不審死



その日の夕方 スマホに私の姉から着信が入った。普段姉や母から電話が来ることは無く、あるとすれば親戚の不幸の連絡ぐらいのものだ。


「もしもし・・由美子です。」


「洋子だけど。お父さんが緊急入院したのよ。危ないらしくて身内を呼んだ方が良いって言われて・・医大付属病院だから来てくれる。」


「分かった、すぐ行く!」


私は荒木君に電話をする。

「もしもし私・・ 私の父がが緊急入院したのよ。危篤状態らしいから・・うん・・今駅に居るから、この足で実家に行くわ。」


「まって! 僕が送るから・・駅まで直ぐに行くから。」


「じゃあ駅前のタクシー乗り場付近にいるから、拾ってくれる。」



私の実家は千葉県柏市の農村地帯にあり 都心から電車で1時間ほどの距離だ。

父が入院したのは柏市内にある医科大学付属病院だと言うので 荒木君の車で病院に向かった。


「ねえ、コンビニによってくれる、食べ物とか飲み物を買っておかないと・・食べられなくなりそうだから・・」


「お父さんは どこか悪いところでも有ったの?」


「特に悪いところは無かったと思うんだけどね。母は最近 認知症が始まったんじゃあないかって聞いたけど・・」


「認知症?お母さんはそんな年じゃあ無いだろう?」


「若年性認知症の初期なんだって・・母は偏屈な人だから友達も居ないし、一人でテレビを見ているんだから・・ボケて当たり前だと思うんだけどね・・私はあまり実家には行かないからよく知らないのよ。」


病院に到着するともう薄暗くなった駐車場を抜けて救急外来窓口へ急ぐ。

救急病室の待合に着くと 母の妹に当たる叔母が私を見つけて駆け寄って来る。

「あら、由美子さん・・先ほどだったのよ・・ 5分ぐらい前に亡くなったのよ。」


「そうなんですか・・何が原因だったの?」


「それが分らなくって・・これから警察が来るそうなのよ。調べが済むまで遺体が動かせないって言われたのよね。」


「私、ちょっと主治医に話を聞いてきます・・」

私は主治医の話を聞くために詰め所に行った。主治医はレントゲン写真を示しながら説明する。


「頭蓋底骨折ですね・・耳から髄液漏がありまして、少し出血も見られました。来られた時はまだ意識もありまして 質問にも答えていたんですが しばらくしたら意識の混濁が起きました。血圧が急に低下しましたので薬で血圧を保っていたのですが・・先ほどお亡くなりになりました。」


「警察が来るそうなんですが・・」


「外傷が無いのに脳挫傷を起こしておられるんです。何故そうなったのか、家族の方も分らないようでして・・こういう場合は警察に届ける事になっていますので。」


死因や死亡経緯などに不明な点があり 疑わしい場合は不審死と言う。事件や陰謀などの疑いが持たれる場合を指すことが多い。


暫くすると千葉県警の捜査員が到着した。捜査員は病院と自宅と二手に分かれて、 自宅では母を中心に、病院では姉を中心に話を聞く。二手に分かれ別々に話を聞くことで 双方の話の矛盾点を調べると言う 基本的な操作方法だ。私は都心から今到着したばかりなので捜査の対象にはならないようだ。



警察の捜査によると父は体調が良くないと母に言って 朝から寝ていたようで 母は朝に父を見たきりだと言う。夕方に姉が帰って来て 父が居ないので「お父さんはどうしたの?」と母親に聞くと「気持ちが悪いと言って朝から寝取るよ。」という。「あさから?何で私に電話をくれないのよ!」と姉が母を叱りつけて・・それから父の寝室に行くと父は意識がもうろうとした状態だったので 救急を呼んだようだ。その時は父は受け答えも出来て 救急車にも自分で歩いて乗ったようだ。


病院に着いてレントゲンなどの検査をしている内に容態が急変したらしい。

父が使っている車も損傷が無く、交通事故では無い。頭や体には外傷がなく喧嘩などのトラブルではなさそうだ。転んだりぶつけたりすれば、外傷が出来るので・・もし転んだのなら 畳のような硬くても体に損傷をあたえない場所で無くてはならない。


警察は父がふだん座る場所や トイレに行く場合の経路に至るまで、巻き尺を使って、テーブルや椅子との距離関係を仔細に記録していく。座っていて倒れた場合なども想定して 捜査員が父の代わりに横になって その距離関係を記録する。


