花を散らし、青白い紫電がスパークし、焼き裂かれた。


 ……一瞬、何が起きたかを、ジュキ本人以外は正確に把握できず、時が止まった。


「――いやあああぁあーー、ジュキ様ぁ――!」


 静寂を破ったのは、ジュキの契約巫女である夜見の、悲痛な叫び声だった。

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