第2話

私が不登校になったきっかけ——それは人と馴染めなかったから。


昔から絵を描くのが好きだった。

学校の休み時間は堂々と画用紙を広げ、授業の時間はこっそり自由帳を開く毎日。他人の目を気にせず、ひたすら自分がやりたいことをやり続けた。でも、そんな私を理解できなかった者がほとんどだった。

ある日、やっとの思いで描き上げた傑作をクラスメイトに破り捨てられた。彼らからすれば遊び半分でやった行為。友達が作った雪だるまを壊す程度のもの。だけど、その時の私にとっては人生を壊されたのと同然。刹那的だが、家族を殺されたような嫌悪と悲しみに襲われた。

激情に駆られた私は彼らに心にもない罵声を浴びせ、暴力に走る。相手の子が怪我したことによって後に大問題となった。当然、私は皆から除け者扱い。不登校となった日には存在すら消されてしまった——。


■■■


「それはちょうど一年前。不登校になった直後に書いたヤツだよ」


先生は再度、『いしょ』と書かれた紙切れに視線を落とす。


「大人の人って死ぬ時、そういうのを残すんでしょ?」

「——」


先生は何も答えない。ただ紙切れを見詰め続ける。出だしの『いしょ』という文字と最後に添えられた『バイバイ』という文字を。


「どうして、こんなものを書いたの?」


先生はゆっくり顔を上げ、伏し目がちに正座する私に問い掛ける。


「私が居ても居なくても何も変わらない。なんなら、私が居ない方が良かったかもしれない。だって私が居なければ誰かが怪我をすることもなかったわけだし、パパとママが悲しむこともなかった。

「——」

「私が生きてたら、みんなが不幸になる。それが嫌で嫌で仕方ない。もうウンザリなの」

「——」

「これ以上、悩んで苦しみたくない……早く楽になりたいの‼」


窓から差し込む夕陽で先生の顔が見えない。先生が今、どんな表情をしているのか気になる。

ひょっとして私に同情して悲しんでいるだろうか、それとも命を粗末にするなと怒っているだろうか。

死んだらもっと親が悲しむだとか、このまま生きていれば明るい未来が待っているだとか——そんな綺麗事は聞きたくない。荒み切った私の心は月並みの言葉では浄化されない。

私は大人しく先生の言葉を待つ。


「——今でも死にたいと思ってる?」

「うん」

「先生がここに居ても、その気持ちは変わらない?」

「うっ……。それは……」


先生の問い掛けに肯定しかけたが途中で思いとどまる。


「貴方が死んだら両親がどれだけ悲しむか先生には分からない。このまま生きていれば、貴方がいずれ幸せを掴めるかどうかも先生には分からない。

そんな無責任な人だから言えること。先生は……いや、私はまだ死んで欲しくない!!」


先生は紙切れを粉々に破り始める。ゴミと化した紙切れは宙を舞い、ひらひらと私の手元に落ちていった。


「真智香ちゃんが死んだら私が悲しい。真智香ちゃんが死ぬなんて考えたら、怖くて夜が眠れない。きっと頭がおかしくなっちゃう」


窓から差し込む夕陽が薄くなってきた。涙と鼻水で濡らした先生の顔が鮮明に映り出される。


「だから、これは教師としてのお願いじゃない。私個人からの一生のお願い――何があっても絶対死なないで。少なくとも私より先に」


先生は私の両肩を持ち、必死に訴えかける。たった一か月やそこらの関係性でここまでの熱量は発揮できない。

浄化された心の中で様々な感情が入り混じり、私も先生に釣られるようにむせび泣いてしまう。


「ゴメン。自分の私情を挟むなんて教師として失格だよね」

「ううん、そんなことない。先生は本当に先生だよ」


太陽が完全に沈むまで二人は抱き合い、泣き続けた。


きっと、絶対、何年経っても、今日の日を忘れない——。


■■■


「——真智香ちゃんには特別にある宿題を出したいと思います‼」


翌日。先生はそう言って、カバンの中から大きくて真っ白な画用紙を取り出す。

私を目を丸くして、キョトンと小首を傾げた。


「宿題したくない。面倒くさい」

「ほら、そう言わずに受け取って。真智香ちゃんが大好きな絵を描く宿題だから」


たとえ絵が好きでも宿題と言われると義務感が生まれ、一気にやる気が削がれる。

私は両手を上げて明確に拒絶するが、それでも強引に画用紙を渡された。


「この画用紙はなに? もしかして秋の写生会に出すヤツ?」

「ちがうちがう。これはあくまで先生の“個人的な”宿題」


私は眉をひそめ、表情に無理解を募らせる。真っ白な画用紙を一点に見詰めたまま静止した。


「これから先、大人になるまでの十年間。一番印象に残った思い出をその画用紙に描いてもらいます」

「はい……?」


先生はどこか嬉し気に宿題の内容を発表する。一方、私はそこまで乗り気ではなく、視線が下に向く。


「これって図工の成績に入る?」

「ううん。全く入らない」

「宿題は誰が見んの?」

「福山先生」

「じゃあ、やんない」

「なんで⁉」


誰かに決められて描く絵は苦手だ。自分が描きたいように描くのが私の流儀。なんの成績も入らないのに、出されたお題の通りに絵を描くメリットがない。たとえ先生の頼みとはいえ、首を縦に振るのは難しい。


「一生のお願いだからマジで描いて‼」

「一生のお願いって昨日も言ってなかった?」

「それは多分、空耳」

「おい!」


先生は顔の前で手を合わせ、必死に懇願する。根負けした私は渋々、小さく首を縦に振った。


「どんな絵を描いてもいいわけ?」

「友達と遊んだ絵でも、たまたま道端で発見した四つ葉のクローバーの絵でも全然オーケー」

「水彩画とか油絵とか変な縛りもなしってわけね」

「うんうん!」


どういう意図で先生がこの宿題を出したのか分からない。もしかしたら、一時の気まぐれで適当に出した宿題かもしれない。でも、先生のやけに真剣な表情が妙に引っかかった。


「ちなみに締め切りはいつ?」

「う~んと……十年後の成人の日までかな」

「えっ、なっが。そんなの絶対忘れてるじゃん」

「若い頃の十年って意外とあっという間よ~。決して侮ってはいけない」


先生は自分の口元に指を当て、片目ウィンク。

まだ二十代前半の新米教師が小学生の女の子に時の流れの速さについて教える。


「十年後。また、この家に来て宿題を取りに来ます。それまでに必ず完成させてね――」


■■■


小5の春――。

急遽、福山先生の異動が決まった。

他の先生から聞いた話だが、こことは別の地方の学校で担任を持つことになったらしい。所謂、昇進だ。

あまりに急遽だったため、最後のお別れの挨拶はちゃんと出来なかった。でも、後悔はない。

先生と過ごしたこの半年間、本当に楽しんだ。もう充分過ぎるほどに――。










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