第13話 夢幻

 精霊巫女達の教官である茜が、自分の身を挺してでも教え子達を守ろうと四つ星ランクの魔獣に向かって走る。

 今考えれば、あの山小屋が破壊されている時点で気づくべきだったのだ……相当強力な魔獣が出現してしまっていたのだと。


 ランクが一つ異なるだけで、その脅威度は格段に上がる。

 実際に、四つ星ランクの魔獣は、南向藩の三回生、四回生が総出で、しかも何日もかけて攻略に当たっているレベルだ。

 一回生の三人だけで、突然襲撃されて対応できるはずもない。


 この状況で、自分に向かってきている人間を見て、大熊の魔獣は大音響で咆吼を上げた。

 そのあまりのすさまじさに、全員がその場に倒れるか、座り込んだ。

 呪力が込められたそれは、人間を含む全ての生物を恐慌に陥れる効果があるようだった。


 身動きできなくなった女性達を、大熊は選り好みするように見渡す。

 そしてまず、自分に近づいてきていた茜に向かって、一歩ずつ歩を進めた。

 このままではあと数十秒で茜が殺される……誰の目にも、それは明らかだ。

 それに対して真っ先に反応を示したのは、負けん気が強いナツミだった。


「うわああああぁ!」


 未だ恐慌状態から完全には回復していないようで、気合いとも、悲鳴ともつかぬ奇声を上げながら黄金色の弓を引き絞り、狐火を纏った矢を放つ。

 それらは正確に大熊に向かっていったが、巨体に似合わぬ素早い動きで躱されるか、太い腕で防がれた。

 それでも、その腕に当たった矢は纏った呪力により爆ぜる。

 非常に高い防御力に阻まれながらも、僅かながらダメージを与えたようで、大熊は少しだけ顔をゆがめたように見えた。

 

 名前:アカメハイイログマ

 ランク:四つ星

 状態:正常

 生命力:5216 / 5283


 タク、リン、ユキアの精霊達が、各々の契約巫女達にその数値の変化を伝える。

 彼女達の顔が、絶望で引きつった。

 絶対に勝てないステータス差。


 腕で防御されたとはいえ、与えられたダメージがあまりに少なすぎる。これでは、あっという間に呪力の方が先に尽きてしまう。

 それでいて、1021というあり得ない攻撃力。

 素早さも、催促の優奈の倍以上の数値で、逃げられるものではない。

 しかも、「自分が食す以上に意味なく多くの獣 (人間含む)を襲う」とある。

 そもそも、餌を求めて出現したならば、狩人が犠牲になった時点で目的を達していたはずなのだ。


 もし、本当に意味も無く……あるいは、自分の機嫌を損ねたという理由だけで人間を殺戮するのならば、全滅する可能性すらある。

 そもそも、なぜここに、南向藩でも数年に一度程度しか発生しないはずの四つ星ランクの魔獣が存在しているのか。

 本来は、もっと瘴気の濃い山中に潜んでいるものではないのか……。


 疑問はあるが、そこから現状の打開策は見つからない。

 その魔獣は、自分の僅かでも傷つけたナツミに標的を変えて、やや速度を上げて向かっている。

 ナツミは必死の形相で矢を放ち続ける。

 そして彼女の契約精霊であるリンは、必死に逃げるように説得している。


 そしてそれは、タクも同じだった。

 全員で散り散りに逃げれば、あの凶悪な魔獣でも追ってこないかもしれない。

 戦えば絶対に負ける、生き残るためには逃げるべきだ、と。

 しかし、そう言いながら彼にも分かっていた……少なくとも、誰か一人は犠牲になる可能性が高い、と。


 優奈も、それを察していた。

 だからこそ、恐慌状態から脱すると、全力で魔獣に向かって駆けていった。

 そして矢を放つ呪力も失いかけていたナツミの脇を通り過ぎ、槍のリーチを生かして思い切り魔獣に刃先を突き立てた……つもりだった。

 しかしその魔獣は恐るべき反射速度でそれを躱し、長く鋭い爪が生えた腕を振り上げた。


「優奈、守れっ!」


 タクが必死に叫ぶ。

 丸太のような太い腕が振り下ろされる。

 優奈は反射的に後方に飛び退きながら、間一髪、槍の柄でその攻撃を防いだ。


 しかし柄は腕だけでは支えきれず、彼女の鎧に激しく当たり、その威力により全身が空中に舞い上がり、十メートル以上吹き飛んで地面に落ちた。

 それでも魔獣の攻撃の威力は吸収仕切れず、彼女の体は地面を滑り、平坦な地の端まで達し、急斜面を転がり落ちた。


 斜めに生える立木や、飛び出した岩肌に体を打ち付けながら、彼女の体はなおも転げ落ちる。

 全身鎧により防御されているとはいえ、少しずつダメージが蓄積する。

 タクはその様子を、どうすることもできずに彼女の名前を呼びながら、ただ後を追うことしかできなかった。

 百メートル以上転げ落ち、ようやく沢の側で彼女の転落は止まった。

 タクがすぐさま彼女のステータスを確認する。


-----

名前:優奈

年齢:十六歳

職業:精霊巫女

契約精霊:タク

状態:気絶 (戦闘形態)

