4話-6『天宮寺』

 騒々しい。


 それが、コトネが暗闇の中で最初に思ったことだった。


(ここ、は……)


 霧がかった思考の中に浸かりながら、ゆっくりと目を開ける。ボヤケた視界一面に広がるのは、コンクリートの地面だった。どうりで体がガチガチな訳だと、奇妙な納得感が落ちる。


 なぜ地面の上で横たわっているのだろうと考えながら、強張った体を解すためにコトネは身じろぎをしようとして……気づく。


(動か、ない?)


 両手両足が頑丈な縄か何かで縛られていた。何故、と多くの疑問が湧き上がるのを感じつつ、唯一動く頭を上げ――


 ――目の間に、引き攣った笑みの男がいた。


「お、お目覚めかい?」

「ッ!?」


 半ば反射的に叫び声をあげようとしたが、口に貼られたガムテープで遮られ、くぐもった声が漏れる。目の前の男は、コトネの反応を見て引き攣った笑みを更に深めた。


「へ、へへ。目覚めの気分はどうよ? お、俺特製の眠り薬。良く眠れたろロ?」

「……っ」


 明らかに呂律の回っていない男の喋り方に、コトネはすぐに察する。


 この男、おかしい。


「い、今から地獄に行くんだダダ。どどうせなら、何も感じず寝ていたいだろ? 俺のノ、優しい気遣い……だぜ?」


 痩せこけた青白い肌に、痙攣する口元で無理やり笑っているその男は、まるで死にかけの蛇のようだ。どう見てもマトモな人間ではない蛇男を見つめて、不意にコトネは目が覚める前の記憶が浮かび上がる。


(そうだ、私……黒猫を見たと思ったら、不意に口元何かで覆われて……!)


 誘拐。そんな単語が降って湧いた。途端に体中へ緊張が奔ると、どうにか拘束を解けないか体をバタつかせる。


「んーッ! んんッ!」

「な、なナ、なにしてる?」


 足掻き始めたコトネを見て、蛇男は心から不思議そうに首を傾げた。この男にとって、拘束を解こうとする無駄な行動自体が意味不明なものに映るのだろう。


「無駄なことは止めたほうがいいですよ、風鳴カザナリ琴音コトネさん」

「――!?」


 と、蛇男の後ろから更にもう1人、男の声が聞こえた。とても人当たりの良さそうな、しかしどこか凍えるような冷たさを持つ声に、コトネは思わず足掻くことをやめる。


 声の方向に居たのは、黒縁のメガネを掛けた知的な雰囲気の男だった。柔らかな笑みを浮かべているのに、コトネは気持ち悪さしか感じない。


「アナタは今、精霊の力が使えない。魔術師ウィザードが外出するために巻く、魔封帯のせいでね。つまり――今のアナタはただの少女だ。か弱いか弱い、家畜のような存在です」

(か、ちく……?)


