10年後の宿題

石油王

第1話

木嶋真智香(きじままちか)。小学四年生の女の子。

まともに学校に行ったのは小二まで。ここ二年はずっと学校に行けていない。

今日はうちのクラスの副担任が家にやって来た。ちなみにこれは家庭訪問ではない。不登校の私を学校に行かせようと急かすために“渋々”来たのだ。

下の階でお母さんと副担任が軽く世間話。その間、私は無心に絵を描き続ける。


「真智香ちゃん、お部屋に入ってもいい?」


副担任が上の階まで上がってきた。部屋の扉を優しくノックし、私の返答を待つ。


「——はい、どうぞ」


全身ジャージで首からホイッスルをぶら下げている。肩口まで伸ばした黒髪を一つに纏め、若そうなのに化粧っ気が無い。

どうやら副担任は女の体育教師のようだ。


「お邪魔します」


副担任はご丁寧にと小さくお辞儀。気を遣ってか、なるべく音を立てないよう忍び足で部屋に入ってきた。


「今日はいつもの担任じゃないの?」

「担任の先生はね今、仕事が忙しくて手が離せないんだ」

「あっそ」


部屋の端っこで所在なさげに棒立ちする副担任を一瞥。再び、絵の方に視線を落とす。


「もしかして、担任の先生の方が良かった?」

「いや、別に」


誰が来ようと私の素っ気ない態度は変わらない。だが、副担任の方が喋りやすく感じが良さそう。

担任は常に胡散臭い笑顔を浮かべ、仕事の一環として私と接している様子だった。それが気持ち悪くて、話すのが嫌になる。


「先生、そこに座ったら」

「そこって……?」

「そこはそこ」


私は正面を指差し、ボロボロになった座布団に座るよう促す。副担任はぎこちなく私が指定した場所に腰を下ろす。


「絵が上手だね」

「うん」

「しかも、作画が少女漫画っぽい」

「うん」

「ひょっとして、将来は漫画家になりたいとか?」

「うん」


副担任は興味津々といった感じで手元にある絵を食い入るように見る。少し緊張を覚えた私は手元がブレて、持っていた筆ペンを床に落とした。


「あっ、ゴメン。邪魔しちゃった?」

「ううん、大丈夫。邪魔じゃない」


口ではそう言うが本音としてはなるべく話しかけないで欲しくない。

私は鬱陶しそうに一瞬、顔をしかめる。副担任はその一瞬を見逃さず、バツが悪そうに薄ら笑みを浮かべた。


「先生も一緒に絵描いていいかな?」

「えっ?」

「真智香ちゃんの絵見てたら、急に創作意欲が湧いてきた‼」


副担任は少し変わった人だ。諦めて学校に帰ると思いきや、絵を描きたいと言い始めた。私は不審げに使い古された鉛筆と自由帳を彼女に手渡す。


「描くものって、これしかないけどいい?」

「うんうん。てか、自由帳なんて懐かしいな~」


鉛筆と自由帳を受け取った副担任はど心なしか嬉しそう。さながら親からおもちゃを渡された子供のように目を輝かせ、声を弾ませる。


「先生ね、昔から絵が描くのがとっても好きで、学校の休み時間はいつも自由帳を開てたの」

「そ、そうなんだ……」


ウキウキで自由帳を開き、筆を走らせる。見てくれはしっかり先生なのに、年甲斐もなく自分の世界にのめり込む。

そんな無邪気な姿を見た私は戸惑いを隠し切れない。筆を静かに置き、副担任の手元を呆然と見詰める。

不覚にも彼女に見惚れてしまったのだ。


「ちなみに先生はどんな絵、描いてたの?」

「ポケモンとかキティちゃんみたいな可愛いキャラクター。あとはたまに迷路とかも描いてたよ」

「フフッ。なんか、子どもみたい」

「そりゃあ、小学校の話だもん。真智香ちゃんもちょっと前まではそんな感じだったでしょ?」

「——ええっと、まあ」


話が少し盛り上がってきた。

副担任は屈託のない笑顔をこちらに向ける。緊張が解けた私は表情筋が緩んでしまう。

張り詰めていた空気はいつの間にか弛緩し、両者ともに穏やかな雰囲気を漂わせる。


「——よし、完成‼」


真っ白だった一ページがあっという間に黒い線で埋められた。副担任は誇らしげに自由帳を掲げ、全身で喜びを表現する。


「おっと、早く先生の絵が見たいって顔をしてるね~」

「えっ、いや、別にそんな事思ってない!」

「あらあら、分かりやすく照れちゃって~。ホント素直だな~」


副担任の顔をジッと見詰めていたら、あらぬ誤解を生んでしまった。

私は顔から耳まで真っ赤にして、不自然に目を泳がせる。なんとか誤魔化そうと両手で顔を覆い隠すが、無駄な足搔きだった。正面を向くと副担任のニマニマ顔が映る。


