接近禁止命令
「人は現実を美化するんだよね。有ることを無いことにして、無い事を有ることにして、そうやって自分を美化して誤魔化して生きている。
だから真実が見えなくなるんよ。
愛って何? 私は愛なんて信じられないのよ。相手にすがりつき相手の自由を縛っているように思える。
相手を支配する事が愛だと思っているのよ。その証拠に相手が逃げると誰でも怒るでしょう、自分の思い通りにならないと憎むんだよ・・
・・でも本当に相手を愛してるなら許せるはずでしょう? 相手を自由にして解き放せるはずだよ。愛してるなら相手の幸せを望むはずでしょう?
溺れる者は藁をも掴むと言うよね。
弱い奴ほど愛にしがみつく・・
自分が浮かぶために相手を沈めるんだよね‥ そう思わない?」
「そうかもね・・ 所詮愛は自己愛の投影に過ぎないから・・ 由美子どうしたの? 他に好きな男が出来たの?」
「違うよ。そういう意味で言ったんじゃあ無いから・・」
「俺はさあ・・ 由美子を縛る気はないからな。他に男が出来たとしても・・ ほとぼりが醒めたら由美子は必ず俺のどころへ帰って来る・・ それまで待つから。」
「だから、そういう意味で言ったんじゃあ無いから・・ でも直樹が言ったのは当たりだね。私は直樹の所に帰って来る。」
「で・・その男って誰?」
「だから、男は居ないって!」
いつもの事だ。私の説明不足で話が変な方向に行ってしまう。私の話は今担当しているストーカー事案の話しで、直樹と私の事ではないのだ。
◇ ◇
三沢彩(みさわあや)22才には出会系サイトで出会った岩本雄二26才の彼氏がいた。彼はIT関連の会社で仕事をしているエンジニアで、実直な感じの男だった。
しかし彼女はふとした事で彼の身元に不審感を持った。そこで強く問いただすと、彼はITエンジニアでは無く高校も中退していた。彼が話していた過去は全てデタラメだったのだ。
彩は嘘まみれの彼に腹を立て別れを決断し、彼もしぶしぶ同意をしたのだ。それは交際を始めて7ヶ月後の事だった。
それから3か月たった頃、彩に新しい彼氏が出来た。今度の彼は友人の紹介で身元は確かだった。しかし、その頃から元彼からのLINE攻撃が始まったのだ。元彼は彩の新しい交際相手の素行や身元を調べ、交際相手の悪口を書いて、ひんぱんにLINEを送ってくるのだ。彩がいくら断っても次々とLINEがくる。彩が元彼のLINEをブロックすると、今度は高価な贈り物を次々と送ってくるようになった。ひつこい元彼に彩は不安になり警察に相談に来たのだ。
こういう相談を受けた場合警察はストーカー規制法や関係法令を駆使し、その範囲内でストーカー被害を防止する。
しかし男女関係のトラブルは微妙で、どこからがストーカー事案になるのかの判断は難しい。喧嘩の相手を攻撃するために警察を利用する人や、婚約を一方的に破棄するために警察を利用し、相手をストーカーに仕立てる場合もあるからだ。
今回は明らかにストーカー行為が疑われるので、交際相手の男性に電話で任意出頭をしてもらった。そして男性にLINEや贈り物をしないように、新しい交際相手に接近しないように注意を与え警告書を渡した。元彼がこの警告書に従わなければ、次は逮捕、起訴となる。
大抵の場合は警告書を渡した段階で相手が委縮してストーカー行為は無くなるのだが、稀に逮捕まで発展する事があるのだ。その場合でも双方の示談で解決を図り起訴にまで行かないようにする。
結婚生活のトラブルや恋愛のトラブルは日常茶飯事であり、厳格にやりすぎると善良な国民までが犯罪者になりかねないからだ。
しかし稀に異常者によるストーカー殺人が発生する。すると警察の怠慢が問題になるのだが、これは普通のストーカー事案では無く、異常者や社会不適応者の特異な犯罪であり、その異常者を事前に察知する事はとても難しい。
私が彩の元カレ岩本雄二に警告書を渡した後、元彼のストーカー行為は無くなり、三沢彩からのその後の相談も無く、この件は無事に修了した。