 さも当然のように人を家畜扱いした優男にコトネは顔をしかめる。優男はコトネの反応に少しだけ惚けたような顔をすると、申し訳無さそうに後頭部を掻いた。


「あぁ、すみません。つい本音が。別で例えるなら……魔王に囚われたお姫様でしょうか」


 何処か演技じみた動きで1つ、2つと頷くと体全体で自身の後ろを指す。


「さぁさぁ、お姫様を助けようとする勇者様が来ていますよ。ほら、聞こえるでしょう?」

「――――ぁ」


 そこまできて、コトネはようやく気づいた。目覚めて最初に思った事が『騒がしい』だった意味が。


 優男が視線を促した先には、鉄で出来た大きめの扉が鎮座している。どうやら何処かの倉庫らしい此処の外で、多種多様の男たちの声が聞こえた。


 怒声じみた声色から察するに、乱闘がすぐ外で起きているらしい。


「……おっと、静かになりましたね」


 数秒もしない内に、声が一切聞こえなくなる。耳鳴りがするほどの静寂がこの場を包んで――


「――邪魔するぞ」


 瞬間、鉄製の扉が


 重厚な機械でぶち壊した訳でもなく、高熱によって溶かし斬った訳でもなく、ただ静かに……倉庫の扉が無数の鉄くずとなって崩れ落ちる。


 風が吹いた。締め切られていたせいで蒸し暑かった倉庫の中へ、新鮮な空気と共に潮の香りが入り込む。


 そして、1つの人影も。


「うちの仲間を返してもらおうか」


 黒髪黒目で、掻き上げた髪と鋭い視線が威圧感を生みだしている少年――ユウトの言葉に、優男が嬉しそうにニヤリと笑った。


「やはり勇者はアナタですか、”爆死”――いや、”神童”」

「長々と語らうつもりはない」


 一言で流れの全てを断ち切ったユウトは、右手に持つ自らの武装形態アームズを構える。


「死か、捕縛か……好きな方を選ばせてやる」

「あはは、”Fランク”の精霊と契約した魔術師ウィザードの言葉とは思えませんね。わたし達の答えは――」


 言葉と共に突如として銃撃音が鳴り響き――次の瞬間、火花が散る。


 優男の背後に居た蛇男が、気づけば持っていた銃でユウトを撃ち、放たれた弾丸をユウトが片手剣で弾いてみせたのだ。


「勇者を倒すこと、です」


 演者のような大仰な動きで宣言した優男の手には、青々しい刺突剣レイピアが収まっている。


(……2人とも魔術師ウィザードか。ランクは……恐らく”Bランク”程度だな)


 蛇男の方は一見ただの突撃銃アサルトライフルに見えるが、所々に茶色の装飾が施されているため、間違いなく武装形態アームズだ。


「ハッ、良く口が回る。吠えることしかできん”凡人”が」


 自らに酔っている優男へ辛辣な言葉を返しつつ、ユウトは少しずつ立ち位置を横へとずらして行く。


 銃を持っている蛇男の射線上の間に優男を置こうとした動きだったが、存外優男も頭が回るらしい。ユウトの動きに合わせて逆方法へ位置をずらし始めた。


「これは手厳しいですね。確かに”神童”にとっては、周りの人間全てが”凡人”でしょう――がッ!」


 瞬間、優男が動く。


 刺突剣を胸のあたりで構えたまま、突如としてトップスピードでユウトへ襲いかかった。あまりの加速に、コトネの目は未だに優男の残像を写している。


 あっという間にユウトの懐へ入り込んだ優男は、そのまま研ぎ澄まされた刺突を繰り出す。


「――――!?」


 限りなく最高に近い、がら空きな横っ腹への致命の一撃。しかし、それは掠りすらしなかった。


 精密な手捌きで放たれたはずの不意打ちの刺突は、その軌道を僅かに変えてユウトのすぐ隣を通り過ぎてしまう。慌ててスピードを急激に落とし逆方向へレイピアを構えれば、眼前に迫っていたユウトが見えた。


「ッ!」


 つい先程体制を整え直した優男では放たれる攻撃を防ぎようもない。迷いなくユウトは斬撃を振るおうとして――急ブレーキを掛けながら回転斬りを放つ。


 銃撃音の刹那、火花が散った。


「当たってはくれませんか……!」


 蛇男の完璧なタイミングの援護射撃を、まるで後ろに目がついているかのような精度で斬り裂いたユウトに、優男は思わず身震いを覚えた。


(これが、”神童”ッ!)


 魔術師ウィザードの中に完全な死角からの銃撃に対応できる者など、どれほどいるのだろうか。それも、”Fランク”という限りなく弱い精霊の力でだ。


 しかし無理に銃撃へ対応したせいか、若干ながらユウトの体制が崩れている。優男はその僅かな隙を逃すまいと、一足一刀の間合いから一歩踏み出した。


「【重ね突きマルチプル】」


 一歩前に出ると同時に魔術を発動。ユウトのほんの少し空いた脇に入り込むと、自身の周囲に現れた水の刃先と共に刺突を放った。


 水の刃先で顔、右腕、心臓を、レイピアで左脚を穿つ。致命傷となる部分を優先的に対処させて、本命のレイピアで相手の行動に制限を掛けるのが狙いだ。


 魔術を用いた、4箇所を狙った同時攻撃――たとえ戦い慣れた魔術師ウィザードと言えど、無傷で防ぎ切るのは不可能である。


 だが、それに対してユウトの取った行動は驚愕の一言だった。


「舐める、なッ!」


 回転斬りの勢いを活かして優男の正面まで振り向くと同時に、右腕と心臓の刺突を1度の切り上げで受け流す。同時に切り上げの重心移動を用いて左腕を正面まで移動させ、左脚を狙うレイピアの刀身を素手で


