肉を切らせて骨を断つ

剣術の世界には自分より強い相手を倒す技がある。それは相打ちだ。自分を捨てて相手を倒す必殺剣で、相手の剣を避けず相手に切り込む技だ。剣道はスポーツなのでそれは相打ちとなりカウントされないが、真剣ならば双方が死ぬことになる。


相打ちに近い際技きわわざもある。それが”肉を切らせて骨を断つ”だ。自分が大怪我をしてでも相手を殺す・・わざと隙を見せてそこを攻撃させて面を割るような技で相手を倒しても時間差でじぶんも失血死する危険性が有る。


剣道の精神はみずからの死をもいとわない武士道の精神に通じる美学がある。勝ち負けには拘らずいつでも負けを認めるいさぎよさが美しいのだ。

自分の負けを認めずグダグダと言い訳を言うような者は剣道の精神からは外れている。もし真剣ならば負けた時には既に死んでいる。まさに死人に口無しなのだ。



   ◇   ◇


東京からマニラまでは5時間ほどで到着する。航空運賃も2万5千ほどなので国内よりも格段に安い。


マリアさんから連絡が入り石原はマニラのホテルに1週間の予約を入れたと言う。

「僕たちも何処か安いゲストハウスに入りましょう。」


「熱いですからエヤコンとWi-Fiは必須ですよね。」

「大丈夫です。安い所を知っていますので。」


「吉田さんはマニラには良く来られるのですか?」

「マニラだけでは無くて・・若い頃は世界を放浪していましたので旅慣れているんですよ。二人部屋でも良いですか?その方が全然安いのですが?」


「ええ、それで良いですよ、お任せします。」



ゲストハウスは簡素な感じでエヤコンもやWi-Fiも完備された清潔感のある部屋だった。離れた位置にベッドが二つあり私たちはそれぞれのベッドに腰を掛けた。

「後はマリアからの連絡待ちですね・・」


「マリアさんは石原の女を演じてるんですよね・・」


「言いたい事は解ります。マリアはセックスの事は深く考えないタイプですから・・まあ、大丈夫ですよ。仕事ですから・・」


「吉田さんが世界を放浪していたって、いつ頃の話なんですか?」


「最近です。大学を卒業してそのまま日本を出たんですよ。何も知らないままサラリーマンになって、企業の中に埋没する気にはなれなかったんです。その前に世界を見てみたいって思ったんです。バイトで貯めたお金が有ったので、貧乏旅行で60ヵ国ほど回りました。」


「60ヵ国とは凄いですねえ!」


「YouTubeでアカウントを開いて発信をすると、コアなファンが出来ましてね・・お金は寄付するから次はこの国に行ってくれって、そのファンからリクエストが入るようになったんですよ。自分は行けないから私に代わりに行ってくれと言うんです。面白いでしょう。その面白い人が友田さんだったのですよ。」


「え!友田さんとはそういう関係だったの?驚いた。」


「日本に帰って来た時友田さんが空港に迎えに来てくれたんです。何年も世界をぶらついたから、サラリーマンはきついだろうって・・友田さんが僕を引き取ってくれたんです。」


「そうだったのね。じゃあ吉田さんって私より若いの?」


「はい、僕は29才ですから。浜崎さんより3才若いですね。あ、今からご飯食べに行きませんか?」

「そうね、お腹が空いたわね。」



   ◇



「フィリピン料理は日本人には合わないと言うか、正直不味いんですよ。タイ料理の店に行きましょうか。」


私は海外は初めてなので全て吉田さんに任せる事にした。マニラは英語が通用するので吉田さんは英語で対応しているが、時々現地語でも話をする事も有る。

「今の言葉は何語なの?」

「タガログ語です。あ、今のは挨拶ですよ。こんばんわみたいな感じです。」


テーブルには肉入りの焼き飯のような料理と面入りのスープが運ばれてきた。


「ねえ、ビールを飲みたいよね。吉田さんも飲むでしょう?」

「ああ、フィリピンでは食事の時にお酒は飲まないんですよ。後でスーパーで買って宿で飲みましょうよ。それともバーに飲みに行きます?」

「へー、そうなのね・・」


料理は香辛料の効いた焼き飯のようで、肉の出汁がが効いていてとても美味しい。面スープは薄い塩味で、これも香辛料が効いていてピリリと程よく辛い。何故か店のサービスで甘い炭酸ジュースが付いてくる。


