02

 コトノハは少しずつ、目を覚ました。


 真っ白な花々が辺りに咲き溢れていて、それらに囲まれるように置かれている天蓋付きのベッドに、彼女は横たわっていた。ゆっくりと上体を起こして、眠たげに目を擦った。上品でいて甘い香りを、コトノハは深く吸い込んだ。


 ベッドから身体を離して、花が植えられていない細い道を進んでゆく。空を見上げると、静謐な青色がどこまでも広がっていて、大きな雲が寂然とした様子で旅を続けていた。綺麗ですね、とコトノハは口にした。


 一つの扉に持っていた鍵を差し込んで、丁寧に開く。辺りを小さな川に囲まれた、六角形の形をした広場が姿を現した。部屋の中央部には、既にソウヨウの姿があった。夜空を想起させるような黒い髪と、流れたての血を掬い上げたような赤色の瞳。彼もコトノハに気付いたようで、軽く手を振ってみせた。


「おはよう、コトノハ」

「おはようございます、ソウヨウ」


 コトノハは扉を閉めながら、品のある黒いテーブルへと近付いた。温かそうな紅茶、苺とマーマレードのジャムのガラス瓶、綺麗な焼き目の付いたトースト、色とりどりのサラダ、ふんわりとしたスクランブルエッグ――そんな美味しそうな朝食が、二人分並べられていた。コトノハは椅子を引いて、長髪を一纏めにする。ソウヨウが少し遅れて、コトノハの目の前に着席した。


「「いただきます」」


 二人の声が重なった。コトノハは苺のジャムを、ソウヨウはマーマレードのジャムを手に取って、スプーンを使ってそれぞれのトーストに塗り始める。赤と橙。川のせせらぎが、優しく響いている。


「そういえば、コトノハ」

「…………? どうかしましたか、ソウヨウ?」


 首を傾げたコトノハに、ソウヨウはトーストを齧りながら、心配そうな眼差しを向けた。


「最近、眠りが浅いのか? 目の下にくまができているよ」

「……ほんとうですか?」


 コトノハは軽く、目の辺りを擦った。ソウヨウの言葉通り、彼女の目の下には影のようなくまが浮かんでいた。ソウヨウはふと、コトノハの首から下げられているネックレスに目を留めて、口元をほのかに歪めた。


「もしかしてまた、あの場所に行っているのか?」


 あの場所。その言葉が示す意図を、コトノハはすぐに理解することができた。彼女は少しの間逡巡してから、やがてゆっくりと頷いた。ソウヨウは眉根を寄せながら、コトノハと目を合わせた。


「やめた方がいいよ。眠っているときくらい全てを忘れて、穏やかに過ごすことを勧める」

「……そう言われましても、ね。夢のような不確かな場所を旅するより、わたしはこうやって夜の時間を過ごしたいのですよ」

「けれど、おれは君のことが心配だよ。君は全てを抱え込もうとする癖があるから」


 コトノハは俯いて、自分が手に持っているトーストと視線を合わせた。赤色のジャムを見ていると、飛び降りて死んでしまったあの人間の姿が、鮮血が、確かに思い出されて、微かに気分が悪くなった。考えることをやめるかのように、それを一口、齧った。


「そもそもわたしは貴方と違って、抱え込まなければいけない立場なのですよ」

「それでも」

「ああもう、やめてください。貴方は心配性すぎます。わたしは別に、殺されませんよ。……それと同時に、救うこともできないのですけれど」


 そう口にしながら、コトノハは自身の無力さを痛感して、鬱屈とした気分になった。食べかけのトーストを皿に置いて、フォークを持った。サラダを刺した。刺して、刺して、刺した。ゆっくりと口に運ぶと、微かな塩味のきいたドレッシングが絡んでいるのがわかった。


 ソウヨウはもう何も言わずに、コトノハの姿を見ていた。

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