6 ばかな犬だな、飼い主に似たのかな

 寛容なことに、例の地方議員が報告してくるまでに、唐木田は三日の猶予をあたえた。四日めの夜、ついに唐木田のほうから電話をかけた。まったく腹立たしいことだった、上役や権力のある政治家にならともかく、あんな格下の、ろくなコネも権限もない地方議員なんかに待たされるのは。なにかあればすぐ報告しろと(だいじなことだからちゃんと二度くりかえして)命令したんだからなおさらだった。

 地方議員は電話に出なかった。何十回も呼び出し音を聞かされて、唐木田は、あのまぬけはスマートフォンをどこかに置き忘れて後援者との会合にでも出かけたか、スマートフォンは手元にあっても出られない事情があるかのどっちかだと考えた。留守電にもならないのを考えると(どこからどんな用件で電話がかかってくるかわからない地方議員にとって、これはちょっとした失態といえる)、もしかして唐木田と話したくないのかもしれなかった。きっとそうだと唐木田は考えた。どうせじいさんを説得できなかったので、叱責されるのをおそれているのに決まっていた。

 それならこっちにも考えがある。つてはあるのだ、個人的なのも公的なものもいろいろと。

 五分とかけずに地方議員の自宅の固定電話の番号を調べあげて(近ごろの若いやつらとちがい、田舎の小さな町の名士さまだけに、もちろん自宅に固定電話を引いていた)、電話した。思ったとおりだった。地方の名士さまともなるとしっかりしつけているので、呼び出し音を三度も鳴らさせずに相手――奥さまか? いや、声が若いからきっと家政婦だろう――が出た。

 威嚇的にならないように、唐木田は慎重に言葉を選んだ。「先生はご在宅ですか」

 まるで唐木田が、してはいけない不躾な質問をしてしまったみたいに、たぶん家政婦、ひょっとして奥さまは質問に答えようとしなかった。そんなはずがなかった。唐木田にはどんな場合だろうとしたい質問をする権利がある。それに奥さまだろうと家政婦だろうと、主人が在宅かどうか知らないはずがない。これはあやしい。

 受話器の向こうで犬が激しく吠えたてているのがかすかに聞こえた。ばかな犬だな、飼い主に似たのかな、と唐木田は家政婦だか奥さまだかが答えるのを待ちながら考えた。

「もしもし?」

 家政婦じゃなく奥さまだった。唐木田にとってはどっちだろうとたいしたちがいはなかった。犬がしゃくりあげはじめた。

「主人は、辞めました」

「はあ?」

「ですから、」

 聞きわけのない子どもをさとすように(その忍耐も、はやくも限界に近づいているみたいに強めの口調で)、奥さまはつづけた。「主人は辞めたんです。もう政治家じゃないんです。こういう電話も迷惑なんです」

「でも、」

 あっけにとられていたのでこう訊くことしかできなかった。「どうして?」

 知りません、と奥さまは答えた。犬がますます激しく、まるでむせび泣くように声を高めた。わたしにはわかりません、わかっててもお答えできません、ほんとうに迷惑なんです、と奥さまはくりかえした。もうやめてください、もうかかわらないでください、と、まるで唐木田が圧力をかけてでもいるみたいに。

 けっきょくなんの収穫もなかった。電話を切るまぎわ、犬の声が……人間のわめき声っぽく聞こえたのはきっと混線してほかの通話の声が混ざりこんだだけだろう。有線の電話はたまにこうなることがある。

 いいだろう、抜けたいなら抜ければいい、と唐木田は考えた。あいつはこれから手に入るはずの膨大な利権のおこぼれを、自分から放棄したことになる。あのポストをねらっている議員ならほかにいくらでも心あたりがあった。

 それが、いま、まだあれから何日もたたないうちに、唐木田はせめて本人からなにがあったかちょくせつ聞き出すくらいはしておけばよかったと後悔している。犬みたいな声でわめきたてられるだけだったとしても、なにか意味があることを聞き出せたかもしれない。そしたら唐木田ほどの有能なキャリア官僚なら、万全の対策をとってからことにのぞんだはずだった。たとえば武装した数十名の自衛隊員を同行させるとか。JAXAあたりからそういうことに詳しい学者先生を派遣してもらい、正体や弱点を多角的かつ徹底的に調べさせるとか。

 ほんとうにそうだろうか。ほんとうに唐木田はそんなことをしただろうか。常識で考えて。


〈つづく〉

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