言の葉、双葉、悠久の庭園
汐海有真(白木犀)
01
コトノハは世界を歩いていた。それは果てのない回廊のようで、見渡す限り澄んだ黒色で、その上に幾つもの青白い光が浮かび上がっていた。コトノハの真っ直ぐな髪は無垢を想わせる白色で、背中を覆い隠すほどに伸ばされていた。虹彩までもがほの白く、瞳孔だけは闇を溶かしたように真っ黒だった。
彼女の首には、一つのネックレスが付けられていた。小さなハーバリウムのような、透明な入れ物に花々が入れられた飾りが、銀色の紐によってつり下げられていた。遠くの光を反射して、きらきらと虹色に輝いている。
やがてコトノハは、一つの光に辿り着いた。ふうと息をついてから、白く細く長い指を、その光へと伸ばした。彼女の身体は少しずつ光に潜って、液体が揺れるときのような穏やかな音を紡ぎながら、段々と隠されていった。
――こんなことするなんて、人間として終わってるよね。
――ファンだったのに、裏切られた気分です。
――屑すぎて笑った、こんな奴が人気だったとかまじ糞だろ。
――最低すぎる、もう二度と顔も見たくない。
――というかこんなのに騙される側も、正直アホだと思うんだが。
――希望だらけの未来が急に絶望に変わったのって、どんな気分ですか?
――今日も人の不幸で飯が美味いな。
――なんでこいつが生きてるん、生きてる価値なくね?
――早く死ねばいいのにね。
――そうだね、死ねばいいのにね。
――死ねばいい。
――死んじゃえよ。
――消えろ。
――死ね……
――死ね。
――殺す。
――殺す。
――殺してやるよ。
――死ね。
――死ね……!
――死ね!
幾つもの言葉が流れ星のように、コトノハの視界を横切っていく。ぐずぐずの赤黒い言葉たち。コトノハは目を細めながら、息を吐いた。
沢山の人々が、淡い姿になって笑っていた。スマートフォンを持ちながら、パソコンに向かいながら、無表情なのだけれどその目には確かな愉悦が滲んでいて、楽しそうに、悪意を閉じ込めた文字を打っていた。
「殺戮ですね」
コトノハはそう、ささやいた。
「でも貴方たちは、それが殺戮だということに気付いていないのでしょう?」
ささやいた。
「殺戮を行っているということに、気付いていないのでしょう?」
ほほえんだ。
その柔らかな微笑みには、悲哀の色が濃く浮かんでいた。それでいて、少しばかりの嘲りが同居していた。コトノハは立ち止まって、視界の先に見える一人の人間を眺めた。
ぼさぼさの髪を風に揺られながら、明かりのついたスマートフォンを持って、背の高いビルの屋上のへりに立っていた。大きく息を吸って、歩き出すように身を投げた。ぐしゃりと、鈍い音がした。身体がひしゃげて、血液と臓物と脳漿を撒き散らして、動かなくなった。画面の割れたスマートフォンは、体液を浴びて湿った。
コトノハは同情の滲んだ瞳にその人間を映しながら、ゆっくりと振り返って、ほらね、殺戮となるでしょう? と口にした。また流れ星のように、言葉が生まれてゆく。
――誹謗中傷してた奴、ほんと屑だな。
――あの人は悪いことをしたとは思うけど、あそこまで叩くべきじゃなかったよね。
――これから訴えられるんじゃね、ざまあ。
――人を過剰に叩く奴って、マジでキモいよね。
――本当に最低だと思います。
――よかったね、人生終わりじゃん。
――皆、いなくなればいいのに。
――色々言ってた奴ら、どう考えても生きてる価値ないよ。
――人殺しだよ。
――そうだよ、人殺し……
――人殺し。
――人殺し……!
――お前らが代わりに死ねばよかったのに。
――死ねよ。
――死ねよ……
――死ねよ!
――死ね!
――死んじまえ!
コトノハは寂しそうに、濁った青色の言葉たちを見ていた。
「愚かですね、ほんとうに」
コトノハはそう、つぶやいた。
「一番学ばなくてはいけないことを、何も学べていないではありませんか」
つぶやいた。
「そんなにも、殺戮が愛おしくて堪らないのですか?」
あざわらった。
彼女はさらりと髪をなびかせながら、光の壁にそっと手を触れて、ゆっくりと外へ出た。そろそろ起きることにしようと思った。この場所に長く留まっていると、コトノハは心の奥深い部分で苛立ってしまって、しょうがなかったから。
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