◇ ◇
暑い日が続く夏のある日、私は直樹のドラゴン工房へ行くために電車に乗った。私はいつも電車の出口付近に立つ。何故かあの辺りが好きなのだ。
「お久しぶりですね、こんな所でお会いするなんて、」
突然耳元で男の声がした。私は驚いて振り返った。
振り返えると、私の直ぐ目の前に男の顔があった。それはあの彩の元彼だった。
「僕はあれから反省しましてね、大人しくやっているんですよ。彩は自分に都合よく説明をして、嘘をついてまで僕をストーカー仕立てたんです・・警察も公平な目線で話を聞いてもらえば、彩の嘘は見抜けたと思うんですよ。でもまあ、今さら言ってもしょうがないですよね。」
こういう話は警察署で話すべきで、こういう接触は好ましく無いのだ。なるべく目を合わさず無視していると
「でも、浜崎刑事さんてほんとに綺麗でカッコ良いですね。遠くから見てすぐに解りましたよ。警察所内でも人気があるんでしょうね。」
などとぺらぺらと話す。私が困っていると電車が次の駅に止まりドアが開いた。
「あ、僕はここで降りますので。」
そう言って彼はホームへ出た。ドアが閉まり電車が動き出すと私はほっと溜息をついた。こんな所で出会うとは確かに奇遇だ。しかも取調室で無口だった彼があんなにぺらぺらと話しまくるとは・・ しかもあんなに顔を近づけて・・ 面食らっただけではなく、何か気持ち悪さを感じた。
そしてそれからしばらく経ったある日、山手線で次の車両を待っている時だ。突然耳許で声がした。
「また会いましたね!」
振り向くと体が触れるほど近くに男が居た。私は反射的に一歩後ろに下がった。
「奇遇ですねえ。浜崎さんは相変わらずお綺麗ですね。」
これはあり得ない。東京は広く人も多い。地方の田舎町ならいざ知らず東京でこんなに度々偶然はあり得ないのだ。私は後ろに下がりながら言った。
「あなた私を付けていませんか?それは犯罪ですよ。」
と私が厳しく睨みつけると
「とんでも無いですよ!ただの偶然ですって。」
そう言って彩の元彼はそそくさと雑踏に消えたのだった。
嫌な気がした。真後ろに立つなんて、なんて嫌な奴なんだ。今度は私にストーカーをしてるの?何で私なの?? ・・
彼を恐れる必要はない。私は警視庁の職員に採用されて以来、剣道と逮捕術を励んでいる。勤務時間中は拳銃も所持しているのだ。たとえ拳銃が無くても本気を出したらあの男に負ける気はしない、さして気にする必要も無いだろうと、その時は思った。
◇ ◇
秋になり大きな事件も無く、日々の雑多な仕事に忙殺されていたある日の事、直樹からLINEが入った。
《由美子の友達が工房の見学に来たよ。失礼の無いように対応したけど、事前に言ってくれたら良かったのに。》
・・待ってよ・・
・・私の友人に直樹の事を話したことは無い・・
・・誰も直樹のドラゴン工房は知らないはずだ・・
嫌な予感がした。
《誰? 何て名前?》
⇒《岩本って名乗ってたよ。友人だって。》
《岩本!? そいつは私の友人じゃあ無いよ!》
⇒《知らない?でも由美子の事をよく知ってたよ。警察で一緒だって言ってた。》
《岩本なんて同僚には居ないよ。気を付けて!その男はストーカーだよ!》
・・岩本雄二なら彩の元彼だ・・
胸騒ぎがして、私は仕事を中断して電車に乗り彼の元へ急いだ。岩本がなぜドラゴン工房を知っているのか。きっと私を尾行しているのだ。私の周辺を調べている。何故?いったい岩本は何をしようというのか。
私なら男に対応できる、しかし直樹や慎二が襲われたらと思うと気が気では無かった。突然刃物で襲われたら素人では対応できないからだ。
工房に着くと私は直樹にスマホの写真を見せながら聞いた。
「この男だった?」
「そう、こいつだ。何、この男?」
「私が担当したストーカー事案の男・・」
「ストーカーを止められて警察を逆恨みか? こんな奴 逮捕すればいいじゃん!」
