第32話 負の契約

 ――その少女は、豪農……裕福な農家の一人娘として生まれた。


 屋敷は大きく、複数の使用人が住み込みで働いていた。

 両親は地主として大きな権限を持ち、地域の民からも慕われていた。

 南向藩でも有数の大商人としての地位も持っており、その財産の一部を、下級の武士達に低金利で貸し付けたりもしていた。


 少女が十五歳になって、数ヶ月が過ぎた、ある夜。 

 その屋敷に、十数人もの盗賊が押し入った。

 なぜかその日に限って、普段なら夜中に見回りに来ていた役人達の姿はなかった。

 盗賊団の無残なやり口により、屋敷の主はもちろん、使用人達まで皆殺しにされるという惨状だった。


 唯一生き残ったのは、その娘だけだった。

 周囲の騒ぎに気がついた両親によって、床下の、人一人がやっと逃げられるだけの隠し通路に押し込まれ、蓋を閉められ、薄く土をかけられた。


 両親は、自分たちまで逃げてしまっては、屋敷中を徹底的に探し出され、この隠し通路も見つけられると考えて、娘だけを逃がしたのだ。


 娘は、床下のさらに下の隠し通路で震えていた。

 そして両親の悲鳴と、男達の声が聞こえてきた。


「娘がいたはずだ、どこだ……いや、今はそれよりも、お宝を奪う方が先か。俺たちと結託した役人達も、朝方になれば本来の仕事として、盗賊を捕える敵となるはずだから。奴らは俺たちと違って、お宝には興味が無い。自分たちの借金が消えればそれでいいんだ――」


 信じられない言葉だった。

 信じていた藩の役人……豪農とは言え、農民の屋敷の警備をする下級の武士達ではあったが……信じていたその人達が、裏切ったというのだ。


 財宝は全て持ち去られ、屋敷には火がかけられた。

 少女は泣きながら、煙が舞い込んでくる真っ暗な通路を手探りで進み、やがて竹藪の側の山肌、草で覆われている横穴へと出た。

 屋敷は小山の上にあったため、屋敷から斜め下に伸びた通路を進むと、その場所に通じていたのだ。


 彼女は、そこで夜が明けるのを待った。

 火事を知らせる半鐘の音が、けたたましく鳴り続けているのを聞いていた。


 翌日、顔をすすだらけにした彼女が横穴から外に出たが、彼女を見た者は、皆怯えて、近寄ろうとしなかった。

 逃げることに夢中で気が付かなかったが、屋敷から流れ込んできた火事の熱波で、彼女の顔は火傷を起こし、醜くただれていた。


 それに、彼女は両親と共に、死んだことになっていた。

 役人達が、焼け落ちた屋敷の中で、親子三人全員の遺体を確認した、と告げていたのだ。

 後で分かったことだが、その報告を受けた上役も、その言葉を信じて、それ以上調べようとはしなかった。


 藩主の耳にまでその事件の一報が入ったはずだが、真相を解明することも無く、また、本気で盗賊を捕えようとする動きも見られなかった。

 少女は、恨んだ――両親を殺めた盗賊団を、結託した役人を、何もしない藩主を、醜くなった自分を忌み嫌う、全ての者を。


 十日間、彼女が生きるためにしたこと……墓に供えられていた団子を盗み、生のタケノコを食べ、毒かどうか分からぬキノコを口にした。

 当然のように体調を崩し、幻覚を見た。


 そしてそれは現れた。

 サルの顔に、虎の体、梟(ふくろう)の翼をもつ、愛くるしいぬいぐるみの姿の生物。

 枕ぐらいの大きさのそれは、彼女に声をかけた。


「おまえには、俺の姿が見えるのか?」


 朦朧とした意識の中、彼女は、それが超自然的な、かつ高尚な存在であることを直感的に理解した。


「……はい、見えます……」


「お前には、精霊巫女の素質がある……そして俺の姿が見えると言うことは、負の感情……何かに強い恨みを持っているということだ……そうだろう?」


「……はい、そうです……」


「言ってみろ……何を恨んでいる?」


「……私の両親を殺し、私から全てを奪った盗賊達……結託していた役人達……何もしてくれない藩の人……みんなです……」


「……お前は……ひょっとしたら、十日ほど前の、あの強盗騒ぎで生き残った娘、なのか?」


「……はい、その通りです……誰も私のことなど助けてくれません……誰も両親の敵を取ってくれません……誰も、誰も盗賊を捕まえようとしてくれません……どうしてなのですか……このままでは、死んでも死にきれません……」


 少女は、涙を溢れさせた……残っていた気力を振り絞るように。


「それは、この南向藩が腐っているからだ……お前は俺と同じものを恨んでいる。夜見(ヨミ)よ、俺と契約して、精霊巫女となれ。そして共に、この腐った南向藩を潰して、善良な民をより良き方向へと導く天女となるのだ……」


 少女・夜見は、その精霊・ジュキの提案を受け入れた。

 精霊巫女となった彼女は、会得した回復呪法で、自らのひどい火傷を治療することに成功した。

 解毒呪法で体調も元に戻った。


 小川で身を清め、着ていた襦袢を綺麗に洗うと、本来の整った顔立ちも相まって、本物の天女と見紛うほどの美少女へと変貌した。

 また、精霊巫女として武装化することもできるようになっていた。


 相変わらず空腹ではあったが、精霊巫女は、この世界では尊き存在として崇拝される。

 近くの村で武装化した姿を見せるだけで、住民達は彼女を敬い、手厚い施しを受け、食事や衣料品に困ることは無くなった。


 その村は決して裕福では無く、思い税、年貢を詐取する藩の役人を恨んでいた。

 そこで彼女は確信する。


 自分と、主(あるじ)たるジュキ様は、このような人々を救うために存在するのだ、と。

 そしてそのためには、精霊巫女として、もっともっと、強くならねばならない、と――。


 やがて彼女と、契約精霊であるジュキは、非常に強い信頼関係で結ばれるようになった。

 滅多に出現することのない、「聖獣体」となり得るほどに。

 さらに、南向藩内にて豊富に瘴気が湧き出す場所を見つけ、利用して、主従共に強力な存在となっていった。


 もっともっと、強くなれると確信していた――やがては究極の形態に進化することも望める、と。


 それほど信頼を寄せ、崇拝する鵺(ぬえ)の聖獣体、ジュキが、今、青龍、妖狐、大狼という三体もの聖獣体に、攻め立てられていた。


「ジュキ様っ! 精霊体に戻ってください! そうすれば不死身になります、死なずに済みますっ!」


 夜見は、先ほど狼の精霊巫女である優奈が叫んでいたものと同じ言葉を、同じように叫んでいた――。

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