 レイピアの刃が左手に微かな切り傷をつける。しかしユウトは気にも止めず、突き出しているレイピアに体重を僅かにかけると、半ば倒れ込むように横っ飛びして頭を狙った水の刃先を避けた。


「なッ!?」


 刺突に特化したレイピア相手だからこそ出来る、曲芸じみた芸当でユウトは相手の攻撃を全て凌ぐ。ほぼ無傷で必中と自負する同時刺突を避けられ、優男は演技じみた微笑みを初めて崩した。


「あ、当たれレレ――【銃爪:混凝土トリガー・コンクリート】」


 驚愕する優男を尻目に、蛇男は空中で身動きの取れないユウトに向けてアサルトライフルを構えた。狙いをつけて魔術を発動させれば、蛇男の周囲にあるコンクリートが凹み、銃口から弾丸と化したコンクリートが幾重にも放たれる。


「【ストライク】」


 避けられない。すぐさま察したユウトは、地面に向けて片手剣を振るい同時に【ストライク】を発動させる。刃が地面へ当たった瞬間に極小の爆発が起こり、ユウトの体へ威力に応じた反動が襲いかかった。


 僅かとは言え軌道が変わったことで、当てることを重視した精密射撃がユウトの目の前を掠めていく。


 そのまま左手で地面を叩き、1回転してから地面に着地したユウトは、対して息を荒げた様子もなく蛇男へ駆け出した。


(……えぇ?)


 一連の流れを見ていたコトネは、困惑を隠しきれずに頭上から大量のクエッションマークを出現させる。


(に、人間技じゃない……)

『ふむ。恐らく本来、アレがユウトの戦い方じゃけぇ』


 封印されているため、魔石の中から身動きの取れないクウコの声が脳内に響いた。


『<魔術戦争マギ>じゃと常に結界値HPを気にしなあかんからの』


 クウコの説明を聞いてコトネも納得する。


 そもそもユウトが防御寄りの戦い方をするのも、大量の攻撃を苦手とするのも、全て結界値HPという概念がついて回るからだ。


 魔術師ウィザードを保護するソレは、契約した精霊の強さによって比例する。一般的な最低ランクである”Eランク”の結界値HPは、銃撃を数回防ぐことしか出来ない。


 しかし、”Fランク”の結界値HPはそれすら下回る。


 ユウトも試したことがないだろうが、恐らくハンドガン1発で壊れてしまうんじゃないだろうか。下手な防弾チョッキよりも柔らかいのだ。


 故にユウトの戦いは常に『どうダメージを喰らわないか』に終始する。本来ならば避けなくても良い攻撃も大げさに避け、多少の負荷ならば耐えられるところを完全に受け流す。


(けど、実戦は違う)


 <魔術戦争マギ>なら、最初の4箇所を狙った同時刺突でユウトは負けていた。


 レイピアを自らの手で流した際に傷つけられ、結界値HPが粉砕される。そこを凌いでも、頭狙いの水の刃先が頬を掠めた時点で終わりだ。


(これが本当の、ユウト先輩の戦い方なんだ)


 <魔術戦争マギ>で同じことが出来たらどれほど凄かっただろうと、コトネは心の奥底で戦慄する。


 目の前では、優男の攻撃を対処し続けながらもユウトが蛇男を追い込んでいた。


「く、くク、クソッ!」


 突撃銃アサルトライフルの構造上、至近距離での戦いは向かない。命中精度を保証する長い砲身が、銃としての取り回しを犠牲にしているためだ。


 何とか身体能力差で距離を取りつつ弾をばら撒いているものの、ユウトは精密すぎる身体操作でそれに難なく追いついている。


「ト、【銃爪:尖塔トリガー・スパイア】ッ!」


 魔術を唱えて魔素を手繰り寄せると、蛇男は地面に向けて銃弾を放った。


「下かッ……!」


 ユウトが銃弾の放たれたエリアに飛び込めば、地面から三角錐となったコンクリートがいきなり迫り上がった。スパイクの役目を果たすソレは、1つ1つが魔術によって強度が高められた痛烈な一撃だろう。