母は調べの最中でも頻繁にトイレに立ち捜査を中断する。「頭がぼ~としてなあ・・」を連発する。さっきまで叔母と何やら盛んに話していたのに・・相手によって話し方が違うのが気になる・・



病院の方の調査は終わったらしく姉が自宅に帰って来た。

「私ら夫婦は仕事で夕方まで居ないから・・二人だけで家に居て何をしていたやら・・夫婦喧嘩でもしたんじゃあ無いの?」

と姉が言う。


「夫婦仲が悪かったんですか?」

と捜査員が聞くと、姉は無関心そうに言う。

「どうですかねえ・・そもそも話をしない夫婦でしたから・・」


警察は父が救急車に乗るまでに接触した人物たちを 徹底して調べたが、事件なり事故なりが 当日の朝起きたのか、あるいは前日に起きたのさえ特定できず・・その事が起きた場所も特定できないまま、結局不審死で終わらざるお得なかった。


私が警視庁職員で有る事は調べで分かっていたらしく 最後に捜査員の一人が私に挨拶に来たので私も挨拶をした。

「どうもありがとうございました。この度はお疲れ様です。」


「いやあ全く、何も分らず困りました。おそらく転んだ拍子にソファーの端とか畳とかに強く当たったのでしょうね。何も解りませんが事件性は無いと思いますので・・」


「そうですか・・分かりました。お疲れ様でした。」

私は口数少なく挨拶をする。こういう時は 刑事ずらをして口を挟まないのが礼儀なのだ。


母が家に居たのにも関わらず 父が何時ごろ家に居たのか それすらも分からないと言う・・この夫婦の全てを証明するような父の最後だった。

父の葬儀も済み それから暫くして、母は何かの拍子に足首を骨折して入院し 病院で骨粗鬆症と診断され・・ 要介護度も2となり・・ 姉は母親を介護施設に入れたのだった。実家は父と母が居なくなり姉とその夫と娘だけになった。



   ◇    ◇




「私の実家なんだけど・・急に色あせた感じがしてね・・好きでは無かったけど・・でも何か寂しい気がしたのよ。」


「好きでも嫌いでも、由美子さんの故郷なのだから・・」


「私にとって実家は悩みの種だったのに、こうあっさり疎遠になってしまうと何かね・・」


「疎遠って・・お姉さんが居るだろう。数少ない親戚なんだから大事にしないとね。」


「そうだね・・・疎遠と言えば最近慎二と飲みに行ってる? 私にはラインも無いんだけど。」


「ああ、彼ね・・話そうと思っていたんだけど、このバタバタで忘れていたよ。」


「慎二に何か有ったの?」


「由美子さんの元彼で直樹って居るだろう。彼が新しい彼女と結婚するそうなんだよ。相手の女性がバイを嫌がってね・・それで直樹君とは絶交したそうなんだ。元々慎二は交友の少ない男だから・・って言うか女だろう・・ そのタイミングで僕たちが婚約をしただろ・・その頃から慎二の様子が変なんだ。メンタルやられていそうで心配してるんだ。」


「可哀そう・・あなたは男同士なんだから元気を付けてやってよ。」

「いや、由美子さんの方が女同士なんだから、僕よりも・・って言うか・・」


知らなかった・・

私たちが婚約で盛り上がっている中で慎二が落ち込んでいたのだなんて・・

「ねえ・・何とか出来ないの?ほおって置けないよ・・私にとって慎二は家族なのよ。大丈夫なの?慎二は自殺したりしないよね。」


「脅かさないでくれよ。僕にとっても慎二は大事な友達なんだ。そうか!・・そうだよ。たぶん慎二は思っているんだよ・・僕たちが結婚したら絶交されるって。」


「待ってよ!慎二はそんな事を考えているの?! 私は絶交なんか絶対しないよ。」


「僕だって同じだよ。僕にとっても慎二は・・・僕は・・」

と荒木君が口ごもる。

見ると荒木君の目から涙が溢れそうになっている。


「どうしたの?荒木君、慎二の事が好きなの?」


「もちろん好きだよ。いや・・そう意味では無くて・・普通に・・」


「どうしたのよ・・泣きそうになってるじゃないの。正直に言いなさいよ。私は大丈夫なんだから。」


「あのね・・そういう意味じゃあ無くってね。僕は慎二の気持ちが分かるんだ。もし僕が慎二なら この状況は耐えられないと思って・・それでちょっと涙が出ちゃって・・」


「あなた達、よくデートしてたものね・・私は気にして無いんだよ、荒木君と慎二が仲良くなっても。」


「いや違うって。そういう雰囲気じゃあ無くて・・本当に飲み友達なんだ。」


そうだろうか・・私には男の友情は分からないけど、この状況で泣くのかなあ・・ でも荒木君の慎二に対する涙は嬉しかった。壊れた家庭で育った私にとって慎二は 私の家族のような存在なのだから・・


