4話-8『天宮寺』

「――――」


 ツムギから放たれた言葉をコトネは、そして誰よりもアリナが理解できなかった。


 まるで舐めかけの飴玉を飲み込んでしまったかのように、言葉の意味が喉奥で突っかえている。


『ワタシのお兄ちゃんはね――病弱なの』


 ゆっくりと時間を掛けて咀嚼し、飲み込み、消化して……アリナはようやく言葉の意味を把握する。


(ユウトは、そもそも”神童”じゃなかった?)


 卓越した戦闘能力を持ち、常に冷静で俯瞰的に物事を見ることができ、”Fランク”の精霊と契約しながら”白亜の騎士”に勝利した――あの黒井クロイ悠隼ユウトが?


(信じ、られない)


 同時に、何処か納得している自分もいることをアリナは感じていた。


 確かに彼の実力は才能の一言で終わるものではない。その戦闘能力は毎日のように血と汗に塗れながら剣を振るってきた故だろうし、その冷静沈着さもあらゆる経験をしてきた結果で……いわば、努力の結晶だ。


 そう、彼の強さは全て、なのだと。


「…………」


 叩きつけられた言葉を確かめるように、そっと痛みに耐えるように、アリナはユウトへと視線を向ける。私服で包まれている彼の体は、確かに長年鍛錬を続けているにも関わらず細く見えた。


「ほ、本当なんですか? ユウト先輩」

「……あぁ」


 コトネの震えた問いかけに、ユウトは小さく頷く。本人からも肯定され、アリナたちは絶句を隠せない。


 静まり返る空間。耳鳴りさえ聞こえてきそうな欠片の音さえしない場所で、ふと別の声が聞こえた。


「ツムギちゃん、それはあんまりじゃない?」


 足音を響かせながら、闇夜の中から長身の人影が1つ現れる。いつもの軟派な笑みが、困ったように眉尻が下がっていて若干ながら非難を帯びていた。


「リョウヤ先輩っ」


 瞬間、ツムギが語尾に音符を出しそうな飛び跳ね方で人影の――リョウヤの名前を呼ぶ。


 先ほどとは真逆の、嬉しさと喜びが溢れ出るような声色。それを聞いて、アリナとコトネは目の前の少女が同一人物か本当に悩んでしまった。


「久しぶり、ツムギちゃん」

「お久しぶりですっ」


 今までの嫌悪感丸出しの表情は何処へやらといった様子で、ニコニコと笑みを浮かべながらツムギは駆け寄っていく。そのままリョウヤの直ぐ側に着くと、両手を胸の前で握り目を潤ませながら上目遣いで見上げた。


 完璧なぶりっ子ポーズである。


「も~、リョウヤ先輩っ。どうして光来学園底辺校なんかに入学しちゃったんですか? ワタシ寂しいですっ」

「ははっ、そりゃごめん」


 軽く笑って流すリョウヤだったが、少し離れたところに居るコトネが耳へ届いた単語に思わず顔をしかめた。


「底辺校……?」

「あらあら可哀想に。知らないんですか? 光来学園の実績を」


 一瞬で嬉々とした表情を打ち消したツムギは、コトネへと憐憫の眼差しを向ける。あまりに冷めた対応を直接目の当たりにして肩をビクつかせるコトネに、リョウヤはすぐさまフォローを入れた。


「全国大会で優勝経験なし、だろ? そっちの天宮アマノミヤ学園は全国4校の中でも1番優勝回数が多いもんな」

「はいっ。だからリョウヤ先輩と一緒のチームで参加して、優勝したかったのに……」


 そして、彼女の視線はもっとも離れている位置に立つ少年――ユウトへ向く。改めて向けられるその目は、他の誰よりも冷徹で、他の誰よりも負の感情で満ち溢れていた。


「こんな才能の欠片もない、家名の面汚しと一緒の学園に行くなんて」

「言い過ぎだぜ、ツムギちゃん。アイツは確かに幼い頃は病弱だったけど、今は克服してる。ちゃんと戦えるよ」


 <魔術戦争マギ>は病弱が行えるほど体に優しい競技ではない。下手をしなくても怪我を負う可能性が高く、万が一の場合は死亡してしまうこともある。


 まず体に何かしら問題がある場合は、”契約の儀”の前に行われる試験で落とされるため、現在のユウトは健康体そのものだ。


「えぇえぇ、知っています。必死に、それはもう滑稽なほどに頑張っていましたから」


 彼女のユウトと同じ黒い瞳が、流れるように1人の少女へと動く。


「”転入生”さんは知っていますか? 魔術師ウィザードにとって最も必要とされる力とは何か」

「ぇ……?」


 不意に振られた問いかけを前に、コトネは自身の記憶を引っ張り出した。


 精霊と契約することで様々な恩恵を得られる中で、最も重要視される力。それは、


「し、身体強化ですか?」

「正解です」


 コトネの答えを聞いて満足そうに頷いたツムギは、そのまま言葉を続ける。


「なら、なぜ身体強化が重要視されるのでしょうか? それは、精霊の発現する魔法が危険だからです。発現した魔法を制御しきれなければ、待っているのは魔法の消滅か暴発。暴発した場合、一番危険なのは最も近くにいる使用者自身です。