「ッチ」


 人の動きは先読みできても魔術の動きは先読みできない。ユウトは舌打ちをして急ブレーキをかけると、背後から猛スピードで迫る優男へ刃を振るった。


「おっとォ! 危ないです、ッね!」


 一旦、コンクリートの尖塔たちによって視界から消えた蛇男は置いておいて、ユウトは優男と対峙する。


(アリナ、先程の攻撃は視えるか)

『……いえ、やはりまだ』

(そうか)


 言葉少なげに頷くと、2歩ほど下がり突撃の姿勢を見せる優男へユウトは自ら駆け出した。


(次でコイツを倒すぞ)

『はい、いつでも!』


 今までの戦いで、ユウトは優男の戦い方がヒット・アンド・アウェイであることを確信している。この男との戦いで最も厄介なのが、あの0から100、100から0への急すぎる加速と減速だ。


 いわゆる緩急をつける、の超上位互換と思ってもらえれば良いだろうか。止まっていると思えば急激にトップスピードで移動し刺突を放ち、素早く動いていると思えば一瞬で停止する。


 正面切って戦うのには、かなり面倒な相手だ。


(だが、欠点もある)


 あまりに急激すぎる加速と減速によってか、恐らく移動の最中に曲がれない。また、恐らく本人も緩急に体が追いついておらず、時折ユウトの動きに反応できていないことがある。


 ならば答えは簡単だ。


「はぁッ!」


 瞬時に加速して放たれた突きを容易く受け流すと、そのまま前へ突っ切る。


「逃げる気ですか、”爆死”!」


 相手に背を向けた状態で駆けるユウトへ、優男は0から100への加速を用いて一気に迫った。加速のままに優男が刺突を繰り出す直前、ユウトが体の向きを反転させる。


「――ッ!」

「なッ!?」


 勢いよく突き出されたレイピアを肌を掠めながら避けると、流れるような動作で優男の懐へ入り込む。伸ばしきった右腕に左手を添えられた瞬間、優男の視界が急激に回転――気がつけば倉庫の壁に激突していた。


「ごはァ!」


 肺の中の酸素を全て吐き出しながらズルズルと地面へと落ちる優男は、酸欠になりかけの頭で先程の流れを思い返す。


(突撃する勢いを利用して、倉庫の壁へ投げ込んだのですね……ッ)


 一度目の刺突を躱して前に移動したのは、壁際に誘導するため。急激な加速によって意識が追いついていなかったため、優男は受け身も取れずに壁へ投げられたのだ。


「ぐぅッ」


 倉庫の壁に体重を預けながら何とか立ち上がった優男へ、休む間もなくユウトは迫った。対する優男もふらつく体に鞭を打ち、レイピアを素早く構える。


 後ろには壁があり、前からはユウトが迫るこの状況で優男が取れる手段はたった1つ。


「【重ね突きマルチプル】!」


 相手へ真正面から挑むことだ。水の刃先を3つ生み出し、レイピアも合わせて別の箇所へ同時に刺突を繰り出す。こうしてしまえば、精霊の格差があるユウトは対処にまわらざるを得ない。


(――そうだ。コレを待っていた)


 瞬時的な直線加速が得意な相手に対して、最も有効な戦術。それは――。


「【局撃ストライク】ッ!」


 真正面からぶち破ることだ。


 優男の同時攻撃に合わせて、ユウトは自らのとっておきを放つ。”Fランク”の力とは思えないほどの巨大な爆発が生まれて、水の刃先もろとも優男を飲み込んだ。


「ぐぁッ!?」


 爆音が響き渡り、倉庫の壁は瞬く間に破壊される。舞い上がった煙と共に優男が倉庫の外へと吹き飛ばされた。ゴロゴロと横に転がった上で動かないため、恐らく気絶したのだろう。


