第16話 (閑話) 胡蝶の夢

 優奈は、空を飛んでいた。


 精霊の様な存在になり、空中にふよふよと浮いている。

 その実体を把握することは無く、自由に動くこともできない。

 ただ、意識だけが存在しているような状態だ。


 季節は夏のようで、蝉の声が聞こえていた。

 目の前に、大きな城のような建物が存在している。

 幾分変わった形をしており、瓦の屋根は無く、四角く、それでいて大きい。

 たくさんの窓があり、五階建てのようだった。

 その中の一つの窓に吸い寄せられ、部屋の中に入った。

 そこにはたくさんの机と椅子が並び、その全てに人が座っている……全員、彼女が見たことのない服装だった。


 年頃は、全員、自分と同じぐらいだろうか。

 男子と女子が、机に書物を置いて下や前を向き、年配の男性が話す講釈を聞いている……何かの座学のようだ。

 しばらくすると、聞いたことのない鐘の音が鳴り、一同、礼をして、全員、ほっとしたような笑顔になっていた。


 そのなかで、一人の男子の席に、複数人の男子が集まってきた……その中心の彼を見たとき、優奈は、トクン、と胸が高鳴るのを感じた。

 周りの皆から「タクヤ」と呼ばれた彼は、背が高く、細身ではあるが、がっしりとした印象も受ける。


 凜々しい顔立ちながら、どこかあどけなさも残っている。

 優しそうな笑顔を浮かべ、時折、誰かの冗談に声を上げて笑っていた。

 遠巻きに、何人かの女子が彼の事を見つめているのが分かった……おそらく、男性からも、女性からも人気があるのだろう。


「タク様……」


 優奈は、それが自分の契約精霊の、本来の姿であると直感した。


「……これは、夢? ううん、こっちが本来あるべき世界で、妖魔と戦う私の姿が、今の私が見ている夢なの?」


 若干、混乱したが、なぜかこちらの世界では妖魔など存在しないことが本能的に直感できた。

 今、楽しそうに笑っているタクヤの姿を見て、優奈は、平和なこの世界が現実であるならば、そして彼の事をこうしてずっと見ていられるなら、それはそれで幸せなのかもしれない、と考えた。


 刹那、目の前が真っ白になった。


 次の場面は、先ほどの建物から少し離れた、赤土の大きな広場だった。

 巫女養成所の訓練場に近い雰囲気だが、こちらはその地面にそれほど大きな起伏は無い。

 そこで複数の男子が、動きやすそうな白い服を着て、棍棒の様な物を振り回して白い球を打ち、遠くまで飛ばしたり、それを大きな手袋で受け、投げたり、走ったりしている。


 何かの競技だとは分かるが、何をしているのかは具体的には理解できない。

 しかし、全員真剣だ。

 その中でも、特に目立って球を遠くに打ち返し、足が速く、球を受けたり、投げたりするのも上手な男子がいた。


 タクヤだった。

 彼の一挙手一投足を見ているだけで、優奈の心はときめいた。

 しかし、彼女は気づいていた……彼とは、触れ合うことさえできないし、会話することもできない。

 なぜなら、本来彼は、自分とは違うこの世界の人であり、そしてこちらでは自分は肉体を持たないからだ。


 それに対して、妖魔を討伐する元の世界では、自分は肉体を持っているが、「タク様」は精霊体だ。

 そちらでは、触れ合うことはできるし、念話で話をすることもできる。

 しかし……その世界で、できることが限られている精霊体の「タク様」は、本当に幸せなのだろうか――。


 そんな疑問を覚えたときに、意識が暗転した。

 ――優奈が目を覚ますと、自室内、簡易寝台の上だった。


 しばらく、何が起きたのかよく分からなかったが……ようやく、先ほどまでの出来事が夢だと理解できた。

 自分の隣では、精霊体のタクが、心地よさそうに眠っていた。


(……タク様……今のは、夢? それとも……)


 まだ完全に意識が覚醒したわけでは無く、ぼんやりと靄がかかったような状態だが、不意に座学で習った「胡蝶の夢」を思い出した。

「夢の中の自分が現実か、現実のほうが夢なのか分からない」という説話だ。


 今見たものが、只の夢なのか、あるいは隣で寝ている契約精霊・タクから、何らかの思念が流れてきて、それを読み取ったのか分からない。

 ひょっとしたら、彼の前世の、日常の光景だったのかもしれない。

 契約精霊が別の世界からやって来ている、という話は、事実として知っていたのだ。


 彼はどうして、自分たちの世界にやってきたのか、そして妖魔退治を手伝ってくれているのか。

 また、どうして自分を、たった一人の契約巫女として選んでくれたのか――。


「タク様――いつか夢で見た姿のあなたと、会えるような気がします……」


 彼女は、寝ぼけ眼のままそう呟き、先ほどの疑問も全て忘れて、精霊体のタクを軽く抱きしめ、また心地よい眠りについたのだった。

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