 だから、魔術師ウィザードを志す人々は例外なく体を鍛えるところから始まる訳ですね」


 魔力が及ぼす身体強化は倍率だ。精霊のランクによっては倍率に差が出てしまうとは言え、素の体を鍛えれば効果は確実に高まっていく。


「ですが”爆死”は違った。だった彼は、どれほど体を追い込んでも強くなれなかったのです。

 運動すればすぐ床に伏せ、少し走るだけで喘息発作で倒れる。それでも、家族の期待へ応えるために彼はたくさん努力を重ねました」


 そうして語られるのは、天宮寺テングウジ悠隼ユウトが”神童”と呼ばれるまでの話。幼いユウトが辿ってきた、地獄そのものだ。


「病弱体質を治すために食事管理を徹底され、小さな肺を鍛えるために極限まで走り込まされ――」

「――結局、どれほど努力しても人並みに運動できる程度が限界だったよ。だから、俺は肉体を強くすることを諦めた」


 全てを他者に語らせまいと、ユウトが口を挟む。ムッとツムギが睨みつけるのを感じたが、それを無視して語り続けた。


「資本である体が出来なかったから、誰も魔術をマトモに教えてくれず……俺が最後に求めたものが、剣術だった」

「――――」


 ユウトの過去を聞いて、アリナはスッと納得が落ちてきたのを感じる。思い返してみれば、彼の剣術は最初から


(”Fランク”の精霊と……私と契約したのは1年ほど前なのに)


 自身が”爆死”したのだと気づいてから努力しただけでは、これほどの剣術は身につかない。最初から彼は分かっていたのだ――自分には、これしかないのだと。


「そう、最初から心の何処かで分かっていたんだ。俺は”爆死”するんだろうって」


 ”契約の儀”にて契約できる精霊の強さは、召喚するまでは分からない。だからこそ人生ガチャと比喩られるが、それでも逆説的に確定している事実があった。


 高ランクの……”Aランク”や”Sランク”と契約した魔術師ウィザードは、漏れなく歴史に名を残す。ある人は無敗を誇る魔術師として、ある人は魔術学者として、道標を建ててきた。


 強い魔術師ウィザードとなれる者は、それ相応の資格をもつ人間のみ。――ハナから未熟児で病弱であるユウトに、その資格はなかった。


「だからせめて、強く在ろうとした。体を鍛えられないなら、魔術を教われないなら、せめて技術だけは誰にも負けないように。そうすれば”爆死”しないかもって……俺は、”天才”なのかもって……そう、思おうとした」

「――――」


 全てをわかった上で努力していたのだと、ユウトは告白する。諦められなかったから。せめて伸ばせる部分を誰よりも伸ばして、届かない場所へ手を届かせようとした。


「結局、全てが無駄。お前は為す術なく”爆死”し、魔術師ウィザードとしての人生に終わりを迎えました。……なのに何故、今も魔術師ウィザードとして立っているんですか?」


 だからこそ、ツムギは最初の問いを繰り返す。


 どれほど周囲から”神童”と呼ばれるほどに強くなったとしても、根本にある才能だけは変わらない。結局のところ、ユウトという少年は人生ガチャに”爆死”した事実は変わらないのだ。


「”爆死”。お前はまだ夢を、を追いかけるのですか。その資格は、最初から無いというのに」

「……わかってるよ」


 突き刺さるツムギの言葉を自覚しながら、ユウトは自らを嘲笑あざけわらう。


「俺はアイツの前に立てない。世界の端で頂点を見上げるだけの、凡人以下。……この世界のモブだろうさ」


 魔術師この世界にとって精霊の強さが全てだ。例えどれほど努力しようと、戦略を練ろうと、魔術師ウィザード同士の格差は埋まらない。


「それでも、俺は……」


 ユウトの血を吐くような独白に、アリナは声を失ったように口を開閉させる。何を言えば良いか、何を思えば良いかわからない。


 でも、何をすれば良いのか。それだけはわかったから。


「ユウト」

「……?」


 短く自らの契約相手の名を呼んで、彼の目の前まで近寄る。漆黒の瞳が、様々な感情の間で揺れ動いていた。


 それが酷く、幼子のように思えて。


「失礼します」


 高く、高くその音は鳴り響いた。


「――――ぇ」

「――――」


 赤く腫れた頬に手を当て呆然とするユウトへ、アリナは無機質な声に感情を込めて問いかける。


は、もう出たのですか。――私のことは、嫌いなままですか」


 ユウトとアリナの、始まりを。


『だから、力を貸してほしい。俺が魔術師ウィザードになれるのか、なれないのか。ハッキリさせるために』

精霊キミを好きになれるのか、嫌いのままなのかを知るために』


「ッ!」


 体中が熱くなるのをユウトは感じた。その理由は分かりきっている。――この熱は、恥だ。


 自分の精霊を自分の癇癪で封印し、自分の我儘で封印を解き、あまつさえ自分の弱さで不安にさせた、愚かしい自分に対しての恥。


(俺は、いったい何を迷っている)