「お、オオオお前!」


 怒りを滲ませた声に振り向けば、雲隠れしていた蛇男が両手両足を縛られているコトネへ銃口を向けていた。


「い、今すぐ武装を解けケ」

「――――」


 ユウトの身体能力では、蛇男が引き金を引くのを止められない。魔術も遠距離用は持ち合わせがないため、まさに有効な手段と言えるだろう。


 とはいえ、その手段を取るのがあまりにも遅すぎた。


「お、おいイ! 聞いてるの――ぶッ」

『ほい、一丁上がり』


 破壊された倉庫の壁の外から、リョウヤの狙撃が蛇男の頭部に寸分違わずヒットする。狙い澄まされた衝撃に脳を揺さぶられ、蛇男は奇妙な声を上げながら白目を剥いて倒れた。


(す、凄い。倒しちゃった……)


 人質として扱われていたはずのコトネは、先程まで自らが置かれていた状況すら忘れて、呆然とユウトを見つめていた。


 多少なりとも魔術師ウィザードとしての基礎が身についてきたからこそ、コトネに襲いかかった衝撃は大きい。


 魔術師ウィザード2人を相手に、ユウトは勝利した。当然リョウヤのサポートありきではあるものの、身体能力や魔術を勝る相手2人掛かりに。


「……ふぅ」


 息を吐いて髪を下ろしたユウトは、先ほどとは打って変わって優しげな笑みを浮かべると、小走りでコトネへと近寄る。


「大丈夫、コトネさん?」

「ん、んぅ」


 モゴモゴと息を漏らしながらもしっかりと頷くコトネを見てから、彼女を縛る縄を切ろうと武装形態アームズを手にしゃがみ込んだ。


「――ぁヒ」


 瞬間、身の毛がよだつ。


「コトネさんッ‼」

「んぅ!?」


 粟立つ肌の感覚のままに、ユウトはコトネを遠くへと放り投げた。そのまま背後へ振り向いて――


「――【砲弾銃爪:混凝土キャノントリガー・コンクリート】」

「ごァッ!?」


 爆発音が響き渡り、身が粉々に砕け散りそうなほどの衝撃がユウトを襲う。


 まるで玩具のように勢いよく吹き飛ばされたユウトは、何とか空中で姿勢制御を行うと、地面を大きく滑らせながら着地した。


ゥ……ッ!」


 何とかギリギリで流せたものの、身構える間もなく強い負荷を受け止めた体が悲鳴を上げている。片耳に痛みを感じて手を当てれば、先程の攻撃で粉々に砕け散ったらしいワイヤレスイヤホンが手のひらに突き刺さった。


(……やられた)


 リョウヤとの連絡手段が途絶えてしまったことに目を細めながら、ユウトは破片と化したイヤホンを地面へ投げ捨てる。


 未だ悲鳴を上げる体に叱咤を飛ばして、油断なく片手剣を構えた。そのまま爆発音の発生源――巻き上げられた土煙を睨みつける。


「直撃ノハズ、ダガ」


 煙の中から現れたのは、巨大な大砲を片手で軽々と持った男の姿だった。


 体全体が極端な筋肉の隆起で歪なシルエットになっており、顔の左半分が無表情なのに対して右半分が奇妙に嗤っている。


 何より気色悪いのが男の持つ巨大な大砲だ。まるで生き物のように紫色の線が走り、ドクドクと脈打っている。


 ユウトはこの気色悪い男に見覚えがあった。――否、この場の全員は見覚えがあるだろう。


「……さっきの、蛇男か」

「ァヒヒッ。気付イタカ」


 痩せぎすな体や、呂律の回らない喋り方が消えているが、その見た目に微かな名残があった。


(これが、さっきと同じ人……?)


 リョウヤの狙撃によって倒れてからの僅かな間で、一体どのようにしたらそれほど姿形が変わるものなのか。


 驚愕のあまり目を見開くコトネの視界の中で、骨格すら変わっている目の前の蛇男の左手から、何かの機器が滑り落ちた。


 それは――注射器だ。医者でなくとも簡単に、痛みも殆ど無く注射できる電動ジェット式注射器。


 間違いなくその注射器が蛇男の姿かたちが変化した原因であり、それに何が入っていたのかユウトは知っていた。


「……”ヤク”か」

「正解、デスよ」


 呟きに答えたのは、蛇男ではなく背後からだった。気絶し倒れていたはずの優男が、同じく異様な変化を身に宿して凶笑を浮かべている。


(”ヤク”……?)


