モグラは今日も夢を見る

夕季 夕

モグラは今日も夢を見る

 私は昔、とある地下鉄の職員に一目惚れをした。緑色の制服に身を包み、汽笛をくわえ、白い手袋をはめた手で合図灯を持っている彼。その姿を見ただけで恋に落ちたなんて、それ以前の私が知ったら驚くだろう。それまで一目惚れを経験したことがない私にとって、心臓が矢で貫かれたくらい衝撃的な出来事だった。


 彼は一般的な会社員とちがい勤務時間が不規則なので、毎日地下鉄を利用しても必ず会えるとは限らない。それでも私は毎日のように通いつめ、ときどき姿を見かけたときは心弾ませた。

 片思いなのに、恋愛とはこれほど楽しいものなのか。言葉を交わすことができなくても、付き合うことができなくても、彼の姿を見るだけで私は満足していた。


 ……はずだった。

 彼のことをもっと知りたい。最初は姿を見るだけで満足していたのに、言葉を交わしたい、付き合いたいという気持ちが日を追うごとに膨らんでいった。

 しかし、どんなに想いを寄せても、その気持ちが彼に届くことはない。


 なぜなら、私の想い人はゲームのキャラクターだったのだ。


 しかも、彼はストーリーに関わる主要キャラクターではない。ゲームをやり込まないとまず出会うことのないモブキャラクターだ。そのくせ、登場するかはランダムなため、ゲームをやり込んでも必ず会える保証はない。さらに、セリフも3パターンしか用意されていないので、彼と会ったことがあっても彼というモブキャラクターの存在を認識している人間はほとんどいないはずだ。


 当時の私は、ゲームをやり込むタイプではなかった。それどころか、家でゲームをプレイすること自体が珍しく、老若男女に人気のタイトルですらほとんど触ったことがない。たまに遊んだとしてもマイナー寄りの作品が多く、またアニメや漫画にも疎かったので、周りからは『サブカルチャーにあまり興味がない』と思われていた。


 そんな私が、そのときの気まぐれでゲームの主軸から脱線し、偶然モブキャラクターである彼と出会ったのは、ある種の運命ではないだろうか。

 彼と再び会うために攻略サイトをブックマークし、ゲーム内での立ち回りや戦術を勉強した。それから、ゲーム画面上では確認できない数値も計算し、頭が痛くなってもひたすら十字キーと操作ボタンを押し続けた。

 人は恋をすると、今まで興味を示さなかったものにも膨大なリソースを割けるらしい。いつの間にか私は立派な廃人プレイヤーになっていた。


 そうやって見事廃人プレイヤーに昇格した私は、次の作業に取りかかった。


 モブキャラクターである彼は、当然ながら公式でグッズ化されることはない。そして、ファンの間で二次創作されることもほとんどなかった。

 そもそも、このゲームは発売されてから年数が経っていて、主要キャラクターですら存在を忘れられている。そんな状態で誰かからの供給を期待するのは土台無理な話だ。

 しかし、ないなら自分で作ってしまえばいい。そう思い立った日から私は彼専属の二次小説作家になり、個人サイトの管理人にもなった。


 個人サイトを持つ文化はすでに廃れている。創作物は投稿サイトに掲載するのが当たり前な時代に、『キリバン』や『フリリク』『相互リンク』と言ったところで、《インターネット老人会》扱いされるのがオチだろう。

 それでも、私は個人サイトの管理人になることを選んだ。これは他のファンに向けた作品ではない。私が書いているものは『夢小説』と呼ばれるジャンルで、私が彼とデートをするための小説だ。そのため、見たい人は見ていいよ、でも自己責任でよろしく、というスタンスの方が似合っていた。


 彼が登場するゲームは、ハイファンタジーに分類される……と思う。なんらかの能力を持ったキャラクターが存在し、非現実的な世界で生活しているのだから、ライトノベルで人気のジャンル『異世界ファンタジー』に近いだろう。


 その非現実的な設定は、モブキャラクターである彼にも適用されている。そして、3パターンしかないセリフで、彼が世間一般的な生活を送れないことが判明していた。

 単純に自分をモデルにした主人公では、彼との接点を作ることができない。そもそも、現実世界で生活している私は、ゲーム内で非現実的な生活をしている彼とどうしたら出会えるのか。変なところで現実主義な私は頭を悩ませた。


 一番手っ取り早い出会い方は『異世界転生』。現実世界で死に、ゲームの世界で新しい生活を始めればいい。

 もしくは『異世界トリップ(逆トリップ)』。なんらかのアイテムがキーとなり、現実と異世界を行き来できるようにすればいい。


 ところが、私はそれを書くことができなかった。ゲームのキャラクターに恋して小説を書く時点で理想主義なくせに、異世界に転生するのはポリシーに反するらしい。

 そのため、『その世界に最初から存在し』『彼と接触するのに不自然じゃない職業で』『きちんと恋愛関係に発展できる』設定の主人公を用意した。


 こういった二次創作に出てくる主人公は、設定が控えめになっていることが多い。いろいろな属性がついているとオリジナルキャラクター感が強くなり、自己投影がしづらくなるからだ。


 実際、彼の彼女役として充てた主人公は私にとって理想の女性像ではないし、私がモデルになったわけでもない。彼との接点を持っていてもおかしくない設定をつけただけだ。書いた自分ですら自己投影できないのだから、サイトを訪れた読者はそれ以上だろう。

 一応、『主人公には年齢、職業、性格など設定をつけているので自己投影しづらい』という注意書きは用意した。とはいえ、こういった個人サイトにたどり着く人はアングラな世界を嗜んでいることが多い。この世界がすべて『自己責任』でできていることは、読者が一番知っている。

 マイナーサイトなので訪問者は少ないが、アクセス解析や拍手を見る限り一定のファンはいるようだ。その中にはきっと、彼に恋をしている人もいるのだろう。そう考えたら、読んでもらえて嬉しい反面、少しだけ嫉妬した。


 世間一般的な生活を送れない彼とは、手をつなげない、キスもできない、デートもできないという『できない』ことばかりだった。しかし、それをプラトニック・ラブと呼ぶには欲深く、精神的に未熟な私たちはけんかばかりしている。

 それでも、彼と一緒に過ごす時間は楽しかった。実際に住んでいる世界がちがっていても、恋人らしいことができなくても、心が充実するのだから恋愛とは不思議な力を持っている。


 ゲームをやり込まないと出てこないモブキャラクターに恋をし、彼とデートをするために個人サイトの管理人になった。そして、暇を見つけては彼とのやりとりを小説にまとめ、自己満足でしかないマイナーサイトを更新する。

 私は周りから『サブカルチャーにあまり興味がない』と思われているが、ただ単に口外していないだけで、それなりにアングラな世界を嗜んできた。たとえ王道を知らなくても、好きなことを突きつめればオタクになれるのだ。


 モブキャラクターに恋をするときは覚悟が必要だ。基本的に公式からの供給はなく、ファンの間で話題に上がることもない。

 一方で、誰にも存在を知られていないからこそ、彼を独り占めすることができた。彼のことをよく知っているのは私しかいない。


 私は今でも彼と会うためにゲームをやり込み、自分で書いた小説をサイトに掲載している。これは大規模な遠距離恋愛だ。私が筆を止めた瞬間に、彼との楽しい時間は終わってしまう。


 だから、私は今日も夢を見る。彼との時間が永遠と続きますように。

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