 心から後悔する。


 最初から分かりきっていたことじゃないか。才能がないことも、この世界のモブだということも。


 ――だけど、諦められずにここまで足掻いてきたんじゃないか。


『約束しよう、ユウト。世界の頂の上で、キミと戦うことを』


 全てはその約束を果たすために。


 あらゆる才能を持ち、あらゆる人から称賛され、あらゆる運命に導かれたあの男の前へ立つために。


(証明するんだ)


 どれほど才能が邪魔しようとも。どれほど周りから馬鹿にされようとも。どれほど運命が阻もうとも。


 『人生ガチャで”爆死”してしまった』としても――”天才”の前では、全てが無意味だということを。


 彼女アリナのことを、好きになれるということを。


「まだ、答えは出てないみたいだ」


 だから今は、こう答える。真っ直ぐ顔を彼女へと……共に歩むパートナーへと向けて、伝えた。


「まだ、諦めきれないよ」

「……えぇ、そのようですね」


 得心がいったと頷くアリナに微笑んで、ユウトはツムギに相対する。1つ深呼吸をして、グッと髪を掻き上げた。


 瞬間、気持ちが切り替わる。


 これは儀式だ。頭を打って年相応に大人しくなった自分自身を奮い立たせるための、運命に抗うための儀式。


 傲慢で、強欲で、自信家な――もう1つのユウトが現れる。


「ツムギ。お前は俺にこう問うたな? 『お前はまだ夢を、を追いかけるのですか』と」

「えぇ。ワタシは何度でも言いましょう。――お前にはその資格がない」


 名前で呼ばれたことに不機嫌さを隠そうともせず、ツムギは正論を叩きつけた。どう足掻いても、ユウトの夢はかなわないのだと。


「何故なら、お前はワタシに勝てないからです。同じ天宮寺として生き、類稀な才能”Sランク”を持つワタシには」

「――――」


 ツムギの宣言に、傍から見ていたリョウヤは一瞬だけ目を見開いて……スッと細めた。


(そうか。ツムギちゃんが日本で3人目の”Sランク”なんだな)


 ”Sランク”。それは世界で十数人しか居ない、選ばれた者の証だ。


 契約した者は必ず歴史に名を残すほどの強さを持ち、政治家たちから裏で”核兵器”と謳われる――神に等しい存在である。


「ハ、ハハハッ!」

「…………っ」


 だから、唐突に笑い出し始めたユウトを見てこの場の誰もが……ツムギでさえも困惑を抱いた。


「そうか。お前は”Sランク”と契約できたのか。それはさぞあの男どもも喜んだことだろう」

「えぇ、”爆死”した恥さらしとは違って」

「――で? だから俺はお前に勝てないと?」


 ユウトの浮かべていた笑みが掻き消える。代わりに放たれたのは、視線だけで人を射殺せそうな鋭い眼光だ。


 離れたところで見つめていたはずのコトネは、自身の掌がじっとりと汗をかいていることに気がつく。殺意にも等しいその眼差しは、とても血の繋がった相手へ向けるものとへ思えない。


「当然でしょう。”爆死”如きでは、天地が返ろうともワタシに勝つことはありません。あんな精霊の力を1割も引き出せていない、腑抜けの騎士と一緒だと思わないことです」

「良いだろう」


 ユウトは一歩前に出ると、手にしていた模造武装の切っ先をツムギへ向けた。


「勘当された身とはいえ、兄としての努めだ。お前の伸び切った鼻をへし折ってやる。そして証明してやろう。どれほど才能があろうとも、”天才”には勝てぬとな」


 それに返答するように、ツムギも模造武装の剣先をユウトへ向ける。


「ならばワタシはお前の人生にトドメを刺してあげましょう。そして証明してあげます。どれほど努力しても、才能には勝てないのだと」


 互いに為された宣戦布告をして、ユウトは模造武装を放り投げた。弧を描いて飛んできた片手剣を、ツムギは難なくもう片手でキャッチする。


「次会うときは、全国大会だ。待っていろ、ツムギ」

「えぇ。待っていますよ――お兄ちゃん」


 最後にそれだけを残して、ツムギは背を向けて去っていく。ユウトは、その姿が暗闇に消えるまでずっと彼女を見続けていた。

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