「フィリピンは島が集まっていますから、沢山の現地語が有ってお互いに言葉が通じないんです。だから共通語として英語を使っているんですよ。タガログ語が通じない地域も沢山有るんです。」


彼の説明を聞いていると私の思っていた吉田さんとは違った部分が現れて・・私は彼の話に夢中になっている。

吉田さんは頼もしくって素敵だ。こんな人となら世界を貧乏旅行したい・・


「あなたって凄く魅力的・・年下なのに頼もしい感じね。どうなの?マリアさんは彼女なの?」

「どうなんだろうなあ・・僕は放浪をしていましたからね・・人をカテゴリー化するのが苦手なんですよ。自分をカテゴリーに収めるのも無理なんですよね・・」


彼の言う事が解るような気がする。彼だとか彼女だとか夫婦だとか何故決めないといけないのか。好きなら好きでいいじゃあないのか。お互いに縛り合わない方が嘘が無くて良い気がする。犬の様に首輪を付けなくても・・


「ねえ、ビールを買って宿に帰りましょう。何か・・初めてだから疲れちゃった。」

「そうですね、そうしましょう。キンキンに冷やしたビールを買いに行きますか。」




    ◇   ◇



次の日の朝マリアさんから連絡が入った。

「マリアから連絡が入りました。明日、セブ島で誰かに会うらしいんです。セブ島はマニラから飛行機で1時間半です。直ぐに飛行機を予約しますよ。」


私はスマホで地図を開いてセブ島を確認する。フィリピンは大きな島と小さな島の寄せ集めの国で、マニラからセブ島まではかなりの距離がある。


「予約が取れました。今日は一日待ちですね。ぶらぶらと観光をしたり御飯でも食べましょうか?」

「そうね、任せるわ。」


暫く考えてから吉田さんが言った。

「日本食店に行きましょうよ。そこなら食事とお酒は一緒に注文できますから。」

「あ、それが良いわね。」


日本食店は少し高級な雰囲気で従業員も全て日本人のようだ。

「先ずビールを注文しましょうか・・後は随時に注文しましょうよ。」


マニラは暑いせいかビールは日本より冷たく冷やしてあって超絶美味しい。しかも安くて一本100円ほどなのだ。ついついビールを飲んでしまう。


「あのね・・ラム酒のコーラ割がめちゃ旨いですよ。ラム酒はアルコール度数が高いからコーラで薄める感じなんですが、これが合うんですよ。甘いお酒をコーラで割るんだからめちゃ甘いお酒なんですけどね。注文しましょうか?」


ラム酒を良く冷やしたコーラで割ったカクテルは本当に美味しかった。暑い国では冷たいお酒が美味しいのだ。その上お酒は日本の半値以下でお金の心配は要らないのだ。


「あ、何か私・・酔ったみたい。ちょっとふらふらする。ジュースみたいにグイグイ飲んだから。」

「そうですね。宿に帰りましょう。浜崎さんはちょっと飲み過ぎですから。」

店の前で車を拾いゲストハウスに帰ったが、少しお酒が回って足元が怪しい感じがする。吉田君さんが私を支えて部屋に入り私をベッドに横たえる。私は吉田さんの手を取って言う。