 コトネの脳裏にフラッシュバックしたのは、少し前に彼女のクラスメイト――アオイの言葉だ。


『”ヤク”でも使えば、話は別だろうけど』


 一体どのようなものかをコトネは知らない。だが、その単語を聞いたときのコトネの友人――ナギサの反応から非常識な物だと悟れる。


 その予想に応えるように、ユウトと相対する蛇男は引き攣った笑いを溢した。


「ア、ヒヒ。イイゾォ、”精霊覚醒剤ヤク”ハ」

「私タチのヨウナ低ランクの魔術師ウィザードデモ、素晴ラシイ力を手に出来ますカラ――ッネ!」


 後の出来事に対して、コトネは何が起こったのか理解できなかった。


 瞬きの間に、優男が歪に膨れ上がった両脚を踏み込んで、ユウトへと痛烈な刺突を繰り出していたのだ。


「ぐぅッ……!?」

「ヒ、ハハハッ!」


 何とか事前動作を察知できたユウトは、すんでのところで攻撃を受け流したものの、流しきれなかった負荷によって奔る痛みに口を噛みしめた。


 どう見ても先程までの――”Bランク”レベルの速さではない。


(この速さは”Aランク”並か……ッ!)


 魔術師ウィザードにとって、たった1つのランクの差はあまりに大きかった。なにせ1つ上のランクへの勝率は4割。それも経験が未だ覚束ないだ。


 精霊のランクによる格差の原因は、単純な強さによるものではない。根本的な原因は魔術師ウィザードとしての成長限界だ。


 ゲーム的な例えをするならば、上限レベルの違いと言っていいだろう。レベル50のプレイヤーが、どれほど工夫を凝らしてもレベル99の敵へ勝てないのと同じだ。


 ある程度までは努力や経験で補えるものの、互いのレベルが上がれば上がるほど格上ランク相手との勝率は下がっていく。プロレベルにもなると、”Bランク”が”Aランク”に勝っただけでネットで大盛りあがりだ。


 ならば、そのランクが1つでも上がってしまったとしたら?


(その強さは、一気に跳ね上がる!)

「ぐ、ぅッ!」


 まるで嵐のような刺突の雨を何とか躱し、流し続けるユウトに優男は狂ったように笑い声を吐き出した。


「ハハハハハッ! ドウシタのです! 貴方ハ、”神童”は! ソンナモノですカ!」

「だ、まれッ!」


 優越感に浸りきった声へ苛立ちを隠すこと無く言葉を返しながら、ユウトは優男の動きを細微なまでに把握していく。


(……ここッ!)


 溢れる全能感からか、優男は僅かばかり踏み込みが深すぎる刺突を放った。ユウトはその攻撃に一点集中すると、完璧に流しつつ相手の懐へスルリと入り込もうとする。


 優男はそれに気づき、すぐさま姿勢を戻そうと体を起こすが――ほんの僅かな綻びが仇となって、思う通りに姿勢を戻せず体制を崩した。


「ッ!」


 完全な隙を見せた優男に対して、ユウトはがら空きの膨張した左脚へと刃を振るい、


「【砲弾銃爪:混凝土キャノントリガー・コンクリート】ォ!」

「ぐ……!?」


 横から爆発のような発砲音が聞こえ、ユウトは振るいかけた斬撃の力を活かして大きく前に飛び込んだ。殺人的な速度の砲弾が優男の体にぶち当たる。


 普通ならば魔術師ウィザードでも重症は免れない攻撃に、しかし優男は凶笑を更に深めただけだった。


「ハッハァ! 良く狙ッテクダサイねぇ!」

「無理無理ィ!」


 2人は先程の同士討ちに何も思うことはなく、再び攻撃を仕掛け始める。それをどうにか躱し、流しながらユウトは心のなかで舌打ちを鳴らした。


(やりづらいッ……!)


 仲間を一切として気遣わない双方は、互いの位置関係や連携など知ったことではないと思い思いに攻撃を繰り出してくる。だが、こちらはリョウヤとの連絡手段が紛失した上、コトネは束縛されたままだ。


 先程よりも数段状況が悪くなった1体2の戦いに、ユウトは防戦一方を強いられる。


(ユウト先輩……!)