「真智香ちゃんって、こうやって間近で見ると年相応に幼くて、可愛いげあるよねー」

「なに、急に?」

「職員室で先生達があの子は暴力的で問題児だってワーワー文句言ってたけど、実際会ってみたらただのおませちゃんだった。なんかウケる」

「お、おませちゃん⁉」


副担任のニマニマは止まらず、私の頬を突き始める。なんだかバカにされている気分だ。でも、不思議と不快感は覚えない。むしろ、嬉しくなる。ほんと不思議だ。


「ほら、早く自由帳こっちによこして」

「こらこら、乱暴はいけませんよ」

「うっさい‼」


照れ隠しで彼女から自由帳を取り上げる。決して中の絵が気になって仕方がなかったわけではない。単に副担任の顔が癇に障っただけ。


「これは……」


自由帳を開いた瞬間、言葉を失う。彼女が描いた絵から目が離せない。


「どう? 先生の絵は上手?」

「いや、これは上手とか下手とかそういう問題じゃなくて……なんの絵ですか?」


最初から期待はしてなかった。しかし、ここまでだとは思わなかった。

目に飛び込んできたのはフニャフニャの線で描かれた得体の知れない“何か”。薄っすら顔の輪郭らしきものが見えるため恐らく人間か動物のどちらか。なんの生物かまでは判別できない。


「正面から見た真智香ちゃん。見て分かんない?」

「——ああ」


言われてみればそう見えなくもない。口元や目元、鼻の部分が人間らしく私っぽい。それでも細かく部位ごとに見たら、やっと分かる程度。全体で見たら、化け物同然だ。

私は思わずクスッと笑みを零す。


「ああ‼ 笑わないでって言ったのに~」

「ゴメン。流石に下手過ぎて……おもしろい」


我慢しようとしたがダメだった。一度笑い出すと止まらない。

こんなに笑ったのはいつぶりだろうか。少なくとも生まれてこの方、ポジティブな感情で目尻に涙を浮かべたことはない。

副担任は眉をひそめ、怒った表情を作るが内心喜んでいるだろう。


「先生」

「なーに?」

「またウチに来てくれる?」

「うん。真智香ちゃんがいいなら」


散々笑った後、私は彼女の絵がまた見たいと望んでしまった。また会いたいと願ってしまった。

副担任は元気よく頷き、また明日この家に来てくれることを約束してくれた——。


■■■


先生と出会ってひと月が経過。あれからずっと担任ではなく副担任の福山美咲(ふくやまみさき)先生が家に来てくれるようになった。

時間帯はだいたい放課後の夕暮れ時。最近、学校の仕事より私と遊ぶ方を優先してるせいで校長先生に怒られているとか。

先生と家でやることは勿論、絵描き。一つの机に先生と向き合って楽しくワイワイと作品を作っていく。先生は相変わらず、絵が下手くそで救いようがない。私が必死に絵の描き方を教えてあげても一向に上達しない。先生は自分は絶望的に絵心がないんだと卑屈になって落ち込んでいたが、ここ数日は絵が下手くそなところも才能の内だと開き直り始めた。

先生は常にポジティブ思考で明るい性格の持ち主。マイナスな発言はほとんどしない。しかも自分の考えを押し付けるようなことはせず、基本的に私の考えを尊重してくれる人格者。

職業柄かたまに教育熱心な一面も垣間見せ、学校で習った勉強範囲を懇切丁寧に教えてくれたりもする。


「真智香ちゃん。私と毎日会ってて飽きない?」

「はぁ? 飽きるわけないじゃん。だって私たちは先生と生徒の関係じゃなくて、気軽にどんなことでも話せる友達同士みたいな関係なんだし」

「あはは……。それは私個人としては嬉しいけど先生の立場として考えたら複雑だなー」


いつも通り拙い絵を描いている最中。先生は引き攣った笑顔で後頭部をかく。


「そう云えば、あの引き出しに挟まってる紙はなに?」


先生は徐に立ち上がり、窓際にある学習机の方に歩いて向かう。


「ちょっ、先生待って……‼」


私は咄嗟に止めようとするが間に合わず。暫く封印されていた学習机の引き出しを開けてしまう。


「——えっ?」


引き出しを開けると同時に、溢れ出る紙切れの数々。先生は床に落ちた紙切れを一枚一枚拾い上げ、中身を確認する。


「ウソでしょ……」


紙切れの中身を知った直後、分かりやすく表情が曇る。両手を震わせ、静かに奥歯を嚙み締めた。


「真智香ちゃん。これはどういうこと?」


紙切れには大きな字で書かれた『いしょ』という文字。

その下には両親宛てに死のうと決心した経緯が綴られていた。











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