第3話

福山美咲——アラサーの既婚者。今年の春、二人目の出産を控えている。

今日は訳あって、十年ぶりにあの家を訪れる。


「とうちゃーく……」


今日は成人の日。あの子が立派な大人として認められる日。

何気にこの日をずっと楽しみにしていた自分。真智香ちゃんの晴れ姿を一目見たいと夫に子供を託し、片道三時間かけてここにたどり着いた。


「家は特に変わってなさそう」


あの時、連絡先を交換するのをすっかり忘れていた。

家は引っ越してなさそうだが、真智香ちゃんの所在は分からない。成人式があるとはいえ、地元に帰って来てない可能性がある。そもそもちゃんと生きているかどうかも怪しい——いや、絶対、あの子は生きてるはず。十年前、私より先に死ぬなと約束したんだから。

彼女の家の前で、ソワソワ。インターフォンを押そうか、押さないか考え中。さっきから手を伸ばしたり、引っ込めたりを忙しく繰り返す。


「せ、先生のこと、覚えてるかな……」


今更ながら、そんな不安が脳裏をよぎる。こんな所で出待ちしていても、あの子がもし先生の事を忘れていたとしたら——私は世話になった恩師ではなく、ただの不審者となる。


「ん?」


家の前で挙動不審になっていると、背後から女性の声が聞えてきた。恐る恐る、声がした後ろを振り返ると、綺麗な振袖を着た女の子達が数人、並んで歩いていた。どうやら、こちらに向かってきている様子。

あたしは彼女達の姿を捉えた瞬間、物陰に隠れた。理由は自分でも分からない。


「そんなとこで何してるんです? 先生」


今更、隠れても無駄だった。誰かにトントンと背中を叩かれる。

私は肩をビクつかせ、勢いよく後ろを振り返った。


「お久しぶりです。本当に来てくれたんですね」


そう言ってニコリと可愛らしく笑うお姉さん。花柄の振袖を風に靡かせ、甘い香りを漂わせる。


「どうしたんですか、そんなボーっとして。 もしかして私のこと、お忘れですか?」

「ええっと……」

「木嶋真智香ですよ」

「ええっ⁉」


言われてみれば、笑った顔つきや透き通った声質に昔の面影がある。だが、その面影をかき消すように大人特有の落ち着いた雰囲気を放っていていて別人のようだ。

予想以上の成長ぶりに私は目を瞠り、思わず尻餅をついてしまった。


「ほんとに真智香ちゃん? ウソ言ってない?」

「いきなり失礼な。私は正真正銘、木嶋真智香です——ていうか、先生こそ本物ですか? あの時より結構老けたような……」

「うるさい‼ 年増を揶揄うんではありません‼」

「アハハッ。ごめん、ごめん。今のは冗談だって」

「もぉ~」


十年ぶりの再開だというのに、こんな風に軽口を叩ける。

あの子で間違いない。


「ただいま、真智香ちゃん。約束通り会いに来たよ」

「おかえりなさい、先生。この日をずっと待っていました」


感情が昂った私はここでハグしようと両手を広げるが、彼女は完全無視。心底嬉しそうな顔で家の玄関を開けに行く。


「取り敢えず、私の部屋に上がって」


■■■


たかが十年、されど十年——。

あの時あったピンクのランドセルは何処へやら。

以前は小学生っぽいメルヘンな感じのお部屋だったのが、今ではシックでオシャレなお部屋に大変身。ただ模様替えしただけ当時と同じ場所のはずなのに馴染みがない。勉強机やタンスの上には友達と撮ったであろう写真がズラリと並ぶ。


「あれからちゃんとお友達、できたんだ」

「うん。中・高時代の友達と大学の友達——あと、つい最近付き合い始めた彼氏も」

「ええっ⁉ おめでとう‼」


写真には沢山の友達に囲まれて満面の笑みを浮かべる真智香ちゃんの姿。私と初めて対面したときの暗い表情とは全然違う。全身から多幸感が溢れ出ていた。


「あとあと、これもつい最近の話なんだけど、私の描いた漫画が少女漫画雑誌に連載されることが決まりました‼」

「うわっ⁉ ほんとに? 凄い凄い‼」

「しかも編集者の人から単行本化も夢じゃないって褒められた‼」

「やっば……先生嬉しすぎて涙出そう」

「もう出てんじゃん」


緩み切った涙腺ではどうしようもない。目尻いっぱいに涙を溜め、無様にすすり泣き。

真智香ちゃんは優しくハンカチを手渡してくれた。


「今の自分がいるのは全部、先生のおかげだよ」

「先生は何もしてないよ。ただ自分のワガママな感情を押し付けただけだから」


真智香ちゃんが死んだら、家族はどうであれ私(先生)が悲しむ——決して彼女のために自殺を止めたわけじゃない。あれは私のため。私がこの子に死んで欲しくなかったから。私が悲しみたくなかったから。

もし相手が彼女じゃなければ、きっと自殺を止めることはできなかった。学校の教師らしく偽善の言葉を並べるだけ並べて、最期は自己責任。あとの事は教育委員会や他の先生に丸投げしてただろう。

故に私のような自分勝手な先生が感謝されるのは間違っている。我ながら複雑だ。


「そのワガママな感情が却って私を楽にしてくれたんだよ」

「え?」


私が暗い顔で俯いていると真智香は朗らかに笑い、私の両手を握る。


「先生の無責任で、純粋で、情熱的な愛が私にとって特別に思えた——先生としての愛じゃない。本気の愛が」


彼女の言葉に何も言い返せない。

喉にせり上がった思いが爆発し、みっともなく嗚咽混じりに泣きじゃくる。


「あっ、そうだ。早く先生にアレ渡さないと」


真智香は何か思い出したようで、私の元を離れる。学習机の引き出しをガサゴソと漁り、一枚の画用紙を引っ張り出してきた。


「確か、今日までだったよね?」

「そうだったね。まさか、ちゃんと覚えていたとは」


当然、その画用紙は十年前に私が渡したもの。半分冗談のつもりで出した宿題だ。


「この十年で一番の思い出。ここに描いてきました。ぜひ、見てください」


真智香どこか畏まった表情で私に画用紙を渡してきた。


「これって……」


正面から見た構図。漫画のようにポップに描かれた一人の女性が真剣な表情で机に向かって鉛筆を走られている。

私はその女性に既視感を覚えた。


「もしかして、この女の人って先生?」

「そう。十年前、自由帳に下手くそな絵を描き始めたあの時の先生を当時の私の目線から描いてみた」

「どうして……?」


この十年間。色んな人と出会い、別れ。楽しかったこと、嬉しかったこと、悲しかったこと、怒ったこと——様々な出来事があったはず。なのに、その中の一番の思い出が私と出会った最初の日だなんて信じられない。

私は彼女の中で一番に選ばれた歓喜と一抹の不安を同時に抱く。


「私の人生が180度変わった瞬間——“原点”だから……」


真智香はそう呟いて、私の体を強く抱き締める。


「こうやって私が無事に、幸せに成人を迎えれたのは他の誰でもない。先生のおかげだから」

「——」

「これからどんな人生を歩もうと原点は変わらない。先生はずっと私の中の一番だよ」


私も彼女の体を強く抱き締め、涙で振袖を濡らす。


「「——」」


部屋がやけに静まり返り、時計の秒針だけが淡々と刻まれていく。

窓から差し込む夕陽が部屋を照らし、二人を暖かく讃えてくれた。


「成人おめでとう。真智香ちゃん」

「ありがとうございます。美咲先生」







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10年後の宿題 石油王 @ryohei0801

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