『無理じゃお嬢!』


 居ても立っても居られず、コトネは両手足を縛る縄を何とか解こうと藻掻くが、さすがにプロの技術らしく一向に緩む気配がない。そうこうしている間にも、ユウトは少しずつ押され始めていく。


(クソ! 付け入る隙がないなっ……)

『すみません、せめて私が【魔力視センス】を使えれば……!』


 相手の魔力の流れを感知できたならば、それだけで対処の仕方も違っていただろう。優男の急激な加速と減速も事前に察知できるだろうし、何より横入りで放たれる蛇男の魔術にいち早く気づくことが出来るためだ。


 しかし、意識を集中させてあのときの感覚を手繰り寄せようとしても、アリナの視界には一向に魔力の流れは見えない。


(これじゃあ、私は結局変わらない……っ)


 命を懸け合う実戦であるが故に、アリナの心に恐怖が滲んでいく。


 ユウトがこの戦いに敗れれば死んでしまうかもしれない。大切なチームメイトが、この男たちの手によって攫われるかもしれない。


 ――もう2度と、この人と共に戦えないかもしれない。


(それは嫌……なのにっ!)


 どうしようもなく、アリナという精霊は”Fランク無能”なのだ。


「ハッハァ! 防御が崩レテキマシタよォ!」

「ぐッ、うぅ――!」


 蛇男から放たれたアスファルト製の砲弾を飛び込むように避けた先で、優男の刺突が目前に迫る。辛うじて迫る刃先を何とか流すものの、バランスを崩した体制では流しきれない。あまりの膂力に体全体が悲鳴をあげた。


 ガクリ、とユウトは戦いの中で初めて


「【重ね突き:重ねマルチプル・リピート】!」


 致命的な隙を敵が見逃すはずもない。3個から倍に――6個へと増えた水の刃先が、レイピアと共にユウトのあらゆる部位に向けて放たれた。


「ッ!」


 頭、喉、左腕、右腕、心臓、左脚、右脚。


 7部位への攻撃に対してユウトは片手剣を正中線に振るい、致命傷となる頭と喉、心臓の3つの軌道を受け流す。残り4つ。


 どう足掻いても、ユウトの身体能力では刺突を食らう前に動けるのは1モーションのみ。これだけで損傷を抑えつつ避けきるのは不可能に等しい。


(なら……!)


 加速する思考の中でユウトは決断すると、片膝をついたまま地面を滑って体全体を右へ90度回転させる。同時に左腕全体を前へと捧げ――4つの刃先が肉と骨を貫いた。


「――――ぐッ!」


 横向きになったことで狙われる部位を左側だけに集中させ、僅かに軌道修正された刺突に左腕が当たるように掲げることで、ユウトは左腕を犠牲にして何とか攻撃を凌ぎ切る。


 故に、ユウトの状況は詰んだ。


「【砲弾銃爪:混凝土キャノントリガー・コンクリート】!」

「ク、ソ!」


 左腕を貫通する刃先のひとつがレイピア故に、ユウトはそこから身動きがとれない。迫る砲弾に対して、片手剣を持つ右腕だけで対処しなければならなかった。


 突撃銃アサルトライフルから加農カノン砲へと変貌した蛇男が放つ砲弾は、連射性を失ってもあまりある火力を手にしている。


 ユウトの誇る繊細な技術力も、それを上回る莫大な質量を前にはどうしようもない。防ぐのはもちろん、受け流すことすら不可能だ。


 だからこそユウトは常に大げさなほどに回避していたし、撃たれないように意識して立ち回っていた。しかし現状は受けるしか他になく、それが2人の策だったのだと思い知る。


「ハハハ! 終ワリなさい、”神童”ッ!」

「死ネ死ネェッ!」

「クソ……!」


 迫る砲弾を前に、ユウトは一縷の望みに掛けて片手剣を構え――


「――なんて無様でしょうか」

「ッ!?」


 瞬間、


 塵と化していく砲弾だったものを前に、瞬きの間に現れた真っ黒な少女が片手剣を手に立っている。突如として現れた少女にこの場の誰もが目を見開き――少女が、後ろへ振り返った。


 同じの少女が、侮蔑の目でユウトを睨みつける。


「ねぇ、自分でもそう思うでしょう? ”爆死”」

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