「逮捕理由が無いよ。私を尾行してる証拠があれば捜査妨害になるんだけどね。ともかく直樹も注意してね。この男は尾行していろいろ嗅ぎ廻るタイプのストーカーだから。」
「もしかして僕らと慎二の関係も嗅ぎ廻るっているのかなあ。」
「あり得るよね・・ 岩本の写真を伸二にも送って注意しとかなきゃあ。」
直樹と慎二と私の関係を知られると困る。私達の関係は違法では無いが、警察の職場に暴露されるのはまずい。
私が慎二に岩本の写真を送ると直ぐに返信が来た。
《この人知っているよ。うちの店によく来るお客さんだよ。》
私はぞっとした。岩本は既に慎二に接近していたのだ。
慎二は中性的な容姿を活かして、オカマバーでアルバイトをしているのだが、岩本は店の常連の客だと言うのだ。
この半年間、岩本はまるで探偵のように私の周りを探っていたのだ。何が目的なのだろうか。
◇ ◇
ある日、警察の私宛に封書が届いた。私は封を開け中身を取り出した。中には便箋と数枚の写真が入っていた。写真を見るなり私は慌てて写真を封筒の中に戻した。
私の写真だった。直樹と慎二に抱かれる私の写真だったのだ。以前寝室でふざけて撮った写真だ。
。。。。
私は浜崎刑事の素敵な写真を持っています。大丈夫です、秘密は守ります。でも私を逮捕したら浜崎刑事は終わりますよ。
。。。。
どうしてあの写真が? だれが?
直樹が写真を外に出すはずはない。慎二なのか?いやそれもあり得無い。
私はドラゴン工房に来るように直樹と慎二に集合を掛けた。
「これはどういう事なの?!どうしてこの写真が岩本の手に渡ったの?!」
「俺じゃあないよ!慎二お前か?」
「僕じゃあ無い!絶対違うよ!」
「この写真は何処に有るの?」
私が苛立って聞くと、
「このパソコンに入っているけど、ホルダにパスが掛かっているから。俺以外は開けられないよ。」と直樹が答えた。
「カメラのデータは消したの?」
「消したと思うけどな。」
そう言いながら直樹は棚に置いてあるカメラを手に取った。
「あれ!SDカード無い。入ってた筈なんだけど。」
なんというずさんな管理だ。
「岩本が工房を見学したときSDカード抜かれて無い?」
私がそう聞くと、慎二が言った。
「それ以外考えようが無いよね。だとしたらマズイよ、あの時の動画も入っている。」
「動画も!? マズ過ぎるよ、それが公表されたら私は警察を辞めさせられる。」
ああ、もう駄目だ。私はパニック状態になって頭を抱え込んだ。直樹が私の肩を抱いて私を支えながら言った。
「辞めさせる気なら由美子じゃあ無く所長に送りつけるんじゃあ無いか?」
すると慎二が言った。
「心配しないで・・ 由美子さんは僕が守るから・・ お金で済むかも知れないし。店に来たら僕が交渉するから。」
岩本は私をじわじわと追い詰めて楽しんでいる。動画をNetに上げられたら私はおしまいだ。こちらからは何も出来ない。ただ岩本からの接触を待つだけなのだ。
私は岩本からの連絡を待ったが、それ以来岩本からの連絡は無く、慎二の店にも現れなかった。
暫らくして岩本から連絡が来ない原因が解った。新宿でベトナム人の喧嘩騒ぎがあり居合わせた岩本が巻き込まれて刺され、救急車で運ばれたが病院で死亡したのだ。
この事件は、私には幸運だったが、疑問が残った。ベトナム人は逃走し、誰も捕まって無い。岩本は死亡し全ては闇の中だ。
不法入国のベトナム人マフィアは僅かなお金で殺しを請け負う。だれかが岩本を殺らせた可能性もあるのだ。
もしそうなら容疑者は四人居る。岩本は彩の交際相手の身辺を探っていた。彼にも人に知られたくない秘密はあるはずだ。 直樹は今回の件では責任を感じている、私を守りたいはずだ。 慎二は顔に似合わず切れやすい、私の為ならやりかねない。 そして4人目の容疑者は、この私だ・・・
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