「ねえ・・行っちゃあ駄目。そばに居てよ。」

「浜崎さん・・酔ってますよ。ほら・・キスなんかしたら駄目ですって・・」

「お願い・・逃げないで。そばに居て・・」

「浜崎さん・・」


吉田さんがそっと私にキスをしてくれる。

私は彼の背中に手を廻して言う・・

「好きになっちゃった・・」

吉田さんは何も言わずに私の首筋にキスをする・・

・・ここは外国なんだから・・

そんな言い訳が脳裏をよぎる。


  ◇


昨夜はお酒に酔った上にセックスの途中で寝落ちをしてしまった。

吉田君はぐっすり寝ている。

「吉田君、起きて!今日は飛行機にならなきゃあ。」

「は・・早いですね・・」

「早く無いわよ。シャワーでもしたら?」

彼がシャワーをしている間に身支度を整える。


空港まではタクシーで行き飛行機に乗ると後はセブ島まで直行だ。

セブ島は全長が220キロもある大きな島で空港からはタクシーでの移動になる。

タクシー料金は日本の5分の1程度なので気軽に利用できる。


マリアさんから連絡が入る。

・・・テパニー ビーチ リゾートで2泊するそうよ・・・


私達も同じホテルに行き部屋を探す。

幸いコロナのせいで空き室が有ると言う。

「ダブルベッドしか無いそうなんだけど・・」

「良いんじゃあない、それで。」


テパニー ビーチ リゾートは部屋が一棟ずつ独立して建っていて簡素でリーズナブルなホテルだ。


部屋に入るとベッドの上に荷物を広げる。

双眼鏡や望遠付きカメラ、盗聴器など探偵の装備の点検をする。


マリアさんから連絡がくる。

・・・あなたたちが入った部屋は見たよ。私は2つ挟んだ東側だよ・・・


「ねえ・・東って・・あ、あれだよ。」

「よし、これで万全だ。後は誰か尋ねて来るのを待てば良い。」


しかしその日は何事も無くビーチを散歩した泳いだりして終わった。


「ねえ・・吉田君・・」

私が吉田君を誘う・・


「婚約者がいるんでしょう・・」

「ここは外国なんだから・・それにもう抱いたでしょう。」

「僕、記憶が無いんですよね・・」


「わたしも覚えて無い・・」

そう言いながら吉田君にキスをする・・

吉田君が私を押し倒す・・

吉田君の息が熱い・・

南国の夜は熱いのだ・・・


   ◇


次の日の昼頃石原の棟の横でバーベキューが始まった。

参加者は石原とマリアと他に3人の日本人だ。


彼が盗聴器の電源を入れると音声が入ってくる。

「いつ仕掛けたの?」

「マリアに仕掛けさせたんです。」


彼はカーテンの陰からカメラを操作する。


・・・ビットコインの相場が下がっているからな・・・

・・・日本での換金はどうなんよ・・・

・・・大丈夫ですよ、政治団体を通過させてるので・・・

・・・金額が大きいと目を付けられないか?・・・

・・・複数の政治家を抱えているからね・・・

・・・使途不明金って奴だな・・・

・・・連絡はプリペイド携帯以外は使うなよ・・・

・・・まあそれは基本だから・・・


吉田君がカメラもデータをパソコンで開く。

「この男が唐沢と言う奴でリーダー格のようですね。こっちが林で。それとこの男が田村と言う名です。この録音と画像データをコピーして警視庁に持って帰れば奴らの素性が解ると思いますよ。園田以外にもマネーロンダリングしている議員が居そうな話をしていたから・・マリアが聞き出してくれると良いのだけどね。」


「無理をしない方が良いんじゃあ無い?本当にマリアさんが心配だから・・疑われたら消されるよ。」




日本で闇サイトのアルバイトで 強盗を実行する若者・・

海外に居るその元締め・・

更にその上の総元締めまでは捜査の手は及ばない。

このデータを持ち帰って麻薬捜査課に提出しても彼らは外国にいる。不安を感じれば直ぐに姿をくらますますだろう。国家間の捜査協力は法の壁と時間の壁が邪魔をする。議員だけでも逮捕したいが もし関わった議員の全員が与党議員だとしたら政変に繋がるだろう。そうなれば政治的判断が必要になり最後は政府の判断になる。その政府を動かしているのは与党なのだ。そうなれば私達の手からは離れてしまう。


そういう結末に成る位なら 議員から取るだけ取った方が賢明なのかも知れない。

後はルパン友田がどう考えるかだ・・



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る