「ねえ荒木君・・慎二と3人で暮らすって出来る?」


「この部屋でかあ? 狭すぎるだろう。今でも狭いぐらいなのに・・」


「広さの問題だけ?」


「そうだな・・・もう少し広い部屋に越そうか・・慎二の個室も有った方が良いよな・・」


思いがけない彼の返事に私は彼の目を見た。

「ほんとにうに良いの?」


私も目に涙が溢れて来た。今度は私が泣く番になったのだ。

「ねえ、アナタから慎二に電話をしてくれる。一緒に暮らそうって・・」


分かったよ、あいつが死なない内に電話してやるよと 冗談を言いながら荒木君が慎二に電話をする。

『あ、俺だけど。 慎二さあ俺たちと一緒に住まないか? いや、ここは狭いから広い部屋に越そうかと思って。いや・・慎二がしたいように・・強要じゃあ無いから・・いやいや全然・・由美子さんは喜んでるよ・・彼女とは話がついているんだ。後はお前次第なんだけどね・・うん・うん・・じゃあ直ぐに来いよ。」


「乗り気だったよ。戸惑ってはいたけどね・・」


・・良かった・・本当に良かった・・

私たちのせいで慎二が駄目になったら私が耐えられない・・





その日の夜にアパートのチャイムが鳴った。私がドアを開けると手に買い物袋を下げた慎二が立っていた。

「待ってたのよ。早く入って・・」


「本当に良いの・・お邪魔虫じゃあ無いのかなあ・・」

と照れたように慎二が言う。


「私たち二人では寂しくってね・・慎二が一緒に暮らしてくれるなら・・なんていうのかなあ・・家族になろうよ、ね!」

私はそう言いながら荒木君を見る。


「そうだな・・家族だ。まあ法的な家族じゃあ無いけどね・・ いや、待てよ・・慎二、お前、僕と兄弟にならないか?それなら家族だろ。」

と荒木君。


「兄弟って?」


「俺の親の養子になるんだよ。これなら法的に家族だよ。それが良いよ・・」

と荒木君。


「そんな事あなたの両親が許さないわよ。」

と私が言うと。


「いやいやそうでも無い・・由美子さんと慎二が良いのなら、その線で話を進めるけど・・どうする?」

と私たちを見る。


すると慎二が言った。

「荒木君のお父さんは私の事を女だと思ってるんだよ・・そこが問題になるよ。それに養子だと相続権が私にも出来るでしょう。そこも問題だよね。」


それに答えて荒木君が言う。

「大丈夫、我が家ではそんな事は問題にならないよ。嫌なら相続を拒否すれば良いじゃあないか。」


私はあまりにも早い展開に頭がついて行かない。




それから1か月後私たちは寝室の2つある広いアパートで暮らしていた。私は妹が出来た気分で毎日が楽しい。慎二は控えめな性格なので私たちの邪魔になるような事も無い。世間的には慎二は荒木君の妹という事にしているが、いずれ法的にもそうなるのだ。妹か弟かの違いは有るのだが・・


養子の件は意外にも荒木君の両親は簡単に受け入れてくれた。慎二が男である事を話したときはさすがに驚いていたが、それでも快く養子にしてくれたのだ。

そんな事が本当に有るのだろうか・・不思議に思った私は 慎二の件に付いて お母さんに率直に聞いてみた。


「そうね、世間じゃあこういう事はあまり無いのかもね。私の所は雅博のしたいようにすると決めているの。子供は1人だしね、私達両親にとって、一番良くない事は雅博と私達の関係が壊れる事なのよ。慎二さんが男か女かなんてどうでもよい事なの。でも私としては娘の方が良いかな・・」といってお母さんは笑った。



私は慎二の孤独を知っている・・

彼は世間からも家族からも疎まれて生きて来た。陽気にしていても彼の生きていけるスペースはとても狭いのだ。だから彼はわざとらしく陽気に振る舞い周りに気を使う・・しかし彼の立ち位置は狭くて・・すぐに崩れるほど不安定なのだ。

・・その事を荒木君は理解しているのだ・・


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