生命力:18 / 330

呪力: 342 / 750

戦闘力:60 + 180

呪術攻撃力:80

防御力:105

素早さ:108

装備:狼牙剣 (長刀形状)、狼牙鎧

備考:

攻撃呪術 狼牙剣の形状変化、呪力付与、斬撃波、刺突閃

回復呪術 止血、鎮痛、生命力回復 (LV1)、解毒 (LV1)

特殊能力 威圧  

-----  


 残り生命力、わずか18。

 それでも、呪力がまだ半分以上残っているから、治癒魔法である程度生命力を回復させることができるのだが、状態が「気絶」となっている。


 もちろん、仲間は側にいない。

 これでは、一つ星の低ランク魔獣に少し襲われただけで生命力が尽きてしまう。

 タクが必死に「目を覚ませ、優奈!」

 と叫び続ける。


 幸いにも、急斜面を転がり落ちたことで、魔獣「アカメハイイログマ」からは逃れることができたのだ。

 後に残された仲間達のことは心配だが、それを気にしている余裕がない。


「う……んっ……」


 タクの呼びかけに、目を閉じたままの優奈が少し反応した。

 彼はほっとため息をついたのだが、直後、情報からバキバキ、メキメキという不気味な音を聞いて、ぞっとした。

 その目に映ったのは、急斜面に生える木々をなぎ倒しながら降りてくる、四つ星ランクの魔獣「アカメハイイログマ」だった。

 そのステータスの備考を思い出す。


「一度目を付けた獲物は、気が済むまでずっと追い続ける」


 最悪の魔獣は、自分に直接攻撃を仕掛けようとしてきた優奈を獲物と決めてしまっていたのだ。


「優奈、早く目を覚ませ! 殺されるぞっ!」


 だが、彼女は少し呻くだけで、目を覚ます気配がない。

 もうすぐそこまで、魔獣が迫っていた。


 ――タクが彼女と契約を結んで、まだ三日と経っていない。

 それでも、どれだけ充実した、中身の濃い時間を過ごしたことか。


 期限ギリギリに、契約が成立して、彼女は精霊巫女となった。

 そのことを、涙を流して喜んだ。


 抱きしめられて、一緒に眠った。

 ペアを組んで、仲間の少女達との模擬戦に挑み、勝利した。

 最初照れながらも、リンに促され、一緒に風呂に入った。

 その夜も、抱きしめられて一緒に眠った。


 最高に可愛く、自分を慕ってくれ、優しい性格の美少女。

 それでいて誰よりも勇気を持ち合わせ、仲間思いの、自慢の契約巫女だ。


 その優奈が、今、殺されようとしている。

 まだ、十六歳になったばかりの彼女。

 両親を失いながらも、精霊巫女として生きていく決意をしたばかりの彼女が、こんなにあっさりと殺されてしまう。


 まだやりたいこともいっぱいあっただろうに。

 恋愛すらも知らぬまま、ここでその生涯を終えてしまうのか……。


 この世界に来たときに、タクは説明を受けていた。


「精霊は、基本的に『不老不死』」

「通常、精霊は『魔物』や『妖魔』と直接戦うことはできない」


 「通常」や、「基本的に」、など、知ったことか。

 もしこの世界に神がいるなら、不老不死などどうでも良いから、「例外的に」俺に力を与えろっ!


 ――その少女は、全身に激痛を覚えながら、目を覚ました。

 おぼろげな意識の中、その瞳に映ったのは、幻想的で、非現実的な光景だった。


 大きな熊の魔獣と、それ以上に巨大な、銀色の美しい毛並みを持つ狼が激しく争っていた。

 銀狼ぎんろうは、常に優奈を守るように、かばうようにして戦っている。

 そしてその銀狼が大熊の喉笛をかみ切り、決着が付いたことを見届けると、彼女の意識は再び遠のいた。


 その際、一言だけ、念話を送った。

 タク様、また私を救ってくださいましたね……ありがとうございます……大好きです――。

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